巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

情報や意見を公に発信したら、聞いた人の一定数から批判されるもの

前回の記事で、「残クレアルファード」についてもう一度確認するため、YouTubeで検索したところ、興味深い動画を見つけた。

そのまま引用すればいいのだが、今日検索するともう出てこない。だが、だいたい以下のような話であったので、メモ代わりにブログに残しておこうと思う。

意見を公に発信すれば、誰かから批判されるものである

SNS全盛の時代、閲覧者数に差はあれども、スマホ、パソコンがあれば誰でも世に自分の意見を表明できるようになった。芸能人でなくても、テレビに出る人でなくても、ライター、ジャーナリストでもなくても、マスコミ業界に身をおかなくても、誰でも自分の意見を他人に向かって話すことができる。

情報発信者や、より多くの人にその情報、意見を見てもらう、聞いてもらうことで収入を稼げる。(情報は品者に限らず、自分のパフォーマンス(スポーツ、芸)で多くの観客を呼べる人も同じく収入を稼げる人であり、その一方、多くの人が見れば、当然一定数はそのパフォーマンスに否定的な感情をもつ人もいるが、話がわかりづらくなるので、以下、情報発信者のみの話とする)

一方、閲覧数が多り、聞く人、見る人が増えると、その一定数の人から批判されるようになる。

これは、見る人が多くなれば避けられない事象である。見る人が増えると、必ずその中には、発信者と意見の異なる人が、その情報や意見の発信を見る、聞くことになる機会が増えるからである。

批判する人は、自分を攻撃してきたと思うから反撃する

そうやって批判されたら、発信者の中には、批判する人はアンチという決めつけをするう人がいる。それは物事を単純化しすぎている。たしかにアンチはいよう。だが批判される、ということは多くの人が自分の意見を見た、聞いたということ、そして何より、相手の心に響いた発言だということである。どうでもいい意見や情報は誰も反応しない。そしてネガティブな感情を抱かせるような、相手の生き方や考え方を否定する意見や情報のほうがより、心に響くものである。つまり、傷つく。傷ついた人は、会ったこともない他人から人間から攻撃された、批判された、否定されたと受け止める。

以前の記事で書いたが、別に相手を貶める意見や情報に限らない。「事実」を述べても誰かの自尊心を傷つける場合がある。

一切批判されたくないならば、情報を発信しなければよい

芸能人のなかには、自身の知名度を利用しつつ、SNSで意見を発信して多くの人にその意見を知らせている。上記のとおり、多くの人が見れば、一定数は反発する。反発する人に対して「嫌なら自分のSNSを見るな」という人がいるが、それは無理な話である。

あなたが自分の意見を世の中に発信したのである。世の人に自分の意見を聞かせたのである。限られた人に対してでない。仲間うちだけに話したのではない。現実社会で会う人だけに話したわけではない。

その意見を遮断していない以上、自分の意見に対して批判をすることを止めさせることはできない。相手も好きであなたの意見を聞いたわけではない。SNSやニュースの構造上、強制的にその意見や情報を利かされた人もいる。不快にさせ、怒らせたわけである。

批判されるのが嫌ならば、不特定多数に意見をいわなければいい。つまり、SNSでは当たり障りのないことをいい、自慢話や他人を批判しなければいい話である。

聞き手の受け取り方をコントールすることはできない

相手の受け取り方が悪い、と考える人が一定数いる。

だが、自分の発した意見をどうとらえるかは、聞き手に委ねられる。発信者がコントロールできるものではない。自分に対する批判の意見と相手が捉えたら、反発して批判し返してくることを止めることはできない。アンチだから、嫉妬しているから、でなく、喧嘩を売られたら買った、という人もいる。批判されたから反論したまでのこと。

自分はその特定の人の批判をした覚えはない、と考える人もいる。それも同じ理由。自分の発言をどうとらえるかは、相手に委ねられる。相手の思考をコントロールできないのでどう思うかは相手次第である。

聞き手のとらえ方も、いついかなる時も同じではない。その時の感情や体調、不幸を感じている時、金銭の余裕などにも精神的な余裕にも左右される。今日は良くても明日はダメの場合もある。年齢を重ねると考えも変わる。

何かの情報、意見を発した以上、いつか、どこかで誰かを傷つける。そして誰かに反発される。

そして聞き手には自分の考えの3割ぐらいしか理解されない。7分ぐらいしか集中してくことはできない。人間はそんなに覚えられない。内容の3割、時間にして7分である以上、情報は限定されし、意見の一部しか覚えられない。だから切り抜き動画や、ショート動画が流行る。一部の情報や意見だけ読んだら、当然誤解される確率もあがる。

そしてどんな人間でも、他人の約1割はあなたのことが嫌いである。何をしても嫌いである。存在自体が嫌いである。接触しなければあえて嫌いとは言わない人が大半だが、公に批判された以上はやり返してくる人もいるだろう。

嫌なら見るな、ではなく、嫌われるのが嫌なら、情報や意見を誰でも見られる、聞ける場所で発するな、ということだ。

批判は止めようとせずに、スルーするのが正解

ただ、上記の話は、相手の批判を甘んじて受け入れろ、という意味ではない。反論して、説得しろ、という意味ではない。発信するな、SNSを辞めろ、SNSに向いていない、という意味ではない。批判されても、スルーするのが一番、というのが結論であり、それを言いたいがための説明である。

人間は決して分かり合えない。人によって考えが違う以上、またタイミングによって考えが変わる以上、認知と感情と体調などに左右される以上、物事に対して同じ考えを持つわけがない。十人十色。タイミング。ましてあったことのない人に遠慮する必要もない。

だから、スルーでよい。スルーしかない。

自分は意見を言った、そして、相手も意見を言った、それで終了である。

エスパー真美の父親の意見は現代のSNS社会でも有効である。

他人を正す時間は自分には何の成果も成長もない時間

そもそも他人を思い通りにする理由がない。他人を思い通りにする必要がない。他人を思い通りすることなんてできない、という意味ではない。他人を正しく導く必要なんて自分の時間の無駄だと気づくべきなのだ。

例えば、他人が間違っていたとする。それを時間をかけて正したところで、自分には何のメリットもない。正された他人は、自分の間違いに気づけてこれからの人生にプラスになる。しかし正した自分にプラスになることはあるか?全くない。時間の浪費。利益もない。あなただけ嫌われて、時間を取られて、ストレスをためて、イライラして、その結果、得られるものなど何もない。

相手は変わってもあなたはその意見を言う前、聞く前に戻っただけ。つまり時間だけ浪費して嫌われただけ。

だから、他人を正す必要などない。他人を正そうと思う人間は時間を浪費している。

意見の異なる人との口論は時間の無駄。自分のしたいことをする時間にあてたほうが有意義である。人生は短い。

SNSの意見に対して反論すること、そしてその考えをただしたところで自分の人生に特になることなどない。SNSに限らず、他人をただしたところで時間の浪費。自分の人生に関係するところで、自分がしたいことをするために行動したほうがいい。

ぶっちゃけ、SNSYouTubeで、赤の他人のお気持ち表明を聞く時間なんて無駄な時間である。

私見 SNSの意見とは

私はこの意見を見て、我が意を得たり、と思った。

よくインフルエンサーと呼ばれる、多くの視聴者を抱えるSNSの投稿者や芸能人は、自分を批判する人間を、低能とか、アンチとか、成功者に対する嫉妬、と決めつけるのが多い。その決めつけはどうもピントがずれている、と感じていたがこの投稿を見て、批判する人の心理はこれだと思った。

つまりは、発信者の発言で自分が傷付いた、または発信者が自分を攻撃したと認識したから、反論している、という心理分析である。

今もSNSでの某高等学校に対する意見を、すべて誹謗中傷と位置付けているテレビ、新聞というマスメディアや某高等学校の代表者である大人に対しても違和感を覚えていたが、あれも、”いじめ””暴行”という話と、それを撲滅するのではなく”隠ぺい”しようとする教師たちを見ていたから、それを思い出して、それを想定して反発しているのだろうと私は思う。

また、他人からの批判に対する考え方も参考になった。人間誰かに批判されると傷つく。これは当たり前だから仕方がないから、スルーしましょう、という意見はよく聞いていたが、批判されてもスルーしましょう、と聞こえ自分だけが我慢を強いられているおうで腑に落ちなかった。

だが違った。情報や自分の意見、主張を発信する以上は、誰かに反論されて、批判されるのは当たり前。それは自分の意見を、攻撃された、批判されたと悪く取られる場合があるからであって、しかもそれは受け手の自由であるから、それを変えることは無理だという分析は納得がいった。

意見を言う以上は批判されるのは当たり前。そして、それを正しても自分には何の得もないからスルーする、という思考の流れは実に面白い。

以上、ためになったので、記録に残すことにする。

尚、当該動画を受け手である私が自分なりの解釈をもって動画で言っていないことも含めて理解すべくこの文章を書いているので、当該動画を見て、他の人も私と同じようにとらえるかはわからない。それは受け手の自由だからである。

補足 誹謗中傷、汚い言葉遣いを擁護する気はない

最後に念のため補足しておく。

批判≠誹謗中傷であって、私は誹謗中傷という、根拠なく他人を貶める行為自体を肯定していない。

また、殺害予告、名誉棄損、虚偽情報、プライバシー侵害、暴言も肯定していない。

某実業家達や、某政党の創業者の、汚い言葉遣いを全否定する。言葉遣いだけをもって、彼らの意見を私は全て否定する。ただわざわざSNSで本人に向かって意見をいわないだけである。それは時間の無駄だから。ブロックこそ最適な対応である。

あと、他人を正す必要はないといったが、この意見は自分の子供や家族、自分にも被害がでる部下への指導や、指導者の仕事としての教え子の指導とは別である。

あくまで、SNS上や、情報発信者を生業としたりしている人に対する人や、それを聞いている人の対する考え方である。

ちなみに、冒頭の動画はこの補足をしていない。当然のことだと思っているからであろう。だが、この補足をしないと、聞き手の一定数は、誹謗中傷をしてもいいと思っているのかと批判してくるものなのである。

とはいっても、人間そこまで悟れるわけがない

最後におまけ。この動画投稿者は過去にこのようにとても鋭い分析をしているが、つい最近は、自身のYouTubeの動画に対する批判意見を「糞コメント」と評して、動画内で晒して反論していた、と記憶している。

批判はスルーしろ、といっていた人間も、時がたてば考えは変わり、批判コメントにムキになって反論動画を挙げたりする。

または閲覧数稼ぎのためにあえて批判されることを承知で極論か、逆張り意見をいう情報発信者もいる。

人間、そんなに悟りを開けない。

人間、そんなに立派ではない。

ただし、SNSの発言なんて、殺害予告や名誉棄損など直接被害を受けた人以外は大抵忘れる。私も、はてなブログで1年前にSNSでの炎上案件を記事にしていたが、はてなブログの1年前の記事のお知らせを見て、そのSNSの投稿を思い出した。

人間、悟りも成人でもないが、大抵のことは忘れる。

スルーするというのは、拗らせずに、自分の人生を充実させるのには、何の役にも立たない赤の他人の意見や情報など、忘れてしまうのが一番で、そのためにはスルーして記憶から消し去るのが一番かもしれない。