巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

書評を書いてみての感想。それは意外と本の内容を覚えていないこと。

タイトル通りの話。このブログでは、自分の文章能力向上のため、読んだ本の書評を書いている。「書評」というタグを見てもらえればわかるが、この3年ぐらいでかなり上達したのではないかと自画自賛している。

ぶっちゃけ、チャットGPTに聞けば、あらすじを簡単にまとめてくれる。有名どころの本は、ネットを探せばいくらでもあらすじをまとめた記事や動画はたくさん見つかる。単なるあらすじを書いても需要はない。だから、私見(感想)も含めて書くようにしている。

そして、別の問題に直面している。それは書評をブログに上げようと思って、記事を書いていると、その内容が思い出せないのだ。

たしかにちょっと難しめの本に移っていることは事実。また、ネタバレをしないよう中身を書かないようにしていたのを、自分の記憶をアウトプットして忘れないように、結末だけは書かずにその途中まではまとめて書く方針に変えたら、途端に書けなくなった。

何故かと自問自答した。自分が理解していない、一気に読まずに、空いた時間で読んでいるから覚えていないのだろうと思っていた。

だが、最近前読んだ本をまた読むようになって気づいた。単に忘れているのである。

いや違う。もともと、本のすべてを1回読んだだけで覚えることなど、凡人には不可能なのだと。

その原因を掴めたのは、一つの書評の動画。その動画では本で言いたいことを3つに絞って紹介していた。その理由はずばり、本を読んでも30%ぐらいしか人間は覚えていないそうだ。だから、3つに絞る。3つ書けば確率論的に1つは覚えているはず。だから3つに絞って書くそうだ。

それで理解した。忘れているのではない。そもそも覚えていないのだ。だから書評を書こうとしたら、随時書いていくか、本を傍らに置いて読んでアウトプットしていくのが正解なのだと。

何がいいたいのかって?今回の記事は以下のことを覚えてかえっていってください。

「大抵の人は聞いたこと、読んだことの3割しか記憶に残っていない。」