巧遅は拙速に如かず

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

ストレス脳 書評:脳は生き残ること最優先

今回の記事は、「ストレス脳」という本の書評である。

「ストレス脳」は「スマホ脳」という本で一躍注目を集めたスウェーデン精神科医である著者の本である。

スマホ脳では、スマホの危険性、タブレット端末での学習効果が低いことにスポットを当てた本であった。スマホの危険性を述べた本は何冊か見たことがあるが、この本が一番有名なのではないか?また、スマホが原因となる心身の不調、というと、SNSでの誹謗中傷や夜間のブルーライト、ストレートネックが有名であるが、この著者はそこにスポットを当てたわけではないというところがポイントであった。

そのスマホ脳で有名になった著者の本は何冊か翻訳、出版されている。その中で今回は「ストレス脳」という本を読んだので、それについての感想を書いてみたい。

尚、以前から書評を書いてみたが、実際書評を書こうと思うと、どうも本を読むのが面白くないと思えている自分がいる。というのも、書いている内容を、正確に理解し、言葉を記憶しようとしていて、純粋に本を良む楽しさ、本をめくっていく楽しさというのが二の次になっているような気がするのである。そもそも「書評を書く」って日本語として正しいのか?

私は書評の評論家ではない。紹介者でもない。よって本の中身を正確に提示するのはそれを生業とする人に任せて、いち読者としての感想や、記憶に残った部分を述べればよいのではないかと思うに至った。よって以下の内容は私の記憶違いもあるし、誤解もあるかもしれないが、感想重視で記事にしたいと思う。

それでもやはり内容のネタバレが含まれるので、ここで一旦区切る。

 

この本で作者の言いたいことは、一言で表現できるほどわかりやすい。

脳はすべて「生き残るために」活動している、ということである。

不安になるのも、うつになるのも、PTSDになるのも脳が「生き残るため」に最優先して、動いているからである。そして、脳の判断は狩猟時代のヒトから受け継いだものであり、その判断は現代社会において最善の策ではない。だから現代においてはかえって不都合な働きをする場合があるのである。

以上。

・・・

と、これではつまらないので、もう少し内容について触れてみる。

本の内容について

著者は精神科医である。本の中では科学的なエビデンスをもって説明されているし、まだ十分なエビデンスが手に入っていない段階のものでは、今あるデータをもって、著者の推論と断りを入れて述べている。根拠なき非科学的な警鐘本、個人のエッセイではない。

ただ、科学的医学的な面に焦点を当てており、現代の労働問題や社会問題はこの本では論じていない。よって、例えば職場、学校での人間関係の個別の問題の解決となる本ではない。

うつについて

うつになる原因については、これまで本人の性格が原因、人間関係が原因、心ではなく脳、特にセロトニンなどの脳内物質の問題へと展開してきたが、この本ではさらに研究がすすんでいると感じた。

著者が一番最初に断っていたのが、”うつ”というのは、特定の単純な原因をもって発生するのではない、ということである。〇〇が原因である、と簡単に原因を特定できない。

ストレス耐性だけではない、長期ストレスだけではない、遺伝子だけではない、セロトニン、アドレナリン、ドーパミンなどの脳内物質だけではない。これらは原因のひとつであり、まだ発生原因となる遺伝子は科学的に1つと特定されていないし、うつというのは色々な要素が絡み合って発生している、ということだ。

ただ、著者としては、脳がもつ免疫機能として、感染症への対処と同じように防御反応として引き起こす面を指摘したいようだ。また、以下の事柄がうつの発生リスクを高めたり低めたりすると提示している。

リスク増加:長期間のストレス、睡眠不足、感染症、孤独、SNS

リスク減少:運動

孤独、運動、SNSがこの著者がこの本で強調する重要点である。

脳が「生き残るため」に働いた結果、といわれると1人の人間としてどうしようもない結論に思える。ただ、作者は遺伝子を理由とした「宿命的」な結論を持つことにも警鐘を鳴らす。遺伝子的に仕方がない、とあきらめることのリスクも本の中で述べている。

正しい知識を得ることと、遺伝子はあくまで病気が発生するリスクの高さの話であって、遺伝子で未来が決まっているわけではない。運動や食事や日常生活、労働環境などの本人の努力と選択でなんとでもそのリスクは下げられること(何もしなけば遺伝子上リスクが低くても発病する)を指摘している。

SNSのリスクについて

著者は、ティーンエイジャーのメンタル不調の原因の一つとして、SNSをリスク要因として挙げている。これは「スマホ脳」でも取り上げているが、その根拠はインスタグラムの運営元がデータを開示していないこともあり、充分な科学的なデータをもっていないと断っている。

ただし、ティーンエイジャーでも男子と女子とを比較して女子の方がメンタル不調に陥っている率が高いことは確かだそうだ。そして、スマホでなにを利用しているかと言うと、男子はゲームの割合が高いが、女子はSNSの利用が圧倒的に高いというデータを著者が提示している。

なぜ、SNSの利用がメンタル不調に陥る原因となるのか?

それは、人間は他者との比較で、自分が他と劣っていると認識した時に精神的に不調になるからである。そして、インスタグラムでは投稿者がいかに自分が有意義な日々を過ごしているか、素敵な恰好をしているか、どれだけ成功したかなど、自分の優位性を競い合い、そしてマウントを取り合う。

これを科学的にいうと、マウントを取るという行為、ヒエラルキーにおける地位が高いとセロトニンのレベルが上がるそうだ。そして、ヒエラルキーの地位が下がるとセロトニンのレベルが下がっていく。そしてセロトニンの量はうつの原因のひとつであることは間違いないだろう。

スマホのない頃は、そんなヒエラルキーは実際に出会う人としか限定されなかった。しかしスマホができて、SNSができて、誰でも情報発信できる時代になって、インフルエンサーが登場し、成功している人、素敵な人、賢い人、人気のある人の投稿を見続ければ、閲覧者が自分がヒエラルキーの下へ下へと落ちていくように感じられ、セロトニンが減少し多くの人の精神状態が悪化する。

だからSNSの利用は、メンタル不調の原因となる、というのが著者の主張である。

ここからは私の感想。

SNSで他者を非難する行為は、自分の優位性を高めしたい、ヒエラルキーを変えたいという本能なのかもしれない。

科学者でもない人でもSNSの危険性を訴えるのは、こういうことであろう。誹謗中傷する人というのは被害者意識から意見をいっているだけ、という調査結果があるらしい、それはその投稿がだれかのマウントを取った投稿であり、その投稿は、閲覧者から見て、投稿者より閲覧者は劣っているという意識が感じられる、ということだろう。

SNSに時間を使うならば、ゲームをした方が精神的には不調にならない、ということである。暇つぶしや空き時間は、SNSよりソシャゲでもしていた方が、精神的によいかもしれない。社会的にはいい大人がゲームをしていると評価されないが、SNSを見ているよりはずっと良いかもしれない。

ちなみに私は、インフルエンサーと呼ばれる人に憧れたことがないし、日本でインフルエンサーと呼ばれる人大体イメージするのは悪口をいったり極論をいって注目と閲覧回数を集めたいだけの人という認識でしかないし、彼ら彼女らより稼ぎは少ないだろうが、人間として彼らより下だと思ったことがないので、著者のいうインフルエンサーと比較して下に思えて不調になるという事例が思い浮かばず、あまりピンときていない。

え、著者のいうインフルエンサーはインスタグラムのインフルエンサーで、セレブたちではないかって?インスタグラムは見ていないから知らない。

幸福は他者との比較で発生する

著者は一般的な「幸せになりたい」という意識に警鐘を鳴らす。真に幸せになりたいならば「幸福」について考えないことが幸せだ、という主張をする。

それはなぜか?

幸福は自己満足、単なる一つの行為だけをみて感じるものではない。

他人との比較、事前の期待値(予想)との比較、過去との比較で感じるものだからである。

著者はいう。自分がアウディを買ったという幸福は、隣の家にテスラの高級車が納車された時にその幸福は終わるだろうと。他者と比較するから幸福はいつかは他者の手によって終わるからだ。

脳は生き残ること最優先。幸福の最大化、幸福の持続を目的としていない。幸福と言う一時的な快楽など知ったことではない。

では個人の生き方としてどうしたらいいかは、著者の意見は本の中で書いてある。だがそれはあとがきでも隠しているし、ネタバレ過ぎるので辞めておく。

最後に:感想

さて、この本で私が一番に記憶に残ったことと言えば

「幸福は他者との比較で発生する」
「自分がヒエラルキーのトップにいるということで精神的に満足感を得られる」
という話であった。

「なぜ、こいつは他者を貶めたり、自分の優位性をアピールするのだろう」
「なぜ、こいつは自慢話ばかりするのだろう」

と疑問を持っていたが、その言動によりセロトニンが放出されて満足感を得られる、という生物としての本能だと思えば、無駄な怒りは減っていくものだ。道徳的な話をしても、問題は全面解決しない。

尚、この本の中では、孤独、運動についての記述がかなりを占めるが、この書評ではあまり触れない。というのも

孤独については、確かにそうであるかもしれない記述ではあるが、私の実体験として、メンタル不調は周りから人が去り孤独になった後に治ったため、私としては全面的に賛同しがたいから。孤独を避けようとしたせいで、人間関係を残そうとする方がかえっておかしくなる場合もあると私は思っている。

また運動については私は普段からしているので、この本を読むにあたり記憶に残っていないからである。

最後に。

単なる本の感想ならば簡単なのだが、記憶違いの箇所、誤解している箇所、ネタバレすぎではないかと気にし始めるとやはり上手く書けない。かといってメモとして残しておきたい箇所もあるのでそこを中心に書いた方がよいのかもしれないが、それはやはりブログではなく、日記か本に印でもつけておいた方がいいのかもしれない。

 

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