YouTubeでとあるショート動画を見た。テーマは「退職代行」。そして発言者である経営者は「退職代行」自体に否定的ではなかった。むしろ、退職代行を全員使ってもいい、退職したい人を無理に引き留めても意味がない、という考え。但し、そこには条件がある。
それは「”本当の”退職理由を話すこと」。
本音の退職理由がわかれば、今後の労務管理に役立てることができる
立つ鳥跡を濁さず、という格言もあるぐらいだから、「退職する」時は、喧嘩別れになったり会社を労働基準監督署に訴えるぐらいの人を除けば、大抵の人は本当の理由を言わない。退職をする以上、あえて遺恨を残すこともない。会社側もことを荒立てない場合が多く、綺麗事のような退職理由を聞いても深追いしない。
ただ、会社側からしたら、本当の理由がわかったほうが今後の役にたつ。面と向かって建前でなく本音で話すと喧嘩になるのを避けるために「退職代行」という第三者を通してなら本音を話すのならば、「退職代行」を使ってでも、本音の理由を聞きたいものだ。
建前ではない、本音の理由がわかれば、今後の採用する際の基準、離職率の低下、社員のモチベーションの向上などの残った社員やこれから採用する社員の労務管理に役立てることができる。
この経営者の言っていることは、未来志向で共感できる。
ただ、この場合、退職理由は、1年、3か月、1週間以内ぐらいの短期で退職する人と、3年以上、あるいは20年以上働いたような長期勤務者の退職理由は異なる可能性が高い。
短期離職の退職理由
短期離職の場合はわかりやすいであろう。
- 上司や職場の同僚とあわない
- 仕事内容があわない
- 労働時間、休日数が希望と一致しない
- 仕事の取り組み方があわない
- 職場の掲げる方針があわない
- 入社前に抱いたイメージと違った
などなど。おおよそ予想しうる理由だ。
短期で辞める人の退職理由は、統計的なものでは価値があるだろう。
例えば休日がとれないという理由がダントツで1位の場合は休日数の見直しが不可欠だし、人間関係が理由なのがダントツならば、現在いる特定の従業員、特定の部署が原因なのか、会社のノリ(普段の社内の雰囲気)、その問題点をつきとめる必要がある。その理由にメスをいれないと、どれだけ採用に力をいれてもすぐに退職してしまう。
ただ、各個人の意見というのは、それほど将来に使える価値はない。まず10人以上いる職場は誰か1人とは考えが会わない。過去に新しい制服が襟つきになった際、「襟つきは拘束着だ!」と主張して退職した人がいる。個人の拘りは誰にでもある。個人の拘りにすべて答えていたら何も決まらない、決めれない。
長期勤務者の退職理由
長期にわたって働いた人の場合の退職理由は、下記の3つだろう。
- 堪忍袋の緒が切れた
- 心が折れた
- 自分の尊厳を踏みにじられた
もうこの会社では働いていけない、そこまで言われて、そんな厄介者扱いをされてまでこの会社に残る義理もないし、自分にもプライドがある、というような諦観、怒り、吹っ切れ、である。
その感情的な理由だけでは具体的な直接的な理由はわからない。そこで経営者達は問う。では何が原因で、堪忍袋の緒が切れたか、心が折れたか?
おそらく、返ってくる対してこう思うだろう。
「え?それだけ?その理由ならば、これまでの仕事でもあったのでは?」
しかし、その理由が、最後の一線を越えた出来事である。本当の理由はその理由1つだけであるはずはなく、これまで我慢してきたは山ほどあるし、辞めようと思ったことは何度もあるが、一方で会社に残る理由もあるし、その価値があったし、長いこと居れば職場やそこで働く人への愛着もあるし、現状維持でもいいと思うときもあるし、未知の世界に行くことへの不安もあるので、転職という決断には至らなかった。そうして踏みとどまってきたが、なにか一線を超える出来事があって、それで退職という決断に踏み切ったのである。
退職するに値する理由は今までもあったし複数あった。退職を「決断」するような出来事が複数ほぼ同時期に積み重なった結果である。
または、退職の決断を後押しするような、心無い言動に遭遇したからである。
以上は、退職理由の原因である。よって経営者が長期勤務者から退職理由を聞いても、短期と比べて、将来への布石になるようなことはすぐには手を打てないであろう。
そして、将来にわたって、もし、なにか活かす教訓があるとすれば、以下の言葉となる。
「それまでの会社への貢献をなかったことにするような、例えば厄介者扱いして労働者の尊厳を踏みにじるような発言や行動は慎まなければならない。」
顔色をいつも窺う必要はない。ただし、相手の価値を尊重し、相手の尊厳を踏みにじってはいけない。
そして、なにより、良質かつ定期的なコミュニケーションは大事である。一線を超えるような出来事があっても、普段からコミュニケーションをとって相手の気持ちを尊重していれば、一線を超える率は0とはいわないまでも減らすことはできる。
コミュニケーション能力とは、人見知りせず、明るく話すことではない。一方的に自己の主張を押し付ける人ではない。相手の意見に耳を傾け、相手の意見を尊重し、対応できる能力であり、「この人は自分のことを尊重してくれる人だな」と思わせる能力である。
そして、一度一線を越えたものは、すぐにはもとに戻らない。覆水盆に返らず。戻るとしても、それは会社のトップが変わるなどの変化があったときであろう。
以上が会社の場合の長期勤務者が退社しないようにするための手立てであり、別に退職理由を聞かなくても答えは、健康や家庭の事情など本人や会社ではどうにもできない理由も含めて答えはでている。
話題をかえて政治の話
これまでが、会社を退職する理由についての話である。
さて、なぜこの話をしたか?今日の日付を見ると、わかる人はわかるかもしれない。
公明党が、26年間の自民党との連立政権(3年間の野党時代の協力関係を含む)離脱した話である。
以下、政治の話になるので一旦改行。
公明党が離脱した理由として挙げているのは「政治とカネの問題」である。ただ高市氏がいうように10日に今日答えを出せと言われたとしたら、それに答えるなど、普通は無理と思われる。
推測だが、公明党はもう離脱すること自体は決めていて、今即答(丸呑み)してくれるならば、という提案をして、かつ、即答できない場合は離脱する、というストーリーが10月9日時点で、すでにできていたのであろう。
この「政治とカネの問題」。先の衆議院選挙で自民党公明党の与党が負けた理由である。この理由も含まれているが、表向きの理由であり、それだけではないと推測するのが自然だ。
本音は、おそらくこうであろう。
- 高市氏のかなり右寄りな政治スタンス
- 公明党はどちらかと言えば左寄りで、新総裁と相入れない政治信条
- 高市氏は自己主張が強く、聞く耳を持たなさそうな印象
- 長年の協力関係のある公明党を差し置いて、国民民主党に会いにいったという話を聞いて
- 自党を「ガン」と呼ぶ副総裁と、その派閥と右寄りな人で構成された執行部
- 衆議院選挙と東京都議選挙で、公明党が負けた主な原因である「政治のカネ」の問題の発信源である旧安倍派の実力者であり、かつ特に東京都議選の最中に揉めた羽生田氏を執行部に据えたこと
- これまで公明党との話し合いの仲立ちをしていた人たちが執行部からいなくなったこと
追記 公明党より先に国民民主党に会いにいったというのは一部報道で見て書いたのだが、実際のところは公明党のほうに先に会いに行って、その後に国民民主党にも会いに行った、という順序だったらしい。訂正のため、取消線を引きました。申し訳ありませんでした。
「政治とカネの問題」は決着済みとして、裏金議員を執行部に据え有耶無耶に。公明党は「ガン」と公言した派閥の領主の意向が構成される役員。他党に先に話をしにいく総裁。
高市氏、麻生氏、羽生田氏で構成される執行部。そして、公明党と以前からコミュニケーションをとっている人が執行部にはいない。これらで、公明党からみたら自党は軽んじられる、見下しているという証拠は出そろった。これからの運営に暗雲が立ち込める。今後は国民民主党か日本維新の会のほうを重視し、公明党は蔑ろにされるだろう。自民党と先の両党の意見に反対ならいつでも出ていってくれて、どうぞといわんばかりである。
ここまでされたら、政党としての尊厳にかかわる。メンツがある。先の選挙で政治とカネの問題で連帯責任であるかのように痛い目にあわされた恨みつらみが議員と支持者の中に渦巻いている。
与党にいつづけるメリットよりも、扱いが、感情が許さない。自身の主張を殺してでも与党として生き残っていったい何の意味があるか。
もし最近の選挙に勝っていたらまた違っていたかもしれない。両党をあわせた時に過半数にいっていたらこれまで通りの扱いだったかもしれない。普段からコミュニケーションをとっている人が執行部にいたら変わっていたかもしれない。
よくマスコミが「公明党とパイプがある」と紹介していた幹部の議員がいたが、その「パイプ」の意味が、パイプがある人が執行部にいることの重要性が、一般人の私にようやく理解できた。
石破総理大臣が森山前幹事長を選挙で負けても外さない理由のひとつが「公明党や野党とのパイプがある」から、と政治評論家が言っていたが、その意味が理解できた気がする。意思疎通の大事さがよくわかる。一般国民には裏でコソコソやっているようなイメージを持たせる表現であった「パイプ」の重要性が変わった瞬間である。
人は理屈で動かない。感情で動く。直接会って話をすることで分かり合える、尊重しあえるのかもしれない。直接話したこともない人と、旧知の仲の人とでは雲泥の差がある。
思想信条の違いを理由にすれば、安倍元首相も高市氏と同じ同じ右寄りな政治スタンスであったと反論があるかもしれない。だが安倍氏は、第2次政権では、菅氏をはじめとする公明党とパイプのある人を幹部に常に配置し、その後選挙に大勝し自民党だけで過半数をとっていても、安倍氏の目標である「憲法改正」に公明党が反対しても、公明党とは連立を解消せず。例えばコロナ禍の時の1人あたり10万円の給付のように公明党の主張を汲むとするスタンスをとっていた。主義主張が違うのだからお互い我慢はしても、蔑ろにはしない、されていない。そう思えるスタンスである。
党員の圧倒的支持のあった高市氏が自民党の総裁になることは党員の意見を聞いた考えであり、否定されるものではない。だが、それならば、公明党も公明党支持者の意見を聞いて、自民党とたもとをわかつのもまた当然である。
公明党の離脱も、公明党支持者の連立離脱を支持したのも、最初に書いた会社の退職理由も実は一言で終わる。
「私(たち)を舐めるな」
長期に働いて中高年になった従業員も、26年も連立を組んでいた公明党も、いまさら自分たちから離れたら生きていけないだろうから、何をされても、蔑ろにされても「下駄の雪」のように勝手についてくるだろう、と思って軽んじていたら大間違いである。怒っていなければ、高市氏のいうように「一方的に」その日に連立離脱を通告しない。
以上、上記の公明党の離脱理由はマスコミ記事を読んだ、私の妄想である。私は公明党の党員でもなければ支持者でもない。実際の本音は公明党関係者から聞かないとわからないことし、聞いたとしても本人達でないと胸のうちはわからない。念のため補足しておく。
政治は未知の領域に
さて、政治の世界は、未知の領域に入るのだろう。NHKの番組のように各党の党首クラスの「その選択」がこれからの日本政治の行く末に大きく影響を与える。
おそらく、公明党以外の人で、公明党が連立から昨日離脱すると踏んで動いていた政党はほとんどいまい。(将来の可能性として考えていた人はいるだろうが。)
この問題は自民党、公明党だけの問題ではない。立憲民主党、国民民主党、日本維新の会もまた試される。野党は実際のところその議員数から「自分の政党が、総理大臣になることなど主体となって政権をとる準備」はしていないだろうし、今から急ごしらえで政権を作ったらすぐにとん挫するであろうことは想定内だろうし、実際は小泉氏が総裁になって、日本維新の会と国民民主党は自公政権に加わり過半数を占めることを考えていたらしいので、先週の高市総裁の誕生からここ1週間の出来事は想定外続きでだろう。
だが、この野党3党もこれからの言動如何で、自分たちが政権を取る気があるかどうかが試される。大衆受けのいい美味しいところだけ成果として受け取る、感情に訴えて議席数を稼ぐポピュリズム政党、口先だけの政党だとみなされて、支持率が一気に下がる可能性もある。
この3党の本音は、今は準備も議員数も少ないので、今回は自民党が与党になって、自分たちの主張、それも国民受けする主張のみを自民党に丸呑みさせて、党勢を拡大させたいのが本音だろうが、これからは「自分の政党が与党になった場合、党首が総理になった場合、この国全体をどうしたいか?」という問いかけが、実現するかどうかは不透明な未来への展望ではなく、現実味を帯びた問いになる。いや、今回は議員数の関係で、現実的に政権交代をやろうと思えばやれる。
やるか、やらないか。
準備が整い次第と言って先延ばししていたらチャンスはそうめぐってこない。今解散総選挙をすれば、おそらく、自民党と公明党が復調し、参政党が衆議院でも大躍進する可能性もある。かといって拙速に多数の政党の連立で政権交代してもうまくいかないのは歴史が証明している。どうするのが一番自党にとっていいのかは、現時点では誰もわからない。
総理大臣になる可能性がないがうえの理想論、または手取りを増やす、給付付き減税、副首都、というシングルイシューだけでは済まされない。
とはいっても、繰り返すが未知の領域に入った。1990年代の連立政権は小沢氏や野中氏などが中心になって起こった、と言われている。今、彼らのような政治家がいるのかどうかはわからないし、少なくとも、これは選挙ではなく国会議員が決めることになるので、SNSとかで匿名の願望を聞いても、本当に個人の意見でしかなかろう。私もどうなるか、さっぱりわからない。
尚、テレビとかで芸能人や知識人気取りの学者のなかの右寄りの主張をする人は、SNSとYahoo!ニュースのコメント欄は、自民党は公明党と離れて支持者が増える、高市氏のやりたいことができる、と喜んでいる人がいるが、おそらく選挙で過半数を取らない限り、そう簡単にはいくまい。
公明党が離れたことで、自民党の票が増えると思うのは早計。風が吹いている場合を除き、もともと公明党と仲が良くなかった議員を除き、大抵の自民党の小選挙区選出の国会議員は票が減ると予想される。公明党と連立を組んでいるから、自民党の候補者に投票しない、という人の数よりも、公明党支持者で自民党の候補者に投票していた人の数のほうが多いだろうし、自公政権でいるほうが自民党の国会議員のほとんどが票が安定的に獲得できることが容易に想像できる。公明党抜きのほうが議席数が増えて安定すると思っていたのならば、小泉純一郎政権、第二次安倍政権の時にとっくに連立を解消しているはずだ。
政党の党首が、自身の党の国会議員を落選させてしまったら、国会議員数を減らしたら党の代表者としての責任問題である。国会議員を減らしたことが石破総理が辞任する理由でもある。減らすことは許されない。だが公明党の支持者の票がなくなれば確実に議員数が減る可能性が高くなった。
公明党の支持者は高齢化し減少しているので、公明党の支持者の票は期待できないという意見を言っていたテレビ出演者もいたが、それは自民党の支持者も同じで高齢化が進んでいる。若者や現役世代は、いまは自分たちの世代を尊重してくれるであろうと期待されている国民民主党や参政党のほうが支持率が高い。
国民民主党は参政党は自民党ではない。自民党に吸収されるのではなく、党勢拡大したいはずなので、自民党にわざわざ支持者を譲り渡す気はないだろう。維新の会は、大阪の地域政党化しつつあり、自民党とすみわけできそうだし、大阪万博も成功のうちに終わったので今後何を目指すのかはわからないが、最近離党者が絶えないのはおそらく連立政権に入るか入らないかで意見が違うからであろう。自民党と国民民主党と維新の会が連立する、というのもまたすぐには難しい。
公明党が外れたので支持者は増える、党勢は反転できる、と断言するのはあまりにも早計すぎる。意見が合わない以上分かれるのは良かった、という意見なら兎も角、今たとえ解散総選挙しても自民党が単独で過半数を取れるとは思えないし、実際どこの党が増えて減るかもわからない。すぐに連立政権ができるかもしれないし、単独政権になるかもしれない。まさに混沌。まさに未知の世界。
一般国民は、国会議員が、政党が、この未知の世界でどういう行動どうなるかを見届けて、次の選挙の投票先を決める際の一助にすることしかないだろう。
まずは、10月14日の株式市場と為替相場がどうなるか?これもまた未知の領域ではあるが、市場が動揺し、イギリスの少し前の政権がすぐに倒れたのは記憶に新しい。
どの党も自党単独では過半数がとれない、政権を動かせない、先が見通せない、他党政治が始まった、と私は思っている。