さて、先月「ファイナルファンタジーⅦリバース」のSTEAM版がセールになっていたので、この機会に買ってプレイしている。
もともとは1997年1月に発売されたゲームのリメイク版である。当時はプレイステーション2であった。それが、3部作としてリメイクされ、リバースがその2作目として2024年に発売された。
リメイク版の1作目は2020年にプレイステーション4で発売されたが、2作目は2024年の発売当初はプレイステーション5でのみ発売されていた。プレイステーション5はなかなか手に入らない、高額、そしてやりたいゲームがほとんどない(任天堂スイッチのほうが人気があった)ので買っていなかったので、このリメイク版をやるためだけに高額なプレイステーション5を買うのは躊躇うなあ、と思っていたが、PCゲーム、STEAMを他の無料ゲームでやってみて、意外と楽しいかったので、STEAMをやるようになった。そして、2025年夏ごろにこのリバースがSTEAMでも発売されているのを知った。
ただ、なにせ1万円近いし、自分のパソコンで動くかどうかも確証が持てなかったので買うのに迷ったが、40%オフのセールというのでこの機に買ってみた次第である。27インチ外部モニターがあるので、パソコン版でもありである。
XBOX準拠のコントローラーの操作にはいまいちなれないが、それ以外は満足である。
いいたいことの前置きは以上で本題はここから。
今回の記事はこのゲームの紹介記事が狙いではない。
気づいた点がいくつかあるのでそれを紹介したいのである。
まず、対人戦がなく、買取式で遊ぶゲームというのは、運営側が設定するゲームする期間に追われることない。自分のペースで遊べることの良さに今更気づいた。
比較対象として、対人戦のあるスマホで遊ぶソシャゲについて以下説明。長くなるので飛ばしてもよい。
今「ウマ娘」というスマホで遊べるソーシャルゲームをやっているのだが、対人戦は毎月、開催日程が決まっている。その日に間に合うように育成して、ログインしないとジュエル(知らない人に説明するとポイントのようなもので、このポイントがないと弱いままである)が手に入らない。毎日のログインを迫られる。それはゲーム会社に自分の時間をコントロールされているかのようだ。
ソシャゲは課金してガチャを回すことで運営会社が収益をあげる仕組みなので、ガチャを回させることが最優先。ガチャをいかに回したいと思わせるかが、ゲーム運営を左右する。
そして、このゲームは、年3回、シナリオが始まる時期にログインしていないと、そして新シナリオ開始のタイミングでガチャを回さないと、その前にある程度のジュエルをためておかないと(課金すれば別だが)、4か月間、不十分な状態でプレイを強いられる。
お金さえかければジュエルはいくらでも買えるが、累計課金額は恐ろしく高くなる。さすがに1回のガチャで10万円を超えるのはゲームとしてはやり過ぎであろう。
ただ、このゲームは課金額で強さが決まるわけではなく、育成回数と育成の仕方によって課金額の多い人に対抗するのは十分可能。これが「ウマ娘」が長続きしている理由だろうが、当然ゲームプレイ時間も長い。”因子周回”という何回も育成しないと強く離れないのも作業を強いる。攻略サイトを運営する人に言うには、100%近い確率で対人戦に勝つには、1日3時間以上ゲームをする必要があるとのこと。
本人の意識次第ではあるが、他人に勝たなければ意味がないという考えならば、大量な時間を奪われるゲームである。
ただ、このゲーム対人戦で絶対勝たないと次に進めないゲームではないので、別に勝てなくても他の楽しみ方も用意されている。毎日3時間以上ゲームをするのとログインを自ら「ノルマ化」さえしなければ、他人に勝つことを自ら義務化させなければ、「勝負だから、負けることもあるさ」と思えるのならば、自分で時間をコントロールできるゲームである。
ただ、ゲームの根幹としては、大量に時間を消費して、かつ期限内に育成を終わらせないといけないので、「焦り」を生みやすい。「焦り」を感じるかどうかは人それぞれだが、焦りを感じて、かつ、それが苦痛になるならば、そのゲームからはいったん離れたほうがいい。(その焦りに追われながらも勝つことが楽しいと感じる人ならば、なんら問題ない。ゲームをどう楽しむかは、本人の考え方次第だ)
以上、比較対象としてのソシャゲの説明は終了。
以下、本題。
ソシャゲをやった後に買取式で対人戦のないゲームをやったことで、私は自分のペースでやるほうがゲームを楽しめるのだな、というのがよくわかった。対人戦ゲーム自体もやり方次第では楽しいものではあるが、私の場合は、ゲームに限らず、勉強も仕事も何事も対人戦の有無ではなく、自分のペースでやりたい人間なのだな、ということがよく分かった。
自分のペースでやることが楽しい、というのがわかったのが1つ目。
もうひとつ目は、SNS、ネットニュース、テレビのニュースを見ないことの効果である。赤の他人のSNSの投稿とネットニュースを見なくても人生に何の不利益もない。見なくてもなにも困らない。むしろ、心を乱されて、時間を浪費するだけだ。
今パソコンを開いてSTEAMを開いているので、スマホを開かない。その結果、家にいる時間でSNSとネットニュースを殆ど見なくなっている。SNSとネットニュースを見るのは、会社の昼休憩の時間とか病院とかの順番待ちの時間ぐらいだろうか?つまり外にいる時間の暇つぶしである。
さて、SNSをここ1週間ぐらい近く殆ど見ていないがその結果どうなっただろう?
その結果、SNSは私の人生に何の影響もないことがよくわかった。
SNS、ネット、テレビのニュースを知らないことで情報弱者になるとか、そんなことはない。垂れ流された情報を見続けることが情報強者ではない。情報は自分から求めて得るものであって、ただ流れてくるもの、偶然見たもの、他者の提供するものを受け身でみても効果は薄い。
SNSとニュースは人生において必要ではない。必要なニュースといえば、天気と災害の情報ぐらいである。
先週ぐらいはSNSは自民党の総裁選のニュースばかりであったであろう。たしかに自国のリーダーを決めることに繋がる自民党の総裁選は重要なニュースである。だが、その総裁選挙自体、党員でないので投票権もない私が、知ってどうなるというのだろうか?
何も変えれない。何もできない。だったら事前情報とか予想とか見なくても、結果さえ知ればいい。
それに誰がなったら、どうなるのか、と言われてみると実は、総理総裁に限らず、仕事というのはやってみなければわからない。誰がなっても、今の時点での結果はただの予測でしかない。
就任直後にあれやこれや予想したり支持率が発表されたり、大臣とか党役員が決まったりしてニュースになるが、それで自分の生活がどうなるか、といわれると誰がなっても同じとはいわないが、この人がなったらこうなる、というのは決まっているものではない。就任する前からあれやこれや予想したところで、現実そうなるとは限らない。
そんなときにニュースをみても勝手に不安になったり怒ったり期待したりしているだけだし、国のトップでもこれまでの歴代総理大臣を振り返れば、外的要因もあり、思うようには本人の能力を発揮できず仕事ができなかった人もいれば、想定外の追い風が吹いて成果を出す人もいる。実際やってみないとわからない。
やってみないとわからないのだから、予想を見る事に何の情報価値があるというのか?知らなくていいとはいわないが、その情報をえている時間分、自分で予想し思考している時間分、勝手に怒ったり喜んだりしている時間より、自分のしたいことをするほうが有意義な時間の使い方ではないか?
しかも、最近のニュースとSNSは怒りと不安を煽り、他人のミスを見つけては糾弾し、レッテルを張ることばかりだ。やれ差別主義者だと極右勢力の台頭だと煽りつつ、左派も自分たちの理想的な思想を押し付けて、異論を認めない。他人に自分の考えを押し付ける、という意味では右も左も変わらない。
一般国民が政治においてできることは”投票”である。SNSの力は大きくなり、マスコミの報道と同じぐらいに投票行動に影響を与えているようだが、どちらも、不安や怒りや分断を煽っているのは同じである。
一般人はSNSで発信するな、という差別的な芸能人の発言はあったが、発信するなはいいすぎだとしても、SNSをみている時間は殆ど無駄だという意見なら同意できる。
SMSは暇つぶしと、自分の趣味や友人知人職業関係のフォロワーの発信ぐらいを見ておくぐらいで十分だ。SNSで怒り、不安、勝ち組負け組思考を押し付けられていて心を無駄に揺さぶられている、ということがよくわかる。知らないでいいことが多い。知ったところで自分の人生に何のメリットもなく、むすろデメリットのほうが多い。その意見を知ってどうする?という話だ。
というわけで、2つ目は、SNSとネットとテレビのニュースを見ても心に良くない情報ばかりなのであまり見ないほうがいい、ということに気づいた、という話だ。
繰り返すが、別に家庭用据え置きゲームの利用を推奨しているわけではない。ゲームも無駄な時間だ。ゲームをしたことで気づけた、という話だ。自分の趣味に没頭しているか、仕事に没頭するか、普段の生活に没頭するか、そのどれでもいいと思う。
以前、1年前に服の新調をして、家の掃除をしていたら、なんだか気分がいい、という話をした。それは自分で考えて、自分で行動して、自分の”今”に集中できたからだろう、という話であった。それと言いたいことは全く同じである。
特に強制されない、仕事ではない、「なんで私が…」と思わない場合の、掃除がいい。
誰かに指図されたわけでもないのに、時間に追われず念入りに掃除をした後なんだか気分がいいのは、多分、外部の情報をシャットダウンして、今に集中して、無駄な思考をせずに、時間に追われずに、外の人間や情報に振り回されずに、そして体を動かしているからであろう。