巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

ストレスを減らすには、他人を「けしからん」と思わないこと

SNSなどに対する向かい方が書かれた本を読んだことを前回の記事で書いた。

その本の結論を簡単に書くと「赤の他人の問題、つまり自分が解決できない問題は放っておくこと」だった。これが腑に落ちた。自分個人ではどうしようもない問題は、赤の他人に対して「けしからん」と口を挟む必要もないし、相手の暴論を「我慢して」神経をすり減らすこともないし、ましてや「他人を正そう、啓蒙しよう」などとは思わないということだ。

こう書くと、「世界の問題や政治の問題に無関心になるべき、ということか!」と解釈をする人がいそうだが、社会や政治に関心があることは、他人の主義思想を否定する、誤っている(と自分が勝手に決めつけている)他人を罰しないといけない、ということではない。社会や政治の問題に愚痴をいうことが関心を持っている証拠ではない。政治への愚痴はネタのない時に共感されやすい最後のコンテンツ。そして、そもそもSNSという僅か数文字をもって、赤の他人の行為や言動を理解し、正しいかどうかなど判断できるわけがない。

まあ、ややこしく書いているが、要するに赤の他人の話などスルーすればいいのだ。

という本を読んだ後1週間過ごしてみた。するとどうだろう、なんと心理的に楽なことか。SNSに限らず、わざわざ自分で余計な心の疲れを生み出していることが実感としてよくわかった。

具体例として、この1週間のXでのタイムラインでの投稿を思い出して、記録にとどめておく。

 

1 都知事選後の当選者、落選者2名の言動に関する投稿

→どうでもいい。

候補者がSNSで投稿をしても文句をいい、SNSに投稿しなかったら文句をいい、テレビにでても文句を言う。実際の都政の運営で害をなしているわけでもない。そもそも自分は都民ではない。

繰り返すが、政治に関心があるということは、人を否定することではない。

2 アメリカ大統領選における銃撃事件

→どうしようもない。

他国の候補者が暗殺されそうになったとして、私個人がなにかできるわけではない。これでトランプ元大統領が大統領に返り咲くことが確実になった、と推測している投稿が多々散見される。予想すること自体は否定しないが、やれ自作自演の陰謀論まで発展していてどうしようもない。そもそもトランプ氏が大統領に再選することを歓迎しないからと言って、アメリカ合衆国有権者の判断を正しい方に導こうという主張をする輩がテレビを中心にいるようだが、これこそ内政干渉だ。

そもそもアメリカであろうとも、東京都であろうとも民主主義はその政治的リーダーを国民、住民が選挙で選ぶ。選ばれた候補者が自分の意に反したからといって、投票した有権者を否定する投稿をするのは、選挙自体を否定するのは自分が正しいと思う人が選ばれるべき、という思い上がりが背景にあるし、権威主義、君主主義に繋がる思想だとわかっているのだろうか。こういった投稿は無視するのが健全である。

3 某ゲームでの黒人奴隷騒動

→どうでもいい。

日本の歴史を歪めたり、過去の日本人の行動を偽ったりしていとしたら問題ではあるが、実際そのゲームをしたことがあるのか?わざわざその事実を知るために情報招集をする必要がない、という意味で、私がどうこうする問題ではない。

4 オリンピック候補者の未成年の喫煙に関する出場辞退

→どうでもいい。

ひとりの未成年の人生に関して心を配ることを否定するつもりはない。だが、実際問題、SNSで運営を投稿している人達は当事者たちの何を知っているのか?どんな情報を知っているのか?過去の経緯は?周りへの影響がないと、今回が初版だとどうして決めつけられる?その判断に賛否をいえるほどの関係者”たち”の情報を知っているのか?そもそもその選手を報道される前から知っていて発言しているのか?単なる喫煙問題を、裏金問題と同じテーブルに並べるなど意味不明である。ちなみに裏金問題にくっつける人は不起訴になった人までも犯罪者と決めつけており、これこそ名誉棄損、誹謗中傷ではないか?

この決定に至った事実を知るために、またオリンピック直前のこの時期に喫煙が発覚するタイミングについては、色々と妄想が広がるだろうが、根拠なき妄想を展開するのは「あなたの感想ですよね?」と済まされない、個人のプライバシーの侵害や、根拠なき誹謗中傷に繋がりかねない。だったら下種なマスコミのように未成年のプライベートを調べるのか?どんな権限で?組織の判断が正しいかどうか、赤の他人が、自分が納得するために、エビデンスが必要だからだとプライベートを晒すことを要求するのか?そう言った意味で「赤の他人が、その判断に関与する問題ではない」

なお、SNSのタイムラインで表示されるのはいつもの連中。つまりこの選手のことを思ってのことではなく、自分のための投稿。そしてミドルメディアのPV稼ぎ。選手のことや周りの人のことを思っているわけではなく、選手より団体の方を叩いた方が”いいね”が得らえるという打算が働いている。彼らの推論や私見に踊らされる必要はないだろう。

5 某知事のパワハラ等の疑惑

→どうしようもない。

当たり前だが、人が1人亡くなっている以上、「どうでもいい」問題ではない。だが、すでに百条委員会が調べて始めているようだし、当然「権力を監視すべき」マスメディアも調べているだろうし、県会議員も県職員も同様だろう。真実が明らかになってから、最終的に判断することである。情報を収集することは否定しないが「県民でない私がどうこう言う問題ではない」

 

とまあ、こんな風だ。「どうでもいい」と書いたが、当事者を否定しているわけではない。私個人がSNSを見て反応する必要がないし、私が「けしからん」と怒りをもって投稿する必要はない、ということだ。

「右から左へ受け流せばいい」話だ。第一、上記に列挙したのはたまたまタイムラインとかでニュースをみたかどうかの違いであって、タイミングで知らない人もいるだろうし、私がしらないニュースもあるだろう。だが私が知ってどうなるということでもあるまい。

と考えると、読んでもずいぶん気が楽になった。余計なストレスがなくなった。そもそも話題性のあることは、悪事、自分と意見が相違する誰か、または過ちを犯した誰かを見つけ出して「けしからん」と叩ける内容のものがほとんどである、と改めて気づかされた次第である。

そんな「どうでもいい」SNSをどうしてみるのか?と思われるかもしれないが、正直待ち時間や昼休みの空いた時間の「時間つぶし」の時しか読んでいないのが実情である。自由な時間は自分がしたいこと、自分ができることに時間を費やしている。

ただ、インターネットは玉石混合。自分の知らない面白い話や興味深い話に出会ったりするために読んでいる。愚痴を読むために読んでいるわけではない。

ただ投稿者が愚痴をいってはいけないわけではない。愚痴るのも精神的なリカバリーとしてアリだと思っているから、その愚痴に関係ない自分が文句をいわれたわけではない赤の他人が反論したりする方が人としてどうかと思う。

ただ、ブログを書いてみて思う。本を読んでみて思う。意見を全部聞いたからといって分かり合えるとまでは思っていないが、SNSや「切り抜き」動画はあまりにも説明が足りない。短すぎて誤解が生じているし、よりインパクトを残すために、強い言葉で人を否定し、行動を否定するほうが増えるから見たほうも自己を否定するかのような発言を捨て置けず、対立が生まれているのだとつくづく思う。