けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

ネットだけで知識は十分得られる、という意見に対して 他

今回の記事のテーマは3本です。

インターネットだけで知識は十分得られるか

例えば将棋のタイトル戦のニュースを見て「挑戦者の”7段”というのは、どれくらいの位置づけなのだろう?」と疑問を持ったりします。

そうすると、今はインターネットで検索をすればその答えは見つかりますし、何段からプロになり最上位が何段なのか、どうやったら段位があがるのか、といった他の情報も得ることが出来ます。基本的なことを調べる時間がインターネットの登場によりかなり短縮できるようになりました。

ただ、そこから「インターネットがあれば勉強しなくてもよい。何故なら全ての事柄について検索すればでてくるのだから」と飛躍したことを言っている人がいます。

私の結論としては、以下の漫画のキャラクターの言っている(が言われている)通り。

ちょっとした疑問の解消ならともかく、インターネットで検索した結果”だけ”では必要な”知識”は十分得られないし、試験や仕事の場においては太刀打ちません。

せいぜい調べる上でのとっかかりとなる、言葉の意味とか基本情報ぐらい。根拠となるデータや法令・判例・文献等が明示されていれば、調べる時間が短縮できてラッキーという程度。

以下、ネットで情報収集するツールとして使う場合の留意事項

大前提:嘘か、本当か。

嘘と断定できない、としても…

①時期:インターネットで書かれた時は正しかったとしても、”今”正しいかどうか
②真実の証明:嘘という証拠はないが、では”正しい”とも断言できる証拠があるか
③読解力:書いてある内容を自分が正しく理解できるかどうか
④省略:文字数や時間の都合上、説明が省略されている事柄があることを理解しているか

インターネットでの検索で得られるのは”雑談”レベルです。

過激な見出しやサムネの表現にひっかかっていないか

SNSや動画は、メインは時間つぶし、人との雑談のネタの収集、趣味や購買に関する情報収集や交流の場です。

SNSYouTubeでは短い言葉で人を煽り、罵る極端な意見が流行っているようです。それが良く閲覧されるせいか、おすすめとして表示されてうんざりしています。消しても消してもウジ虫のようにわいてくる。IDや投稿者が複数あるのでしょう。

決めつけてはいけないと思い、内容を見聞きしてみます。すると内容は、他人の意見をそのまま流しているだけのもの、検索すればすぐに答えが表示されるレベルのものをタイトルや見出しだけ極端な表現に言い換えをしているだけのもの、誰が見ても間違ったことをしてしまった人や発言をした人を晒上げているだけのものとかです。全部見ていないので100%とはいいませんが、ほとんどは見る価値がない。強いて言えば投稿者は多くの人が興味のあることを見つける能力があるといえますし、過激な見出しやサムネの方が注目を集めるということを知っていてかつそれを実行できる金銭のためなら何でもできる割り切りの良さがあるといえます。でもこれ新聞や週刊誌などの既存メディアもやっていることです。こういう投稿者が結構週刊誌の悪口を言ってたりします。「同じ穴のムジナ」のくせに。

また、動画やSNS内で、俺が始めたやつ、俺が最初に発言したやつ、俺は既に動いている、みんな知らないけれども…などど発言して自分の創造性、先見の明、見識の高さをアピールする人もいます。仮にそれが正しいとしても、上記のような発言を”度々”する人間は信用がおけないというか、プライドだけが高いか、見栄っ張りか、詐欺師というか。勿論、人が興味を引きそうなものを一早く発信する能力はある、といえるかもしれませんが。

そういう人間は、見出しやサムネでどう表記すれば閲覧数が増えるか、という才能があります。バズらせのプロですから。(BY M〇Mちょ)

だから「〇〇する奴は、〇〇を知らない奴は馬鹿、無知、無能、クソ」などの汚い言葉や差別用語を使い、「〇〇というバカを論破」とか表記します。内容はというと、他人の発言をそのまま使用したり、上記のとおり誰でもいえることや当たり障りのないことしか言っていないケースが多かったりします。誹謗中傷で訴えられないようにしているのかもしれません。

まあそういうSNSや動画に出くわしたとしても無料の閲覧で済むのでまだ「釣られた~」ですみますし、時間つぶしという目的は果たしているので目くじらを立てる必要はないかもしれません。SNSが広まる前からインターネット上は「釣り」の発言はあって、それが注目を集めることは知られていたのですから。

問題は正しい情報や知識を知りたければ有料サロンや有料イベントで、と誘導される場合。

それに乗ってしまうと、もれなく「金づる」にされてしまいます。現実でも、しばらく連絡をとっていない知人友人家族からの「儲け話」のお誘いがあったりしますがあれのインターネット版です。現実上の「必ずお金が儲かる〇〇セミナー」とかと同じ。まあ、子供はともかく、いい大人の場合はインターネットでなくても現実でもカモにされているだろうから別にいいですけれども。

閲覧数を稼ぎたいなら「〇〇している奴は馬鹿です」というタイトルにすれば閲覧数は増えるかもしれません。そんなの一時的です。どっかでブロックされます。違法行為でないから別にいいですけども。

学校の勉強は役立つかどうか

読み書きそろばん、という基本的なことを除けば、それぞれの科目が実生活で役にたつかどうかというと「あの勉強が今実社会で役立った!」という場面に遭遇する機会は滅多にないだろう。

ただ勉強することで、相手の言っていること、書物に書いてあることを正しく素早く理解できる力、論理的に考える力、一定の知識をベースにして応用し試行錯誤し結論を導く能力をつけること、試行錯誤して正解にたどり着く過程を経験することはできると思います。

また大人になっても自分の意志で勉強することができるかどうか。試行錯誤できるか。これはなぜか、どうすればいいかという問題に遭遇した際に、専門的な書物や意見を読んで理解し、解決する手法を身につけるためには、子供の時に勉強していないと大人になってからではなかなか難しい。
そう、勉強しておかないと、てっとりばやく検索してでてきた意見や、目立つ人の意見をそのまま鵜呑みにしてしまいかねません。また自分で調べもせずに人の時間を割いて質問する人間になりかねません。要するに、未知の事柄に対し自分の力で物事を解決できない人間になります。

「国語」の中の「古文」や「漢文」が実世界で役に立つかというとほとんどないと思いますが、それでは実生活に役立つであろう「家庭科」などが役立つかというと、専門学校まで行った場合はいざ知らず、実生活で役立てるだけの授業時間は義務教育では用意されていないし、それを習ったおかげで家庭で”役立ったといえる人がどれだけいるでしょうか?

また、専門学校生で”簿記”を学んだとして会社に入社した時、普通科の高校生、単なる文系の大学生より経理の仕事ができるか、といえばどうでしょうか?

成功者や、テレビやインターネットの世界で話が上手いだけの人の極論を鵜呑みにしてそのまま話しても、実生活ではあなたの意見に誰も敬意を払わないし、従わないし、距離を置かれるだけですよ。「はい、論破」とかショーとかジョークとして使っている発言を、実社会で本当にいうようになりますよ。