けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

決断の難しさ: 未知の道を歩む際は腹を括るだけ

仕事で難しいのは「決断すること」だと思う。
尚、ここで「決断する」ということは、100%正解であること、成功することがわかった段階で決めることは含まない。成功するかどうか情報収集している合間に時間切れで、既に乗り遅れており、「何もしない」のと同じになってしまう。

成功かどうかわからない段階、人によって意見がわかれること、そしてその決断が将来に影響を与えるであろうことが確実な事柄について「決断する」。
また、人から高確率で反発を受けることが確実なことを実施する・しないと「決断する」。

これが精神的にとても難しい。不安、恐怖を覚える。人から反発を受けるのが確実な決断は、心が痛む。だれかに「正しい答え」を言って貰って「安心」を得たいのが通常である。

さて、最近YouTubeでも、人生相談を行い著名人が回答するという動画をよく見かけるようになった。昔からTVや新聞でも人生相談が行われているが媒体が変わっても流行っている。

そして、質問者と回答者以外に観衆もいるメディアという舞台ではズバッと明確に答える回答者が好まれているように思える。

専門家に聞いて、専門家の知見を聞きたいというのもわかる。
先駆者に聞いて、先駆者の経験を聞きたいというのもわかる。
三者に聞いて、自分が誤解していないか、プレッシャー等で誤った判断をしていないか確認をしたいのもわかる。

しかし、著名ではあるが全くの専門外の人に質問をする人がいるのは何故なのだろうと思った。また、上記の事柄に当てはまらないであろう、自分の中に既に答えがありそうなのに質問するのは何故だろうと思った。そして、他人の相談という自分には無関係な人生相談が質問者と視聴者に受けるのは何故だろうと思った。
私は、質問者は、正解のない反発される決断を、だれかの答えを聞いて「安心」を得たいのだと思う。本当は話すことで自分の考えが整理できることが一番の効果だと思うが、質問する際はそんなことは考えない。

だから、ズバッと答える回答者が好まれる。”人それぞれ”とか”あなたが決めること”という、もっともな正論は好まれない。
一時期は、毒舌気味の強そうな年配者、俺(私)についてこい、というタイプの回答者が好まれたが、今は、知識が豊富か、冷静で物事を俯瞰的にとらえている”ように見える”回答者が好まれている気がする。尚、回答者が専門家である必要はない。話のうまさが一番である。

しかし、回答者は、質問者に対して最も正しいであろう答えをしている人は少ないと思う。質問者でなく、視聴者全体にとって一番受けのいいであろう答えをしている場合が多いと思う。質問者が答えてほしいであろう答えとは真逆のことを「あえて」答えて、驚かすことで視聴者にインパクトを与える。

そして、受けのいい答えをいうのだから回答者にとっても自分の専門分野外の方がいい。
もし自分の専門分野の質問の場合は、面白くない固い答えになっててしまうから。

要するに、人生相談のコーナーは、エンターテイメントなのである。

尚、それを悪いとは思わない。エンターテイメントは面白ければいい。
話の面白さが全てであり回答がいい結果を生むかどうかは関係ない。
エンターテイメントに正論なんて野暮。

話を戻す。
結局、「安心」を得たくともその安心を与える相手は責任はとらない。

決断は自分で決めるしかない。どんな質問でも「腹を括って決めろ!」という回答が正解と思う。
尚、当たり前だが科学的な話医学的な話はこの限りではない。