政治的な話は避けようとしているのだが、日経新聞の記事のみだしの挑発に乗ってみる。といっても中身は有料だから読んでいない。そんな釣りにひっかかって金を払うか、ボケ。だが記事のテーマだけをネタにした「就職氷河期世代と少子化対策」についてちょっと書きたくなったので、記事にしてみる。
岸田総理大臣は「異次元の少子化対策」と発言していたが、本当に「異次元」、つまり普通の考え、官僚や政治家や有識者や一般人が思いつくような「案」ではもう対応は不可能だという意味だと私は捉えている。
もう、常識の範囲外というか、あっと驚くようなものか、国民全体もしくは一部に多大の負担や犠牲を強いるぐらいでないと解決には向かわないだろう。
今より多少なりとも出生率を改善する、というのならば可能だろう。
移民を増やすことで日本に住む人間の数を増やすことは可能だろう。
国は育児休業などで育児に関するお金のバラマキをしているので、その効果はあるかもしれないし、一部の自治体に限れば改善は可能だろう。(他の自治体から転居させているに過ぎないという批判もあるが、何もしないよりは自治体よりはましである。)
だが、今から短期間で抜本的に日本国全体の少子化問題を解決させることは不可能だろう。
ましては出生率を数年以内に2以上にあげるとか、今すぐ少子高齢化を止めるとか、労働者人口の不足を解消するとか、社会保障として老人を支えられるほどの若者の人数を確保するとかは到底無理であろう。あと10年後には第二次ベビーブームの世代が60歳代に突入する。今生まれる子供が爆発的に増えても、その子供が成人になるまでには、少子高齢化の進展で財政的に破綻するか、世代対立の激化、治安の悪化、貧困の悪化、生活基盤を支えるエッセンシャルワーカーと呼ばれる労働者不足で日本は恐らく貧困国家となり、自治体によってはそこで生活するのは困難となるであろう。
しかも国は異次元の少子化対策と言いながら、育児について一部にバラマキをしつつも、その財源として税金を増やすようなこともできず、今の老人には負担を求めず、なぜか現役世代の社会保険料に上乗せして対応しようとしている。”増税メ〇ネ”と言われないがための浅はかな小細工をすることが「異次元」の対策ではなかろうに。そのうち、高齢者の定義を80歳からとかにして解決した、とか言い始めるかもしれない。
日本国全体として衰退するのは確実だ。どんな状況に落ちいっても、どんな時代でも生きていける人、稼ぐ能力のある人は一定数いるだろうが、日本全体としては低福祉高負担として稼いだお金は殆ど国や年寄りに取られてしまうだろう。高齢者も人数の増加で一人当たりの年金は減る。現役世代も高齢者も未成年も不平不満は溜まり、富裕層と稼げる若者は日本から脱出するだろう。
だが、私はもう日本国として衰退していっても致し方ない、それはもう事実として受け入れて生きていくしかないのでは?と思っている。
貧困化し、世代対立、男女対立もひどくなっていくが、日本人が”全滅”することはないだろう。
さて、前提はこれまでとして、本題に話をうつす。どうしてこんなひどいことになってしまったのか?
それは、第二次ベビーブームとその次の世代が就職氷河期に襲われ、第三次ベビーブームを生み出せなかったことだ。就職氷河期世代やその後のリーマンショックまでの期間の結婚適齢期の若者が子どもをつくらなかったことだ。出生率は下がるし、その世代の子どもの人数までも減ってしまったことだ。そして、その事実を把握しながらもなんら国が有効な対策を打てなかったからだと思う。もう時既に遅しだと思う。
就職氷河期世代が、その世代のかなりの割合が安定な職に就けず、また低賃金に甘んじることになったのは、バブル崩壊後、金融危機の時に、国と経済界が、その時点で安定的な職を維持していた年代の生活を優先し、就職氷河期世代を切り捨てた結果だ。
安定な基盤、将来の展望が描けなければ、多くの人は結婚には踏み切れない。晩婚化、非婚化が進み、自分たちが今生き残るのに精一杯な時に、子どもを育てる経済的、精神的余裕のある人は就職氷河期以前の世代より少なかったはずだ。
あの時の経済状態で、あの経済政策をとって、なぜ人口が減少しないと思うのか?あの経済政策をとった時点で、当時から問題とされていた少子高齢化が加速、悪化することは一般人でも明白であった。後の世代の犠牲がわかっていながら、それ以降の世代が苦しむことがわかっていながら、団塊の世代やバブル期世代を優先した結果だ。中間層のボリュームが減った結果だ。
「少子高齢化」がすすんだのは経済状況や経済政策から見て当然の結果である。どこかのアパレル会社のトップが偉そうに日本が滅ぶとかいっているそうだが、日本人を滅ぼしかねない原因を作った原因、お前もその原因を作った一員だ、と言いたい。
たまに、その結果を政治家のせいだ、国民が政治に参加しなかったせいという意見をいう人を見かけることがあるが、あの就職氷河期が始まった頃、国民は結構政治に参加していた。
ちょうど「劇場型政治」の生みの親ともいえる小泉総理大臣の政権を支持し、彼のブレーンである竹中平蔵氏を代表格とする経済政策、派遣社員と非正規社員の増加を承認した。
「米百俵」とかいって今我慢することを叫ぶ小泉総理大臣に熱狂し、我慢するといっても、ちょうど就職しようとする若者に我慢を押し付けることにほかならなかった。若者の就職先を閉ざす政策を拍手喝采で承認した。そして国民の怒りの矛先を公務員に向け、郵政民営化することだけで、なぜか日本が再生するのかのような幻想を振りまいた。今考えれば意味不能だが、その時代に生きた人間としては劇場型政治に踊らされて小泉総理大臣に選挙という正当な手続きを経て彼らは国民の負託を受けてその政策を遂行した。だから政治家だけのせいではない。有権者も原因で、日本国民の大多数が選択した結果が今の「少子高齢化」だ。
今、兵庫県知事の問題がクローズアップしているが、その兵庫県知事を誕生させたのは誰か?兵庫県に住む有権者だ。維新という劇場型政治に”また”踊らされて、兵庫県の有権者が選択した結果として、県職員の自死を招いた。報道が正しいとするならば、知事は相当な問題を抱えているが、その知事を選んだ有権者も同様にその結果責任を受け止めなければならない。自分たちの選択が2人の人間を死を選ぶまで追い詰めた、その事実を忘れてはいけない。
今の自民党の総裁選挙だってそうだ。政党のトップを選ぶのはその党員が決めることではあるが、なぜ、その小泉元総理大臣の息子を評価するのか?彼が総理大臣になったら政策的にどんなことをしたいのか、またどんなことをこれまで実現したか理解したうえで評価しているのか?単に息子として知名度のある政治家を再び選ぶという愚行をまた繰り返すのか?
当時、有権者ではなかった未成年者や誕生していなかった子供は自分たちはその選挙権もなかったと反論したい気持ちもあるであろう。気の毒ではあるが、自民党の総裁選びの国民の人気をみるに今の有権者もたいして変わるまい。さきほどの兵庫県知事もそうだが、YouTubeとか、ショート動画のイメージだけで参議院議員や、都知事の候補者を選んでいるぐらいの有権者なのだから、過去の有権者を責められまい。
なぜ少子化になったかの分析は有識者が既にしているだろうし、日本の優秀な官僚はその原因はとっくに掴めているはずだ。おそらく対応策も手の施しようのあった何十年前なら政策立案はできただろう。ただ、行政の責任者がその案を取らなかった。恐らく、一部の国民の犠牲や負担が避けられず、次の選挙で負ける可能性が高い案だったのだろう、何も行動をしなかった。少子高齢化の対策がわからなかったのではなく、その対策への反発を恐れて、何も行動しなかった、方が正しいであろう。
尚、今一番人口が多いのが、この百年間ぐらいで一番貧しかったであろう戦後直後の生まれ、いわゆる団塊の世代であることから、経済的豊かさと少子化は一致しないという反対意見もあろう。
そもそも現状と戦後直後を単純比較すること自体が困難である。食べていくための手段として複数の子どもで家計を支える構造ではなくなったこと、子どもの病気死亡率が低下したこと、急に徴兵されなくなったこと、子ども一人一人の教育費の高騰したこと、子どもの世話が家庭単位から親1人2人の体制になったこと、女性の社会進出、子沢山が奨励された時と違う価値観、などが影響していると思う。
ただ私は、就職氷河期世代、それ以降の若者が将来に期待を持てない、というのが一番の原因だと思うだろう。経済的安定、または個人が蓄えた資産で、生活を維持できるほどの収入基盤を持ってから子どもを持つという考えが優先されているともいえるだろう。複数の子どもに対して全員大学までの教育費を賄える目途がたってから子どもを持つという認識を持っている人が多いともいえるだろう。
少子高齢化は日本国に限ったことではない。だが韓国の方が少子化が酷いという意見もある。韓国は過酷な競争社会で、将来に期待を持てないから子どもを生めないと考えている人が今多いからではないかと思うが、韓国や他の先進国、一人っ子政策をしていた中国よりも日本の方が先に少子高齢化が進む。他の国を見て、自分の国だけでない、どこの国も同じだと少子高齢化を生んだ問題を単純化し、自国の責任の所在をあいまいにするのではなく、まず自分たちの国の行く末を心配した方がいい。
尚、私は血統的な意味での日本人が減少していき、滅んだとしても別にいいと思っている。(積極的に自発的に死ねという意味では当然ない)
自分が病気で苦しんだときに日本国、日本国民は助けなかった。私も他の日本人の病気を助けられないのでそれは仕方がない。だが、メンタル疾患の患者を異常者と差別し、再就職も拒んできたその選民思想と、レールから落ちた人間への復帰を許さない国民性は今も変わらない。
非正規雇用や派遣社員が、人手不足ならばと正社員に応募しようとしても年齢で落とす。なぜ人手不足なのに雇わないのか?
理由は簡単だ。
今の自分の立場、待遇を守りたいから。
自分たちの言うことをきく人だけがほしいから。
自分達より上の立場になりかねない年上を雇いたくないから。
自分たちがやりたくない臭いにおいがつく”普通でない”仕事を押し付けたいから。
自分達が作ったルールに従わせたいから。
生活基盤を支える低賃金の労働者を底辺として見下したいから。
子どもが、若者が欲しいのではない。替えのきく、言うことをきく”奴隷”が欲しい。
そんな国民たちを若者は冷静に見ている。我が子を年寄りの奴隷にするために子どもを生み育てない。自分を犠牲にしない。
こんな国の国民に少子高齢化を止められるわけがない。そんな国民性だからこそ少子高齢化が深刻化したのだ。そんな思想を持つ人間を入れ替えたほうがいい。
だからそんな日本国が少子高齢化で生活基盤も維持できなくなろうとも、労働者不足になろうとも、それでいいではないかと思う。自分たちの思想からきた、選挙で選んだ結果なのだから、甘んじてその結果を受け入れて当然ではないか。
これからの未来のある若者たちは、日本を立て直そうと思うより、こんな日本はいつでも捨てて他の国にいつでも移れるような国際社会で生き残れるスキルを磨いておいたほうがいいと思う。(なんのスキルもないのに海外に行っても無職になるだけであろう)
自分は戦争に行く気もない年寄を守るために、戦争に行かない世代の投票によって、自分や自分の子が戦争に道具としていかされる前に。