けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

テレビに出演した学者を見て思ったこと

ひょんなことから、昔「朝まで生テレビ」で見かけたような学者がテレビで延々としゃべっているのを見た。
難解な言葉、英語と日本語を合成した言葉で、相手が理解できているかどうかはおかまいなしで自説を展開し国民、庶民を馬鹿にしていた。
僕たちと主語を複数系にして、さも自分が代弁者のようにふるまい、自尊心を満足させるための真偽不明な知識らしきものをひけらかし、それを理解できない人をけなすことで悦にひたっているようだった。その姿は窓口の従業員に向かってあーだーこーだ高説垂れてるクレーマーと同じである。

視聴した時間の無駄だった。

そういえば、昔の学者とか知識人とかが出演していたテレビは、大抵何をいっているのかわからず、他の出演者との議論もかみ合わず、かと思えば急に怒ったりしていて、一体こいつらは何なんだろうと思ったものだ。多分、今見たら即チャンネルを変えるか消すだけだろう。また、仮に自分が彼らの話していることがわかる頭脳を持ったとしても、それはそれで彼らの意見が自分が生きる上で役立つことは全く何もないであろう。理解するために勉強するのは時間の浪費である。

彼らの自慰行為を見て、何の価値があるのか?

彼らと比較すると、今のテレビにでてくる流行りの学者、評論家の言葉はあの頃と比べてわかりやすいなあという感想を持った。多分テレビの制作者がそういう人を出演させているのだろう。
そして、わかりやすいことを前提として、怒りを前面に出す「武闘派」がちょっと前まで流行ったが、今は「嘲笑系」か「飄々系」に代わってきたなあという印象である。

一時期はニュースに素人である”タレント”がコメントしてどうするんだと思っていたが、上記の番組を見て、むしろタレントの方が傲慢な知識人よりむしろ視聴者にとってはよいかもしれないと思った。正しいかどうかは別として、少なくとも何を言いたいかはわかるから。

また学者、評論家がその時点の民主主義や国の政治を嘆くのはいつの世でも変わらない。インターネットの隆盛が政治の劣化を招くとかよく聞くが、彼らはインターネットが広まる前から政治の劣化を嘆いていた。彼らはさも自分が政治家や国民よりも高みにいて、指導する立場にいるという妄想の中に今も生きているようだ。政治よりも先に自分の脳みそを心配した方がいい。

そして彼らの話を少しだけ聞いたところで”私は”思う。

成人した国民全員が「投票」によって国の代表を選ぶという今の民主主義がどれだけ問題点があろうとも、今のところ最善の国家運営だと。

少なくとも、彼ら”知識人”が主導する政治よりはましであると。

”知識人”たちはこれまで通りお仲間達と自分達しかわからない言葉で屁理屈をこねまわしてお仲間達と部屋に籠っていればいいと。某実業家が「大学はいらない」といっていたらしいが、文系に関しては同感である。(理系は知らない)こんな奴らの話を4年間聞いている時間と金があれば他に何かした方がいい。