とあるテレビ番組で、自民党総裁選を取り上げていた。インタビュー形式の仕方を仕事場での「面接」形式にして、面接官と9人の応募者という形式をとっていた。
事実上の日本国のトップを決める総裁選を面接形式でやるとは…。
立候補者もよく怒らないな~、日本国のトップでさえも「面接」を受けるのかあ、いや面接を受けることを嫌がっていては人から選ばれないな~、面接という形式は、長所や自己アピール、人間性や性格について、他の人と比較する手段としてはアリなのかもな~、とも思いつつ、少しだけ見た。
そして、その「面接」の場面を見た時に、自身が面接官ならどのあたりを見るか、そして、最終的に実際選ばれる人はどの人か、そしてそれはどんな基準か、などと考えていた。
今回は、そんな記事。政治的な話ではないが、それでも政治家個人をある種デフォルメした形にもなるので、不謹慎な!と嫌がる人用に一旦改行。
- 前提として、組織のトップを選ぶ面接とする
- 評価は人によって分かれる
- 私だったら、柔軟な対応力、安定性、安心感を重視する
- 雑用も嫌がらない人柄、慕われる人間性、活気ある清潔感の若手、だが経験不足
- 過去のトップの後継者、巧みな話術、職務経験、但し周りと軋轢を生むリスクと問題社員が仲間にいる場合
- 経験豊富、でも他の応募者と比較して埋没してしまうと…
- 最前線で問題に立ち向かう、でも強引さが目立ち、部下や顧客に嫌われてしまったら…
- 実績充分、しかし、過去のトップから疎まれ、仲間も少ない
- 結局選ばれたのは、「よりましな人」
- 私が言いたいこと
- 最後に…本当にいいたいことは
前提として、組織のトップを選ぶ面接とする
まず、応募した役職が何かによって決まる。総理大臣として誰がいいか、という面接をする機会はないので、ここでは「とあるA部門のトップを公募して決める」としたい。
評価は人によって分かれる
結局のところ、総裁選でも国会議員票と党員票でかなりばらけて、かつ、決選投票でも1回目と結果が変わった。つまり、選び方によって、選ばれる人は変わるということだ。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないが、満場一致でこの人と決まることなど、人が人を選ぶ限りありえない、ということであり、最終判断は多数決か、権限を持つ人の判断になる。
私だったら、柔軟な対応力、安定性、安心感を重視する
前の政治の記事を読んだらわかるとおり、私だったらH氏を推す。
その理由は、これまでの職務経験だけではなく、急なピンチヒッターを問題なくこなせたこと実績であり、安定した実務能力、危機管理能力、柔軟性、よどみない回答。間違えなく有能。そしてどんなポジションも任せられる。その部署がなくなったりするなどで他部署に異動する場合になっても、どんな立場にたっても余剰人員にもならないし、不貞腐れて組織の妨害もしないだろう安心感。そして、能登水害での離脱という危機管理能力と判断能力に優れていることも証明した。この人物を選ばずして誰を選ぶのか?
ただ、人によって判断は分かれるであろう。最終的に4位だったということは、私は1位だと思っても、党員や国会議員の人は他の人が適任だと考えている人が多いということだ。
そして、それ自体を否定はしない。繰り返すが、評価する人によって判断はことなるのだから。
雑用も嫌がらない人柄、慕われる人間性、活気ある清潔感の若手、だが経験不足
新しいトップを迎える場合、刷新感を求める場合がある。また組織としては、これからの未来のことも考えて若い人に託したい。地方回りも辞さない人柄、同僚からも顧客からも慕われる人間性、人を惹きつける話術、そしてさわやかな見た目。これだけでも採用されるに値する。そんなK氏。
ただ職務経験が足りない。任せて大丈夫か、という不安感が残る。組織としては迎えたい人間としては間違いないが、トップとしてはどうだろうか?年上のだれかの言いなりにならないだろうか?
過去のトップの後継者、巧みな話術、職務経験、但し周りと軋轢を生むリスクと問題社員が仲間にいる場合
過去のトップが目をかけていた後継者であり、そのトップが行ってきた方針を引き継ぐ意思があり、またそれを実施できる能力もある。巧みな話術もあり、職務経験も申し分ない。
過去のトップと同様の成果を今後も期待したい人から見たら1位になってもなんの不思議もない。そんなT氏。
ただ、かなり頑固な性格。過去のトップと違い、同僚の評価もいまいち。過去のトップの時と状況は違う。自分の主義主張を曲げず、周りと軋轢を生み、部下がついてこない可能性もある。また現部署の問題社員からの支持があり、トップに据えれば問題社員が組織の幹部としてしまうのでは、という疑念がある。
経験豊富、でも他の応募者と比較して埋没してしまうと…
職務経験も実績も充分。応募者が数人だったら採用されるに値する。ただし、9人も面接すると、埋没してしまう人もいる。他の人よりも優れているとアピールしても、後からでは認知されない。
最前線で問題に立ち向かう、でも強引さが目立ち、部下や顧客に嫌われてしまったら…
誰もが嫌がる最前線で戦ってきたことは評価対象。だが、直近で、部下や顧客から不興を買った方針を強行してしまった人。部下や顧客からの意見にも耳を傾けない。そんなK氏。
実績充分、しかし、過去のトップから疎まれ、仲間も少ない
過去の実績は十分、論述も巧みで、安定性もある。しかし、過去にトップに公然と逆らい、トップを敵に回す。若い頃に一度退職した経験があった出戻りで、同僚からの信頼は今一つ。また評論家風で部下からの評価も今一つ。そんなI氏。
結局選ばれたのは、「よりましな人」
9人の応募の中で、書類選考により3人に絞られた。そこから人柄と若さがあるが、経験不足なK氏が時期尚早としてハズレ残り2人に。
過去のトップの後継者だが、頑固で他と軋轢を生み、かつ問題社員を抱えるT氏、実績豊富で安定性があるが過去のトップから毛嫌いされているI氏、どちらがいいか。
だれを選ぶかはその組織の中の人間が選ぶ。結局選ばれたのはI氏。過去のトップが毛嫌いし反対票もあったが、T氏が抱えるリスクを危ぶむ声の方が大きく、I氏が採用された。
どちらも反対する人がいる異例の事態だった。
私が言いたいこと
はたから見たら、なにが言いたくてこんなブログを書いたんだ、と思うかもしれない。私は別に中傷する気もないし、総裁選を茶化したりする気はない。
ただ言いたいのは、その選出に関して感じたことを述べたいだけだ。
まずは人の好き嫌いについて。
”嫌い”という表現を使うと、狭量なイメージが付きまとうが、人が人を嫌うにはなんらかの理由があるもの。危害を加えられた人、攻撃された人は一生、その相手を嫌うということ。その人にとっては、断固その人間を認めることはできないが、攻撃をされたわけではない他の人にとっては、不採用にする理由にはなりにくい。トップダウンで決める場合、この決める人に”嫌われること”は致命傷であるが、多数決で決める場合は影響は小さくなる。
また、どんなに能力があっても、外部の人、周りの人と軋轢を生みかねない思想や言動をしており、かつ、柔軟性に欠け、自分の方針に固執”しそうな”人間というのは、リスクがあるということだ。また、問題社員を幹部に採用しそう、というのも、組織の他の人間への悪影響もある。
また若い方がいい、というのもやはり、職務経験やそれに裏打ちされる回答能力があってこそ。トップは、最高責任者であり、対応で失敗すれば、組織が崩壊する場合がある。
結局言いたいのは、やはり、面接においても「よりまし」な人が選ばれる。若さだけではない。経験だけではない。能力だけではない。人間性だけではない。好かれそうな人物かどうかだけではない。色々な要素を含めて、よりましな人が選ばれるのだ。
聞きかじった話だが、日本国民がなぜ「自民党」に投票するのか?という問いで、「劣等民族だから」と答えたジャーナリストがいるらしい。それはブラックジョークなのか、話の流れをみてないのでわからないが、少なくとも「劣等」ではないだろう。
選挙結果というのか、各選挙区の中で、よりましな人、より信用が置ける人を有権者が選んだ結果が集約されたものだ。何者かよくわからないというのはリスクだ。未経験というのはリスクだ。実績があっても、自分に被害を加える可能性がある人はリスクだ。生物というのは、自分の危機が迫るリスクを避ける。
ところで、選挙で落選した人がその理由として「自分の力不足」と答える場合が非常に多い。恨み節で話すよりも好感が持てるし、「他人や周りに責任を転嫁する発言」は人としての魅力を下げる。
だが現実的に考えて「力不足」というのは言葉足らず。
原因を考えると、議論、公約、人柄、これまでの実績などを選挙前からの言動も踏まえてトータルに見て
「当選した人の方が、落選した人よりも、良い成果をあげてくれる、信用できる”だろう”という評価をされて、そして、間違ったこと、国や国民に不利益なことを、しな”さそう”という感情、つまり不安感、不信感を有権者に与えなかった」というのが正しいのではないか。
評価される人というのは、良い成果をあげてくれる期待感もあるが、悪い結果を招きそうにない不安を与えない、というのも基準になるのではないか。
そしてそう思われるのは、日々の言動の積み重ねによる信用を得ているということあろう。他の人に埋没してしまった人はその積み重ねが認知されていない、ともいえる。
(ちなみに参議院議員の全国区の比例選挙の個人名を書く場合や、地方議会の大選挙区はちょっと基準が異なると思う。)
最後に…本当にいいたいことは
と、ここまで書いてみたが、実は上記の結論は、つい1週間前、そして結果がでる1時間前には結論が変わっていた。
最初は、若いK氏が当選するだろうと思っていた。だから、結論は、能力や経験よりも、若さや人をより味方につける能力のある人が選ばれる、という予定だった。
1時間前は
自分が何をするのか、したいのか、その主義主張がはっきり明示できる人が選ばれる、という結論にする予定であった。
それが、最終的には上記の結論である。結果論にすぎないことを最初に書いた。
だから、本当に私がいいたいのは以下のとおりだ。
人が人に選ばれる絶対的な真理などない。その時々によって、ほんのわずかの差で選ばれるも変わる。人の意見も変わる。
だから、自分が選ばれるかどうかという、他人が決める基準を自分で勝手に決めつけて、予想してわかった気になるな、ということだ。
あと、少なくともこれだけはいえる。
手を挙げない限りは、チャレンジしない限りは選ばれない。
他人から選んでもらうのをただ待っていては永遠に選ばれない。
以上、政治的な話を含むお話はこれにてお開き。