最近いい感じなのである。
何が?というと「予期不安」がだいぶ収まってきたのだ。
「予期不安」とは、未来のことに関して、悪いことが起こるのではないか?という不安がよぎること。これに最近悩まされてきた。
仕事に取り掛かるとき、はじめて電話をする相手のとき、そのタイミングでは不安におそわれないのだが、そのタイミングの1日前とかその前の休日に頭をよぎって、どう対処するか思考して、悪い結果を予想して、気分が悪くなる。
実際嫌な気分になったという事実なら仕方がない。他人の気持ちは思い通りにはならないし、他人にも都合があるし、嚙み合わないときもある。だが、なにも起こってもいない未来のことを、休日に考えて滅入っていてはどうにもならない。
最初は、休日前に仕事に区切りをつけて、気がかりなものを残さないようにしようとした。そうしようとすると、世の中うまくいかないもので、急な仕事が入ってきたりして終わらない場合がある。または焦って終わらせたせいで、次の日に間違ったのではないかと不安になる。このやり方では「予期不安」はおさまらない。
別のことで気を紛らわせようとした。でもふとした瞬間に頭をよぎる。それは抑えられない。避けようと意識すればするほど、頭をよぎる。
答えはでていて、要は「考えなければいい」。考えても考えなくてもその時は苦し、マイナスな出来事になるか、杞憂に終わるかはやってみないとわからない。それに心配事の9割は起こらない。つまりは悪いことは予想外のタイミングで起こる。だから「考えない」ほうがいい。
ではどうすれば「考えない」ようになるか?いくつか思考したうえで私にあっているのでは?という答えが「どうでもいい」という考え方だ。
「どうでもいい」と頭で思考する。そうすると私の場合、思考は止まりやすいことに気づいた。
後は仏教でいうところの「慢」という考え方だ。読んだ本によると、人に評価されたい、人に悪く評価されたくない、という意識を仏教でいうところの「慢」という欲だそうだ。この「慢」が発動するから、不安になる、怒る。
いま「慢」の意識が発動したな!と意識すると、その心が収まりやすいことに気づいた。そして、他人の悪口にカッとなることや、落ち込むことが減った。それは他人の声が、「音」になる感覚になったからだ。「音」が鳴っている時には感情は揺さぶられない。
もしかして、最近政治家で責めたてられたり、クレーマーに怒鳴られても平然としている人は、この相手の怒鳴り声とか責め立てる声が「音」でしかないのでは?と勝手に推測している。本当のところは本人にしかわからないのだけれども、さ。
それでも課題が残る。
1つは「嫌い」な人間の声。嫌いな人間の声は「音」になっても感情が先に動く。そしてその「音」が不快なのである。他の「音」と交わると、紛れるのでそれほど嫌にはならないが、集中して取り組みたい時に、その「音」だけが聞こえると強烈に不快になる。何とかしようとすればするほどムカつく。
今のところは、いっそのこと集中してなにかをするのを辞める、という方法が一番効果がありそうである。何かをしようと意識するから、邪魔に対してムカつくので、別に今でなくてもいい、と思えばムカつき具合は減る。また、その「音」自体を消したい、という欲があるのでムカつくのである。
こう書いてみると、自分が「嫌い」な人間の典型が見えてきた。具体的には、自分のやりたいこと、やろうとすることの邪魔をする人間が嫌いなのだ。
具体的には、私にとっては「どうでもいい」取るに足らないことに拘り、揚げ足をとり処理を送らせる人間。
単純に音の大きい人間。音に敏感な私は、大きな音を立てる人間がそもそも嫌いであり、つきつめていけば、その大きな音で自分のやりたいことに集中できないから。
そして、電話にでない、雑用をしない人間。これもやはりその雑用をやらないせいで自分がやる羽目になり、自分のやりたいことをやる時間が削られるからである。
とどのつまり、私は、私のやりたいこと、やらなければいけないことの進行をする際に、妨げになるようなことをする人間が嫌いなのである。ただし、その人間自体が無能というわけではないため、仕事場では排除できないけれども、排除したいという欲があるから、よけいに嫌いになる。
私の場合は、有能か無能か、クレームが多いとか怖いとかはあまり好き嫌いには関係ないようだ。(怖い人は怖いし、好きではないが、嫌い!というわけではない)
つまり、やりたいことがないタイミングでは、嫌いの感情は薄れる。
ただ、知らない他人のクレームよりも、嫌いな人間の発する声のほうがムカつく感情がおさえられないので、今後の課題である。
もう1つは、寝ている間の夢。これがどうしても夢に出てくる。夢で頭が仕事の準備をしているそうだ。これはまだ未解決。ただなんとなくだが、頭でこれをしよう、とか、これを明日忘れないように、とか思うと、夢にでてくる傾向がある。記憶するのではなく、スマホに記録するなり、どこかにメモするなりして、脳で覚えるのではなく、外部記録に頼るのがいいのでは?と思って現在模索中である。