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仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

書評:なぜ働いていると本が読めなくなるのか

久しぶりの書評。本のタイトルは「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」。

私もこのタイトルどおりの疑問をもっていたので、書店でこの本を見つけて買ってみた。

だが、ほぼ積読状態になってしまった。タイトル通りやはり「働いていると本が読めない。」

いきなり話の腰を折るが、働いていても読める本がある。

それは平易な文章とか、中身がない文章とかネガティブな側面のある本もあるが、ページをめくる手が止まらないほどの本もあるし、読みやすさを重視した本もある。一概には言えない。

さてこの本は「読書と労働」に関する”歴史書”といっていい。明治時代から、時系列的に2010年代まで書いていて、後半に著者の分析と意見が述べられる。正直理解するのに一定の時間を要した。正直言おう、読みにくいしページがすすまない。こういう本は仕事をしながらはなかなか読めない。

だが、やっとこさっとこ一通り読んだので、とりあえず書評。以下ネタバレを含むので改行。

 

実はと言うと、内容を全部覚えていない。上記に書いた通り、一時期断念したからである。いい訳だが、間違った理解や記憶違いがあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。

私は最初時系列的に明治時代の頃から読んでいた。だが戦前の頃で一旦挫折した。どうもしっくり頭に入ってこない。

しばらくして本の後ろ、2010年代から読んでみたが、これが結構ありだった。というのも2010年代は実際その頃に生きていて記憶に残っているから、”歴史書”ではないという面もある。ただし後段に述べるか、正直内容としては同意できない点が多い。

この本は、色々な年代ごとに、流行した本、テーマをとりあげて、その時代の社会情勢、経済情勢、労働者の環境、そして出版社の状況から、その時代にどのような本が流行したのかを分析している。

結局のところ、本の流行と言うのは、その時の労働者を国、資本主義社会、企業がどう動かしたいか、出版社が売れるためにどうしたいか、というのにかなり左右される。それに加えて労働者が何に興味を示し、そして本に何を求めているかが時代ごとに移り変わっていく。

一言で言えば、立身出世、教養、修養、インテリア、自己啓発、通勤中の時間活用、ノスタルジー、自己の内面分析、ビジネスに役立つ情報、行動量、etc。

着眼点として面白いと思うところは、特に2010年代だろう。この頃の本の流行は個人の”行動する量”を増やすことを促す本が流行った。それは、2010年代の新資本主義のビジネスの世界で成功するために、労働者達、個人事業主達は”即行動”することを、そして”行動する量”がなによりも重要という考えが流行したからである。

この”とにかく行動、即行動”という考えは、前田氏や堀江氏をはじめとする実業家が見出したこの時代を生き抜く思考、方法でもあり、彼らのその思考は、経営者層でなく一般労働者にも受け入れらているという視点が興味深い。だが、その思考は”流行”。

”行動量”はこのブログでも書いてきたが、結局は本の受け売りにすぎない。しかし、その受け売りも新資本主義における”流行”、労働者に対して自己責任を”押し付けている”に過ぎないと指摘されるとギクッとする。そして、この本を読んだ後にビジネス、自己啓発書関連の書物やネットの記事やショート動画を読んだり見たりしていることに気づく。その意見を客観的に見ることができるので不思議なものだ。

行動量は成功、生存するための絶対条件と思ったが、我に返るとたしかに流行かもしれない。昔はそれほど行動しろとはいわなかった。(書を捨てよ、町へでようと寺山修司はいってはいたが、その本の中身はというと・・・)本当に”行動する量を増やすこと”が流行に過ぎないかどうかは2020年代が終わる頃にはわかるだろう。現に最近は”休み方”が取り上げられ、インスタ映えするような、他人に自慢するような休み方に疑問を呈する書籍も出始めている。行動もやはり内容が伴う。その行動は誰の為か、時間外労働の代わりか?

インターネット隆盛の時代に入った2000年代からは、読書という”知識””教養”から、ネットの”情報”の時代に移ったと作者は指摘する。読者は、読書という自分にとって不要な知識や教養の取得のための本を捨てて、今自分にとって必要な、歴史的背景や文脈も考慮しない、ノイズのない”情報”を検索し収集する能力に長けたひろゆき氏を優秀な人として扱う時代になり、その逆を”情弱”として笑う。

またこの本ではこう見下されている。

”教養”はエリート層の自己満足、学歴のない者がエリート層に追いつくための知識の欲求、自己満足。

自己啓発”はそもそもの発端が、職能資格制度における人事評価の基準の一つとして企業が労働者におしつけたのが始まり。

流行本にはその時代の一般の労働者に求める思想。

容赦ない。つまり、売れている本は所詮、ファッションと同じ作られた”流行”なのだ。

さてこのタイトルの答えだが、これもネタバレだろうから省略する。ただ、単なる長時間労働のせいが答えではない。長時間労働は何もここ数年に始まったことではないからであり、そのための明治時代からの読書の歴史の分析ともいえる。

書評は以上。後は私見

私は作者と意見が異なるところがある。(全部暗記していないので、作者は本のどこかで書いてあるかもしれないが)

ひとつは、インターネットの解釈だ。

著者は、インターネットを欲しい”情報””だけ”手に入れる道具、という解釈をしている。

本と比較すれば、そういう見方になるかもしれないが、インターネットは今やほしい情報だけでなく、不要どころか”不快”で見たくもない情報、自称”成功者”が悦に浸り、説法する姿を強制的に見せる面が顕著になっている。”情報収集”の時代から、”承認欲求”の場に移ってきており、読書していることをアピールするよりも、あえて難しい言葉を用いる学者の説教本を読むぐらいなら、スマホの方が一般大衆としては承認欲求の場として手っ取り早い。

また通勤時間、待ち時間、暇な時間は、読書からスマホはその座を奪った。読書する時間を奪ったのは統計上、スマホSNSではなく労働であると作者は指摘するが、私はスマホにとられたと思う。スマホを見る人はもともと本を読まない層だったかもしれないが。

作者がいうように読書にはノイズがあるからとか、スマホは必要な情報を手っ取り早く手に入れる手段だからという解釈ではなく、単に暇つぶしにどちらの方が使い勝手がよいかという話である。まあ、これはひろゆき氏の本で書かれていることが。

結論としての著者の意見もそれまでの歴史的な分析を続けて、他を否定しながら、かなり強引に、自分の意見にもっていっている印象が拭えない。

あとこの本を書いたのは作者曰く、本を読む時間を確保してほしいからという願いかららしいが、はて?それまで流行とけなしておいて、なぜそういう意見になる?

自己啓発は、行動量は資本主義社会の労働者の育成とか、教養はエリート層への対抗意識とか、国策に乗っかったと言われた後に、果たして読書を読むモチベーションがあがる人がいるだろうか?私は正直本を読む気がなくなった。著者は、ベストセラー作家以外の文芸書やお堅い評論家の学術本でも薦めているのだろうか?

手厳しい内容の批評となった。流行をつくろうとする出版社や資本主義とそれにまんまと載せられる労働者階級の読者をバカにしているかのような言い回しが多いので、反発した書評になってしまった。

そして、皮肉にもこの本で否定されているひろゆき氏が幅広い人気を得ている理由を理解できた。ひろゆき氏(およびライター、編集者)の書籍は、その考えに同意するかどうかは別として、何が言いたいのかわかりやすいし、読みやすいのである。

働いていると本が読めない理由とは、この著者がいう理由ではないと私は思う。その本が読みにくく、労働した後にそれを読む集中力が続かないことを無視した本だからである。