けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

真面目に生きることは、他人の目と評価を気にして生きるということではないか?

私は今、【真面目】に生きてきたことを後悔している。

ここでの【真面目】というのは、世の中のいわゆるレールに乗って生きていくことを指す。勉強し、学校で友人恋人を作り、良い高校、大学に入って、良い会社に入って、世間体のよい相手と結婚し、子どもを育て、ローンで家を建てて、ローンの支払いと家族を養うためのお金を稼ぎ、我慢しながら会社の労働者として社会の歯車としての役割を果たすというレール。

私は、メンタル疾患から快復した時、一度レールから外れたが再起してやろうと思っていた。だが、私はその再起というのを、再び同じルールにのって遅れをとり取り戻すことをしようとした。

私はメンタル疾患になったことよりも、今は、その後の約18年間、レールに再び乗ろうとした生き方に失敗したと後悔している。

このレールに乗っている人達は、一度レールから外れた人間の再起を許さない。いや、言い直そう。レールから落ちた人間が、それまで一度もレールから外れずにいた人間に追いついて同格、またはいい位置に返り咲くことは許されない。一度でも転落した人間は、後塵を拝するのならば許される。

そして気づいたのだ。いわゆる【再起】できた人というのは、そのレールから外れたところで勝負していることを。そのレールの上に戻る事ではなかった。

レールから外れるとは何か?それは世間体とか、他人と仲良くしましょうとか、お金は節約しましょう(今だったら貯蓄に回すのではなく投資に回しましょう)、真面目に働きましょう、他人と争わず迷惑をかけないようにしましょう、年配者や、先に住んでいる、働いている人の作ったルールに従いましょう、というルールに縛られることなく、自己主張し、他人の目に縛られない生き方をしているひとを言う。

レールから落ちたことで、自分がいかに他人の作ったレールの上で生きてきたことに気づいた。レールの上を走る事、それは他人に迷惑をかけないために、他人から迷惑をかけられても大人しくしていることであり、波風を立てないことで、それはつまり自分より年上や権力者たちに逆らわない、都合のよい存在でいることを意味する。それを守ることの恩恵は、社会生活から排除されないことであり、自分の身の安全と名誉をある程度保証してもらえる。

そのレールをなぜ守ろうとしたのか?他人に対して安全と名誉という見返りを求めていたからだ。だが、安全と名誉を維持できる保証はない。レールを作った人はレールに乗っている限りは保証してくれるが、一度外れた人間には、補償しない。レールから落ちた人間に待っているのは、他人からの軽蔑、孤独、将来の不安に苦しむことになる。だから、そのレールに落ちたくないように必死で努力する。

だが、それは間違いだったのだ。メンタル疾患になることは、そのレールから落ちることを意味する。メンタル疾患になった時点で安全も名誉も得られることはもうなくなってしまったのだ。だから、一度レールから落ちた時点で、そのレールに乗らない、他人からの安心と安全を保障を期待しない生き方を選ぶ必要があったのだ。

話は少しずれるが、ここ1か月間の自分は、他人に怒ったこと、そして、その後人間関係が壊れたことで、退職しようと思っていた。または自分が退職するのではなく、怒った人間を完膚なきまでに叩きのめして、相手を退職させようと怒りに満ちて時間を過ごしていた。

そしてふと気づいた。人間関係を壊したことで自分が退職すること、相手に退職を迫ること、どちらも他人に自分の時間を費やしていることを。自分が他人から危害を加えられる前に、逃げるか戦うか無視しようかどうしようか悩む時間が、その他人の目に縛られた時間である。

なぜ、そのような人間のために自分の貴重な時間を費やしているのか?なぜそのような人間に対しどう行動するか頭を悩ましているのか?そのような人間のために頭や時間を費やすことこそが、他人の評価、他人の目を気にしている、ということではないのだろうか?

そんな人間は自分の人生に必要ない。それは別に衝突した人間だけではない。他の周りの正直いようがいまいがどっちでもいい人間の目を気にすること自体がおかしい。

そう思うと、クレームを言ってくる人間、自分が失敗した時に文句をいってくるのではないかと不安になり気を病む相手、これらの人間への対応について考える時間自体が、他人の目を気にすることではないか?

自分が生きたいように生きる、というのは、自分の心の思い通りに生きること、それだけでない。他人がどう思おうがどう言おうが気にしないことこそが重要なのではないか?自分に危害を与えてきた時に戦えばいい話だ。

上手くまとまっていない文章だと思う。感覚的なことを言語化するのは難しいし、なにより今酔っぱらっている。これまで酔っぱらっている時はブログを書かないようにしていた。下手な文章になるだろうし、酔った勢いで、余計なことを書いてしまうのではないかと危惧しブレーキを踏んでいた。だが、これも他人の目を気にしている証拠ではないか。

今、この感覚を記録に残したいからブログに書く、それは酔っぱらって文章が乱れてもいいではないか、そう思って書いたのが今回の記事である。