巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

YouTubeと本、どちらが優れているか?(後編) 私見

少し前に、YouTube動画と読書の比較に関する記事を書いた。

それについての補足と、私見が今回の記事。

kesera22.hatenablog.com

前編の要点

・趣味に関する雑誌に関しては、最新情報の提供のタイミング、と掲載ページという制限がかかるという制約がある。この速度と量というハンデがあるためYouTubeに分があるのでは?

・最近、YouTubeやブログで有名になった一般人が本を書くようになった。つまり著者、投稿者が同じであり、提供されるものは同じだが、媒体が2つある状態(YouTube動画と本)。内容はおぼ同じなのに、”本”のほうがいい、”YouTube”の本がいい、と、どちらかの優位性を決めるのは、本とYouTubeのイメージに縛られているだけ。

YouTubeをはじめとするSNSは、おススメ機能、いわゆるエコチェーンバー現象、フィルターバブルという問題があり、情報が偏る。また、閲覧”数”重視なので、内容や質に比例しない、刺激度重視で閲覧”数”を稼いだものが表示されやすい。時間制限もある。といっても本もランキング形式で表示されるし、売り上げ重視。本が一概に優れているとも限らない。本屋に行って、自分の目で探してみるのがよい。

今回はそれ以外の補足。

文章が長くなったので、ここで一旦改行する。

前置き:あくまである程度の時間がとれる場合のお話

現代人は忙しい。働いて、家事をして、育児して、子育てをして…。昔と比較すれば、労働時間の短縮がされて、家事が自動化して時間が短縮化されたとしても、やはり忙しい。まとまった時間が思い通りにとれない場合も多々あろうし、もしまとまった時間があれば旅行などで外に出たいだろう。

そういう時間のとれない現代人において、YouTubeなどのSNSはその空いた時間を埋めるのに適している。手を他に動かしていても聞くことのできる短時間の動画や、なにかをしながらでも読める短文は持ってこいである。わざわざ、本をよっこらせ、と持ってきて座って読むのには時間が必要である。

だから、時間の使い方としてYouTubeのほうが適している、いや、そういう風に作っているといったほうがいいだろうか。

だから以下の分析は、あくまで時間がとれる場合の話である。まとまった時間がとれない場合は、スマホで視聴できる、置きっぱなしで流すことのできる、YouTubeやショート動画に分があるのは間違いないからである。

政治分野について

この分野については、断然本をお勧めする。但し、本のほうが優れているから、本のほうがいい、というわけではない。ただの個人の怨念を吐き出したもの、陰謀論、中身がスカスカの本もたくさんあるからである。

YouTubeには色々な分野の動画が数あれど、YouTubeの政治系動画は玉石混合がかなりひどい。視聴者数稼ぎのために、刺激的かつ攻撃かつ、キツイ表現で、特定の個人や政党を非難する。または、真偽不明の事実をもとにした動画があまりにも多すぎる。視聴数稼ぎのためサムネで誘導させる必要がある。面白そう、よりも、不安を煽り、怒りを誘発するサムネのほうが人間は気になるものだ。だからこそ、酷いサムネが多すぎる。

そこで私は政治系の動画や投稿をみたらすべてミュートかブロックか「興味がない」を押していた。すると、政治系のSNSはすべておススメされなくなった。

だが、そうなるとたまにタイムラインに表示されるタイムリーなトラブル以外は安全な投稿ばかりになった。平和がいい。…とはならないもので、批判しない、気を使った健全は投稿というのは刺激が足りない。興味がわかずSNSから離れていった。

それで気づいたのだ。政治という話題は、他者を否定するものは、他者を見下すことは、他人が起こすトラブルというのは、他人の醜聞というのは、人間の欲求を満たすものであると。

といっても、繰り返すが本のほうが優れているとも思っていない。先ほどいったように本はテレビとは違い、公平性を期す必要がないため、著者の政治的な主張を色濃く出すことができる。表現の自由がある。そして中道よりも、より右派、より左派的な攻撃的な断定的な意見のほうが目立つ。

正義の暴走、他者の排除。これが政治参加の名のもとに行われている。事実かどうかは関係ない。いや、事実など見る人によって解釈がかわるからだ。

だからといって、テレビや新聞が正しい、公平中立だとはいえない。TBSの報道特集を見れば明らかであろう。偏見、煽り、断罪、切り抜き、主観丸出し、視聴者見下しを隠す気がない。新聞のほうがテレビよりはマシである。テレビと比較して、最初から右か左かのスタンスが明確である。

とはいっても、政治から目を背けたほうがいいというわけではない。政治は自分の生活に直結する。お上任せで、文句だけをいっているのは、”飯をよこせ”と騒いでいる動物と大差ない。民主主義国家にいるならば、政治から目を背けていてはいけない。

政治に興味を示さなくても社会生活に影響がない、と思っている人は、平和で裕福に生きている証拠だ。その幸せに感謝したほうがいい。

そもそも、政治とは、人間が生きていくうえで発生する、個人や国家との隔たる主張や正義を”調整し、よりマシ”にするものあり、その”よりマシ”の判断が人や国によって異なるものなのだ。唯一無二の正義などない。正義は個人によって異なる。

またひとつの事実で、こうも人間によって解釈が異なるのか?というのが政治なんてよくわかる。

私は昔、メンタル疾患で休職中、活字を読むとすぐに疲労してしまうようになったからリハビリで図書館で新聞を複数同時読みしていた。

その時に、とある外交的な問題が発生したときに、読売、朝日、毎日、産経、地方新聞と読み比べた時に、「A国とB国の要人が会って、喧嘩になった」という同じ出来事であるのにこうも解釈が異なるのか?と驚いたことがある。ある新聞はA国が悪いといい、ある新聞はB国が悪い、という。それぐらい、人というのは思想信条で事実の解釈が変わってくる。

そして、なぜYouTubeを薦めないかというと、右左の極端な意見のほうばかりおすすめ表示されるからだ。しかも、拡散したい発言の”一部”を切り抜いて、自分の信じている意見を述べている人が反対意見を述べている人を”論破”しているかのような動画をあげているのである。

まあYouTubeやインターネットだけでは事実は掴めまい。そして、両論併記にYouTubeは向いていない。政治のことをより深く知りたいなら、近現代の歴史を踏まえて、複数の出来る限り意見の異なるものを読むほうがいい。

あと、最近のテレビではなぜ、参政党の立候補者や党首の発言に露骨に反発するのかと、自分には不思議に思っていたが、最近ふと気が付いた。

あれは自分が、SNSなどで「チー牛はガス室に送って抹殺せよ」とか「弱者男性が平日に一人で公理店にいるのを見て身の危険を感じた」とか「過去の総理大臣、〇〇大臣達への殺害予告」とかいう、ガチの差別発言、抹殺の意見をみているから、それほど過激に過激に感じないだけであろう。悪い意味で免疫ができている。

ちなみに、約10年ぐらい前は、維新の会(名前は時々で変わる)の創業者である橋本徹氏を盛んにテレビは叩いていたが、彼が政界を引退したとたんテレビで引っ張りだこだ。テレビなんて、視聴率が稼げればそれでいい。思想信条は二の次なので、テレビはYouTubeと大差ない。

勿論、実際に街頭演説を聞きに行って、演説者と周りの聴衆を見た人とは意見が変わってくると思う。*1

経済分野について

国家、企業、個人のベースで語られる経済分析、経営分析、成長、資産運用についてははっきり言って人によっていうことが異なる。

某著名経済学者がいかのような発言をしたことがある。

「経済については、100人の経済学者がいたら、101個の説がある」

ひとりひとり言うことが違うだけではない、1人でも複数の説をいう人間もいる、という皮肉である。

つまり、将来の話なんて誰もわからない。いや、企業、個人の状況、またその時その時で正しい選択は変わる。だから、絶対にわからない。

皮肉だが、本もYouTubeもその責任者ではない場合があるし、著名な経営者が書く、説明する経営方針だって、自社の場合に関しては、現在進行中のことは話さない場合もある。つまり、その発言を信じて自分に当てはめても、結果責任は伴わない。

国家も含めて、どうするかは視聴者の選択肢に委ねられる。国家は視聴者に関係ないだろう?と思うかもしれないが、直近の経済政策は、積極財政と緊縮財政、給付金か、減税か、と正反対の主張を候補者、政党は訴えていた。どの主張に賛同して、どの候補者、政党に国家運営を委託し投票するのか、という意味で国家財政の在り方も関わるからだ。

正解がないなら、政治家、官僚、経営学者、コンサルタント、金融機関の担当者にお任せ、といっても、結果で影響をうけるのは自分。

先のことはわからないからといって勉強しないのは意味がない。先のことはわからなくても、少なくとも勉強すれば、お金で騙される確率は大幅に減る。よくすることはわからないが、不安を煽る人間に騙されないためにも、正確な情報の収集と勉強は必要である。

ただ、”特定”の個人や主張だけ聞いてそれを盲目的に信じたりするのはどうかと思う。特に政治と経済の分野は幅広い意見を見たほうがいい。

たちが悪いのは「正解」をいっているのではなく、「あいつではなく自分の意見に従え」「俺が私が正しい」というは発信者個人の優越感を満たすことを優先しているのに、さも”エビデンス”があるかのように発言する者が結構いること。

エビデンス”がある、という発言者には、自分にとって都合のいい結果がでている研究結果を見つけて拾ってくる場合があり、エビデンス=万人にとっての絶対の正解、という意味ではない。特定の状況下で特定の場合成立した研究、調査結果に過ぎない。

政治と経済の分野は特に多くの意見に触れるほうがいいと思う。

商品購入の参考にする場合

雑誌では情報が遅い。自分が知りたい情報、種類が少ない。だからインターネットを参考にする。それは変わらない。本より商品紹介に関しては優れている場合が多い、と思っている。

だが、所詮は商品。テレビショッピングと構造は同じである。ネット通販のレビューとも同じである。

紹介する人が紹介する商品の製造販売会社からお金を貰っていようがいまいが、(いわゆる”案件”、PR動画)結局は同じ。投稿者の思考、意見がかなり左右する。

とある投稿者が言った。

「私と同じ価値観を持つ人かどうかで、この動画に賛同するかどうかは変わる」

つまり、その商品を買うかどうかの判断基準に、何を重視し、優先するか。デメリットをなくしていけば、メリットを増やせば、当然価格が高くなるが、だせる金額は人によって違う。購入に使える金銭の額も、求めるものも違うのに、万人にとっての正解な商品などあるはずがない。

私はパソコンに関しては、ネットの情報で判断したが、今年買ったものは、以前のものと比較して、改善したい点がはっきりしていたので、そこから候補が絞られた、という面がある。

逆に車を今年買い換えたのだが、インターネットを見る前に、実際ディーラーで実物を見てひとめぼれして、一度試乗して問題がないか確認した後、購入を即決した。インターネットは、そこに、自分の気になるマイナス材料がないかの確認である。

そして面白いもので、人は買いたい商品を決めている場合は、検索してもその商品を褒めている投稿を探しているものだ。批判している動画は二度と見ない。もう心の中で決めている以上は、見落としていた巨大なマイナス材料があった場合以外は、その情報で商品を購入を取りやめることなどない。

また、情報が多すぎて、何を買えばよくわからなくなる場合もある。

直近の私の場合はサングラス。夏場になって目が痛くなったので人に相談すると、どうやら紫外線の影響があると聞く。ということでサングラスをYouTubeで検索してみた。

すると、色々な投稿主から色々な情報がでるわでるわ。眼科、眼鏡屋、ファッションの専門家、車の専門家(運転用)、それぞれの専門家がそれぞれの意見を言っている。そのうち何個か見ていったら、どれもメリットデメリットを言い出して、結局それらの意見に合致するものを探していたら、夏が終わってしまう。目が痛いのに対処できない。

というわけで、生成AIで調べて、すすめられた商品を売っている店舗が出てきたので、店舗にいって、UVカット率だけ気にして、自分の好きなデザインを買った次第。

だから、インターネットで見て買うというのは、その一目ぼれするような知らない商品を紹介されているのを見るかどうか、ともいえる。商品購入のきっかけにYouTubeの投稿が入ってきた、というのが正しいだろう。

全部調べて、メリットデメリットを整理していたら、時間ばかりかかって買う機会を逃す。調べる時間をかけすぎると情報が早いというYouTubeのメリットを消してしまう。

ファッションについて

これについては一概にいえない。ファッション雑誌というのをいちいちお金を払って手にとるのも面倒な人もいるし、ファッション雑誌というのはえてして高額商品、ブランド品を紹介している場合が多い。つまり、ファッションに関する本は敷居が高いのである。

そこにYouTubeの登場でファッション関係の人が登場したことで新たな流れがでてきた。UNIQLO、GUを代表とするファストファッションの紹介をする人が増えたことで、服にあまりお金をかけたくはないが、低価格でよい商品は欲しい、というニーズに答えたのである。

だから、YouTubeの登場で、ファッション関係者は、新規の視聴者、消費者を獲得することができたし、購入する人も参考にしやすくなった。それに本より動画のほうがわかりやすいし、モデルのような体型でなくても自分が対象となる商品を探すための媒体が手に入ったのである。

一方で、問題もある。

オシャレというのは、希少価値である。他の人と同じではオシャレにはならない。ファストファッションでは希少価値がないのでオシャレとはみなされない。

そして、ファッションというのは、他の人とのマウント合戦、つまりどちらがファッション性と所得が優れているかの戦いの場でもある。

SNSは他人との比較を好み、対立を好み、他人を蔑み、自尊心と承認欲求を満たすための道具である。ファッションもまた、比較と対立と蔑みと自尊心と承認欲求を満たすための道具である。つまり、SNSとファッションは親和性が高い。

よって、視聴者数稼ぎのため大抵「猛烈にダサい」とか「マナー違反」とか「流行遅れ」とか「経済弱者」とか「童貞」という言葉を使って、誰かを蔑み興味を引こうとする。

プライベートのファッション以外にも、仕事着のファッションの動画もあるが、一部の投稿者がスーツ会社、スーツ販売店、デザイナー、アパレルメーカーの人間の中には、他人を蔑んで嘲笑う動画も出している。

参考になるが、SNS特有の差別主義満載の、政治関連に近いところもあるので、見る投稿者と動画は絞ったほうがいい、というのが私の感想だ。

私は、「流行遅れ」とか服自体の採点をするのはともかく、赤の他人を「ダサい」など見下す言葉をサムネで表示させる投稿者は、人としての品性がかけているので、基本ブロックしている。…そうすると、ほとんど見るものがなくなってしまった。

専門分野について

前回の記事で、YouTubeの推薦のなかに、専門書は除く、と投稿主が言っていたと書いた。まさにその通りで、専門書、つまりは専門的な分野、勉強するような分野については、YouTubeよりも書籍のほうがまだ優位であると思っている。

YouTubeは入門書である。実際は、金を払って、時間をかけて、手を動かして、脳を動かして、覚えて考えて、知識として増やす。動画の流し見をして、専門知識が増えるとは到底思えない。

そういえば、私は1年前は助成金の記事をよく書いていたが、YouTubeで調べれば、極端、話を簡略化しすぎ、一般化しすぎ、というのをよく見かけた。今も動画として残っているかは知らないが、法令などの改正によって今それを真似すると下手をすると不正受給の対象になりうるぞ?というような抜け道を案内しているものもあるので、そのまま信じないほうがいい。税金も同様。節税ではなく、脱税になりかねない情報提供もある。あくまで、入門、最初の道案内。

がっつり勉強するのには本。またはお金を払ったリアルタイムの講義。本は別に電子書籍でもいいかとは思うが、リアルタイムは別にネット媒体を使うのはいいとは思うが、YouTubeのようなオンデマンド配信”だけ”見て、それほど大きな価値があるのか?とは思う。講師側から見れば、自分が提供する情報が、お金を払っていない人に漏れるというリスクもある。ましては、無料のYouTubeで、有効性があるかというと…。え、芸能人や雑誌の編集者のオンラインサロン?……信仰の自由を侵してはいけないので、否定はしない。

あと専門家の意見や説明も、YouTubeの場合は、はっきり言って極端。がっちり、しっかり、記憶に残るような地味なものよりも、単発動画で断言したほうが視聴率が稼げる。閲覧数が伸びる。投稿主も慈善事業でやっているわけではないので、閲覧数を稼いで利益を増やさないといけない。そうなると、がっちりじっくり長時間かけて、というよりも、単発的な極論になる。

健康、特に食事関連について

健康に関する食事の話は、私は本もYouTubeも見ない。理由は簡単で、極端・極論のものが多すぎるからである。嘘ではないが、全員に当てはまることではない。

食事に関しては「バランスよく取る」。これがほとんどの人にとっての正解。アレルギーとか病気とかを除けば、これで結論がでている。過ぎたるは及ばざるがごとし。といっても病気の人もいるし体質もある。個人に合わせた対応が望ましいので、YouTubeより実際自分を診る医師等を信じたほうがよい。情報によって、不安を煽られるだけ。

小麦ダメ、米ダメ、肉ダメ、乳製品ダメ、炭水化物ダメ、高カロリーダメ、塩ダメ、砂糖ダメ、卵ダメ、化学調味料ダメ…もうね…。

勿論、正しいことを言っている人もいるだろうが、専門家でない一般人が見分けるのは困難。芸能人とかインフルエンサーが自身の経験談からいっていることを信じている人は…うん、まあ、個人の自由だよね。

そもそも医師という肩書をもっていても、最悪の場合を紹介している人もいる。一部の例をとって、単純化・極端化している動画もある。医療に携わる知人にいわせれば、「大げさ、極端、誇大表現」な不安を煽るものもある。医師に限らず、肩書だけで鵜呑みにしてはいけない。(ただし、YouTubeよりも、本やテレビの健康番組のほうが酷い場合もある。)

投資その他

最近だと「金融リテラシー」とかがYouTubeとかではやっているが、金融知識をYouTubeで学ぼうとすると、変なところに誘導するサイトがある。「金融リテラシー」自体は重要だが、危険なところはよりつかない。

専門ではなく、「へー」といえる、豆知識程度。パソコンの操作に関するピンポイント学習とかはアリだと思うので、学習内容によってケースバイケースだと思うが、全般的に言えば、専門書を買うか、専門学校に行ったほうがいい。

ショート動画について

これについては断言する。ショート動画は時間泥棒である。作成者の知恵が凝縮されて、どうすれば見てもらえるか工夫の余地が感じられるし、面白いように作っているし、動画作成を業としている人や企業のSNS担当者なら参考になるものも多いだろうが、一般大衆にとって見たら、あとになって、「あの時間は何だっけ?」と思う時間泥棒である。

つまり、人生の無駄遣い。

ちなみに政治系、芸能系、インフルエンサーの発言集(切り抜き)に関しては、真偽不明、極端、大げさ、紛らわしい、論破、怒りと不安を誘発するものが多数でてくるので、私はショート動画は積極的には見ないようにしている。(それでも流れてくるが)

いつ自分の番が来るかわからない病院や電車やバスなどの待ち時間の暇つぶしと割り切るならば、アリだと思うが。

尚、人生の無駄使いといったが、人生には無駄遣いは必要である。無駄遣いバンザイ。

有益なことしかしない人間というのは、息抜きもできないし休息もできない。休めない人間はどこかで潰れて、もっと大きな人生の時間の無駄使いをすることになる。

ただ、他者を否定して、己のつまらない人生の憂さ晴らしをして、溜飲を下げる行為が人生に必要かどうかは、言うまでもなかろう。

*1:(ちなみに私は参政党支持者ではない。党首がうちの県に来たのかもわからないし、公約もよくわからない。開票日に20時ジャストで当選確実がでる、マスメディアによって投票価値のない地域にさせられたところに住んでいる者である。)