けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

とある人生相談で抱いた感想

とある人生相談において、婚活市場における「ダメ男」「負け組」という分類について述べられていた。この言葉は以下の箇条書きの項目により選別されるという。婚活おいてはリスク要因ともされる。成程と関心した記事だったので、この分類について転載させてもらうことにする。尚、転載元では「ダメ男」「負け組」と表記しているが、今やインターネット上では「弱者男性」「チー牛」などというスラングで呼ばれているらしい。どの表現でも結局のところ、結婚生活においてのリスク要因として扱われている。尚、女性にも同様の基準はあると思うが、婚活市場における評価基準は男性と異なり、また転載元で表記もないし、私は女性ではないので割愛する。

男性の場合の婚活の基準は以下のとおり。

  • 学歴
  • 年収の差
  • 正規 or 非正規 (仕事と賃金の安定性)
  • コミュニケーション能力
  • ルッキズムによる審美的な好悪 
    (顔、身長、体重、頭髪、服装センスetc)

今や多様化とか、LGBTとか叫ばれているが、恋愛市場における場合、上記のような基準がある事実があることに間違いはない。尚、書いた順に優先順位が高いという意味ではないし、人によってこのうちどれを優先するかは違うであろうが、結婚相手として審査する場合加点減点要素で歴然として存在しているのは事実であり、それを「負け組」やら「ダメ男」というような差別的な表現をもって選別する風潮に相談の回答者も問題視するが、そういう基準が現実としてあるという事実を認めている。当然、相談者も同様。そういうレッテル張りは良くないといいつつも、こと恋愛・結婚については重要になる。

別にこういう基準で審査する女性を叩くつもりではない。というのも優秀な遺伝子を残すこと、裕福な生活を獲得しようとすることは生物として何らおかしいことではないからである。また女性も同様に別の基準で審査されるし、恋愛以外でも人は何かの基準で審査する。

そしてこの基準を常に満たすためにも、結婚する前まではレールから落ちることは許されない。何故ならそのレールから一度外れたら再びそのレールに戻るのはかなり厳しいからだ。私はこういうのに縛られないと発言する人間に限って、医者(年収と学歴)、大学教授(地位と年収)、実業家、スポーツ選手(年収)、成功した芸能人(年収、ルッキズム、コミュニケーション能力を満たす「勝ち組」)だったりするのだから、その発言は所詮綺麗事であり、また、一般人から逆恨みされないような回答をしているだけだと思っている。

尚、この人生相談の回答者はこの基準以外に縛られない別のルートを相談者に提示している。それをここで書いたらネタバレするので避けるが、上記の審査項目だけが絶対基準ではないことは確か。

結局何が言いたいかというと、どれだけ叫んでも何らかの理由で人間はランク付けする。性別や性的思考、人種での差別が縮小してきたとしても、また別の基準で差別する。あとこれは私見だがこの基準がある限りは、どれだけ子供や出産にお金をばらまいても、少子化は絶対に止まらない。少子化を止めたいなら大〇翔〇選手などのような超人的な遺伝子を振り分けるほうがあながち成功するかもしれない。(念のため言っておくが、そんなことを本当に実施すれば人権侵害だということはわかっている。ただ極端なこと抜本的な解決ができそうなぐらい、少子化対策はもう無理だろうという意味での例えだ。)

ただ個人の生き方については、これに縛られる必要はどんどんなくなってきたと思う。この基準に満たないからといって差別され、レッテルを張られようとも、少なくとも今の日本で生きていくことまで禁止されない。ただ結婚しにくいだけ、生きにくいだけ、陰で悪口を言われるだけである。ネットでは「チー牛を誰か抹殺しろ」と叫ぶ人間がいるらしいが、そんな人間の発言など無視すれば、見なければその存在はスマホという画面から消える。直接「チー牛」に会って同様のことを発言したら、身の危険を感じることぐらい発言者たちはわかっているからだ。

だから、上記の基準に当てはまるように藻掻くか、けしからんとネットで口論し、時間とエネルギーを浪費するか、それともこんな基準を無視して好きに生きるかは個人の自由である。

それに一度この基準に外れたならば、こんな基準は無視して我が道を行った方が、逆に同じように我が道を行く異性と出会えるチャンスはあると思うのだが。

最後に少子化について話を戻したい。私は、政治家や行政では絶対に解決できないと思っている。政治家は経済学者と言う名の政商たちと組んで非正規雇用派遣社員という制度を拡大し、結果的に上記基準に該当する人を大量に生み出した戦犯。政治家のブレーンである学者たちも同様。行政組織、公務員は一番酷いといってもいいぐらいの条件で非正規労働者を増やし続け、民間には強制している無期雇用転換を自分たちの組織では法律上できないようにしているような自己保身第一の組織である。「負け組」を増産させた人間、組織に物事を解決しようと期待するほうが無駄だと思うからである。

税金や社会保険料の負荷を減らす、というシンプルな対策の方がよっぽどよい。お上に期待するな。行政が何かするときは必ず予算、つまり税金の肥大化を招き、その結果は政治家やお仲間達の懐だけが温かくなるだけだと思う。

雨天による休日、終業時間変更と賃金について(私見)

主に建設業の場合、雨の日で工事中止の場合は”休日”扱い、
または雨で中断する場合は、休憩時間として扱い、終業時間をその分延長する、という会社の話を聞いたことがないだろうか。

これについて、中止の場合のその日の給料、または就業時間が延長した場合のその時間分は割増賃金が発生するかについて調べてみた。

尚、前提として①「就業規則」で定めがある場合はその定めによるので、全ての会社に該当するとは限らないこと、②以下の賃金については「労働者」に関してであり、一人親方や委任契約の場合とは異なること、③あくまで私が調べた結果の試験アウトプットしたものであり、内容を保証できないことにも留意されたい。

Ⅰ雨で工事中止。中止日が休みとなった場合の給料

これがどうやらその休みの通告が前日になるか当日の朝になるかでかわるようである。

まず

就業規則や労働規則で定める休日が土日固定とかでなく、休みを変動することの規定がある場合は雨の日で休みにすることはできる。ザックリいうと、「振替休日」の規定で休日の変更がある場合は対応できる。(但し週1日休み確保)
②ただし、1日休みの場合は暦日であり、その日の午前0時から午後12時までの間のことを指す(始業時刻からではない)
③よって、当日朝(例えば午前8時)になって、その日を休みにすると決めても、その日はもう既に始まっているわけなので”休日”扱いとして無給にすることはできない。
④一方、前日(例えば23時)に明日を休みと決め、休日として”無給にすることは可能。
⑤③の場合は、少なくとも労働基準法上の休業手当の支払いが必要なのではないか?休業手当に関しては労働基準法に定めがあるため、それに該当するかどうかの判断になる。

これについては、複数の通達や労働基準法の定めの組み合わせによる結論である。

Ⅱ雨で工事中断。中断時間を休憩時間扱いとし、増えた休憩時間分終業時間を延長した場合の割増賃金

これについては、厚生労働省の通達がある。結論から言うと、その伸びた休憩時間以内の労働は割増賃金(1.25倍)を支払う必要はない。(1.0倍は必要)尚、就業規則等で終業時間を明記し、その時間を超えた時間に労働した場合は割増賃金を支払う、と規定していた場合は、その就業規則等の定めが優先される。

就業中の停電又は屋外労働における降雨降雪等により作業を一時中止して自由に休憩せしめ、送電又は天候の回復をまって作業を続開し、停電又は降雨、降雪で休憩せしめた時間だけ終業時刻を繰り下げた場合、その労働時間が通算して一日8時間又は週の法定労働時間以内の場合には、割増賃金の支給を要しない(22.12.26基発573、33.2.13基発90)

 

※1日勤務のところ、雨により午後が休みになった場合についてもわかり次第加筆予定。

 

怒りのコントロール:感情を抑える方法

前回、仕事中いかにして無駄な感情の動きを抑えるかについて書いた。今回はこのブログで何度も書いているが、”怒り”についてピックアップする。

”怒り”。私はたまにカーとなって怒りたくなる衝動に駆られてしまう。これが結構多く、前職では退職する前の半年ぐらいは上席者に怒鳴り散らしていた。業者も出禁にしたりしていた。物も投げたりした。これは直すべき欠点だと自分で思っている。ただ、単に抑圧するというのはちょっと違うと思っている。というのも、抑圧するとどこかでふとしたことでこれまで溜まっていたものが一気に噴き出すかのように大爆発してしまう。大爆発というのは言葉のあやだが、仕事において二度と協力できないほどの取り返しのつかない暴言と言ったところ。別に政治家や首長、経営者、上司だけの話でもない。誰もが気を付けないといけないのが見境のない暴言である。

ここ数年怒りについての本を読んだ。その結果、今は数年前より結構抑えられていると思う。怒りを抑えようとするのではなく、怒りがあることを認識して、そこから対処するという段取りを踏むイメージ。怒りを抑圧するのでなく、怒りの原理を理解し、怒りがあることを認めたうえで、対処し、時間の経過を待つイメージ。

具体的には、たまたま会った人から嫌な目にあわされた時に湧き出る怒りについては、目の前のことに集中できるような他のことをするようにする。そうすると、たまたま会った人への怒りというのは薄らいでいくのがわかる。たまたま会った人というのはそうそう何度も顔を合わさないためである。公共交通機関や車の危ない運転に遭遇したとかがそう。怒りと記憶自体は消えないけれども、薄らいでいく感じがある。そうこうしているうちにいつの間にか忘れてしまう。

あとなぜ自分は怒っているのだろうと分析してみたりする。

例えば、理不尽な理由により自分に非がないのに自分の身の危険を感じた時が思い当たる。けがや生命、財産に被害が出た場合はこれは警察の出番なので別とする。そうでない場合、なぜそんなに怒るのというと自分の身を守る防御反応である、と理解する。まず怒ってしまった過去の事実というのは上記のとおり他のことをしていれば次第に忘れていく。問題はその出来事のせいで自分が不利になった、自分に悪いことがおきるのではないかという不安。これが怒りの感情を長引かせる。ただ、私の場合はこの防御ラインが高すぎることに気づく。そこで警察に捕まるのは論外だが、ある程度は様子を見てみる。世の中、あなたが悪い、と面と向かって攻め立ている人はそうそういないし、そこからさらに何かアクションをし続ける人はもっと少ないことに気づく。(勿論、絶対いないわけではない。)未成年の時に悪いことをして更生した人間はこのあたりのラインが経験上分かっているので、その意味で品攻勢で育ったよい子よりも精神的に強い場合がある。(勿論、犯罪行為はダメだが)

思い出すと私は子供の頃、いじめの加害者にしたてられた記憶が残っているせいではないか、と思う。(小説のような話だが実際に会った話で、本当のいじめの加害者が策略されたというか、責任転嫁された。私はいじめに加担していない。)だから心の根っこのところで人は自分の利益のために騙す、人を陥れると疑っている。そして考える。子供の頃は防御できる力も財力も知力もなかったから大人に頼るしかなかった。悔しくて鬱憤が溜まっている状況。だが今は違う。戦える。やられたらやり返せる。仮に身の危険を感じる危険な相手ならば、生命を守るために逃げるのも肝心。よって対処法はある。だから実際不利益が生じた時に対処すればよい。そう思うとだんだん怒りが収まってくる。

ほかにも怒りの原因が思いつく。

知らない人とこれから仕事をするときや近所づきあいをするときに、自分が不利益な目にあわされるのではという未来の不安から来る怒り。これも過去の記憶が作用していると思う。ただこれも過去に記事に挙げた、”予測”であると気付く。”予測”は根拠がなかったり、最悪のケースを想定したり、過去にあった悪い出来事をベースに想定された”予測”である。悪い方に転がった場合の”予測”は9割起こらないか、または対処方法が色々考えられる。本当に不利益な目にあわされるのは、自分が想定もしていないときに起こるもの。だからこれは最悪のケースの予測の不安であると頭で理解する。そしてその経験が蓄積されると、悪い”予測”というのはどんどん減少してくる。

もうひとつは、メンツ。メンツをつぶされた、定義的には自分の名誉や評判について、舐められた、恥をかかされた、として怒る。また自分は正当に評価されるべき、自分は〇〇より評価されるべき、自分を低く扱われた、と思う場合に怒る。

しかし得ていて、メンツが潰されたと相手に怒った時、相手にビックリされる。思うに、相手はそこまで考えていない、悪いように扱うつもりがない、他のことを気にしていて、私まで気が回っていない、相手の評判や自分の立場のことを気にして、私が傷つくことまで頭に入っていない場合が多い。要するに、私のことなど考えていない。メンツをつぶしたなど思ってもいない。

ただ、理不尽な扱われ方をされ続けた場合は強く抗議しないと、いつまでたっても相手は私をぞんざいに扱ってもよいと思われてしまう。だが、何度もメンツをつぶされたと怒ってばかりいると、その相手だけでなく周りの人間からも、関わらない方がいい人扱いになってしまう。

また、怒っても感情的にならない方がいい。視野が狭くなるからである。

また、正義感で怒らない方も良い。その場合、不確かな情報か、話の一部だけ見聞きした段階でカッとなっている場合が多い。要するに、一部の情報で誤解して怒ってしまうケースがあるからである。

また、お腹が空いている時や睡眠不足の時、体調不良の時は怒りの沸点が低いことを理解する。

最後に。こういう本のタイトルが私の本棚にある。「なぜ私”だけ”が苦しむのか」。人間、心の根底にこの心理が働いているから苦しいのだ。

仕事の負担を減らすために ①無駄に感情を動かさない

仕事の疲労を減らす、厳密にいうと労働時間の割に疲労がたまらないようにするための話。

まず1つ目は、仕事中に「無駄に感情を動かさないこと」

やる気がおきないと仕事が捗らないので「感情を全く動かすな」という話ではなく、”無駄な”感情を動かさない、という話。特に、

  • 早くやらなければいけない、という焦る
  • 悪いことが起こるのではないかと、とある事実から勝手に”予想””予測””拡大解釈して、不安になる
  • 自分に不利益な噂を信じて、ネガティブになる
  • 悪い評価をされるのではないかと、仕事の実践に躊躇する
  • 上司、部下、同僚が自分の期待通りに動いてくれない。
    自分は蔑ろにされているのではないかと怒る

上記5点が仕事量の割に疲労度を高める要素ではないかと思っている。例えば嫌な相手や出来事が実際に起こってネガティブになるというのは、突発的なものや避けようと思っても避けられないものもあるので難しい。(ただし、これは体調が良かったり、心理的に余裕がある時は負担の大きさは小さくできるとは思っている。)

ただ、上記の5点は、自分の心の持ちようと言うか、自分の感情や思考の問題ともいえる。ふっと頭によぎってしまう時はあるが、気を付ければ、その感情や思考はある程度抑えられる。特に上の2つは仕事をするにあたって業務の負担に感情分を余計にプラスする形で負担を増やしている。下の3つはネガティブな感情の中で仕事をするのでモチベーションが落ちて仕事の進捗速度が落ちて仕事が終わらないので、結果的に仕事をする時間が増えてしまう。

そんなに簡単に実践できれば苦労しないし、噂話というか雑談もしないと息抜きにもならないので、あくまでネガティブになるのが良くないという話。

より悪いのが、そのネガティブな感情を動機として、他人にきつく当たってしまうこと。噂話という信ぴょう性の低い情報をもとに正義感を振るってしまって、怒りに任せて視野が狭い行動をとり、後になってその情報が間違いである場合。人間関係の悪化は余計な負担を増やすので、噂話とか一時の負の感情に基づき行動しない方がいいであろう。

「メンタル疾患経験者だから面接に落ちる」は自分の妄想ではないか

過去に、自分が面接に落ちるのは「メンタル疾患」になった人を企業側が敬遠しているからだ、記事にした。

この考えを企業側が持っていないはずはないと今でも思っている。現に面接においてそういう風に言われたことは事実である。(過去記事参照)雇っていきなり休職されたら困る、のは雇用する立場で考えれば当たり前だ。また現にすぐに退職してしまった事例を経験上知っている。ただ、その事実を私が引きづりすぎているのではないか。

一番気にしているのは、他でもない私自身ではないかと、色々な本を読んで、色々な情報や経験を経て最近思い始めた。「再発しないだろうか?」と不安な気持ちで転職活動していることが面接ですけてみえているからではないか。

また、落選の一番の理由は、人気のあり競争率が高い大企業の人気のある職種ばかりに応募しているからではないか。競争率が高い企業は能力が高い人が集まる。単純に他の応募者より劣ることを、メンタル疾患を言い訳にして目をそらしているのではないか。

再発が怖いのなら、再発率が低いであろう求人に応募するほうが自分の不安感が表にでない。再発への不安を抑えるには「いつだって辞めてもいい、クビになってもいい」と腹を括れる、開き直れる会社にいこうと思った時だけだ。それに人気のある大企業の中途採用は、当然ながら求められるレベルは高く仕事はキツイので当然再発のリスクは高まる。そして受かったら絶対にやめたくないと思うから、再発への不安を解消できない。そんな不安な人を、人を選べる余裕のある大企業が敢えてとる理由がない。ブラック企業からヌクヌクホワイト企業へ、などというのはそれなりの実力と面接対策があってこそだ。

先日テレビでインタビューを受けていた人を視聴した。いくつもの仕事を掛け持ちしている人で、そんな仕事があるのかと初めて知った短時間勤務の労働をしている人だった。こだわりやメンツを捨てれば、コロナ禍中などならいざ知らず、今は仕事が見つかる。正社員雇用が絶対ではない。生きていくために金を稼ぐために仕事をするのなら、複数の仕事を掛け持ちしたっていいはずなのだ。

結局私はいまだに世に言う「いい学校、いい会社」「やりがい」の呪縛に囚われている。その呪縛を親や世間のせいにするのは私の年齢からすれば、情けなさすぎる。

自分がしたいことを追い求めるのもひとつだが、自分が何ができるのかというのも考えたほうがいい。今更「成功者」という肩書、「病気からのカムバックを果たした」と褒め称えてもらうという幻想からそろそろ目を覚ますべきなんだろう。私は。

就職希望先の基準:他人に自慢できる会社になっていないか

私が入社を希望する会社は、自尊心を満たす、他人に一目置かれることに重きをおきすぎではないか。

とある会社の面接を受けた後に気づいたことである。

前の記事にも書いたことだが、今更、自分がその応募先企業内で働く「イメージ」をもっていなかったことに気づいた。

そして自分が「イメージ」していたのは、その会社に入社したことで周りからスゴイと褒められる自分、それに満足し自尊心を満たされる自分、その会社に「在籍している状態」に鼻高々な自分、大きな会社で、正社員で定年まで居られそうで、安心して枕を高くして寝られる自分をイメージしていた。18歳~22歳の働いた経験のない若者ならいざ知らず中年のおっさんがいまだに、だ。

契約社員の場合、契約の期限近くになると、契約が更新されるかどうか、されなかったときの就職活動のことが頭から離れない状態になる。そこから抜け出したかった。

所詮なりたい自分などそんなものだった。その会社でやりたいことがあるから、とかは二の次。社会的地位もあり、雇用の安定もあり、安心して生活ができる自分を求めているだけであり、現状から逃げたいだけの自分。そんな人間だとわかって雇う会社があるだろうか。

私が大学卒業後入った会社は知名度のある大企業であり、収入も多かった。あのままいたら今頃は部長職ぐらいだろうか。それは会社のホームページで1歳下の後輩が偉そうに〇〇部長として登場しているのをみたため全く根拠のない夢物語ではない。その後輩に私は仕事を教えた。後輩より遥かに仕事ができた。あのままいたら、自分はあの立場以上になっていた可能性はある。何十人もいる若い部下に囲まれて偉そうにふんぞり返って椅子に座っていたはず、と悔しさでいっぱいだ。

そして今の自分を惨めに思う。専門職として生活に困らない程度には金は稼いでいるが、知名度と安定性は低い。部下も昇進もない。更新時期になるとそわそわする、なんだこれ、なんだ俺の人生、と情けなくなる。

そして面接をして気づく。面接官に気づかれる。「あなた、私たちの会社に入って何かしたいのじゃなくて、ただ知名度と安定性のある大会社でそれなりの地位にいたいだけですよね?」と。見抜かれていた。

「誰だって正社員の方が安定していいに決まっているじゃないか。それが志望動機で何が悪いのか」と悶々とした後、ふと1社目の会社で正社員の数少ない総合職だった頃を思い出すのだ。1社目は名の知れた大企業で雇用も安定し賃金も高い。社会的信用も高いので取引先やお客からの信用も最初から高い。周りにもチヤホヤされた。収入もかなりあった。合コンではモテた。

だが自分の心はいつも不安と恐怖で一杯だった。自分の能力を超え、勝つ複数の業務をしていたので常に長時間残業だったし、休みも仕事でなくなるし、プレッシャーも半端ないし、数字に追われ頭は常に仕事で一杯で、心休まる時間が殆どなかった。成果がだせなければ、左遷、役職変更、年収の大幅ダウン、最悪肩たたきもありえることを知っていた。外部の人はそんなことは知らないだろうが。当然だが、高収入を維持するにはそれに見合う成果をだし続けなければいけない。当時は年功序列の賃金から成果給の比重があがってきた時期。左遷された人の周りの見下し方は実際に先輩を見て確認済みだ。成果をださなければ自分も見下されると怯えていた。恐怖で仕事をしていた。私の心中を知らない他人の評価が年々あがっていくのと反比例して、私の心はどんどん疲弊していった。そして心身ともに無理がたたってか、メンタル疾患になってしまい、結果、会社を追われた。その時の自分は落ち込みもしたが、ホッとしていた。やっとあの労働環境から逃れられる、と。

知名度に惹かれ、他人に評価してもらいたいために、同じ失敗をまた繰り返すつもりだったのか、と我に返った。

自分が真っ先にすべきなのは他人の評価の再獲得ではなく、この考え方の修正だ。「他人に敬われたい」「他人から成功者と思われたい」「他人から否定されたくない」という意識からの脱却だ。「他人がどう思うか」という評価基準からの脱却がまず先なのだ、と気づいた。またメンタル疾患になった以上、再発しないためには健康を維持できる労働環境が最重要だ。その視点も抜けていた。なんのためにこのブログで書いてきたのか、と自問した。

ただ、それに改めて気づかされたのはこの面接での収穫だ。行動することは大事だが、その先を見据えていたのは、「他人に評価してもらうこと」にまたもや置き換えてしまっていた。

そんなことに気づいて私が仕事でまず取り掛かったのは、長時間処理できずにいたクレーマーの対処だった。転職できれば私がする必要はないと思っていた問題の対処だ。この案件は他の人が担当の時はOKだったと相手が主張し(その担当の名前は出さず、またNGだった時の話もあるのだがそちらは話に出さない)、こうすればOKがでるのかと、揺さぶりをかけてきて交渉を終わらせず、長期間ネチネチと引き延ばせば、疲弊して担当者が譲歩するケースがあったことを知っていてその行為を行う卑怯なヤツとの決着だ。私は他人に否定されることを恐れる。長時間交渉がまとめられないことで上司からの評価が下がることを恐れる。失敗を恐れる。失敗したことで他人から否定され、見下されることを恐れる。だからこういうタイプのネゴシエーションに負けることが多々あった。

だからこそ、今回はきちんと理由を説明し、相手の話を聞いたうえで、その日で交渉を打ち切った。相手から非難轟轟だったが打ち切った。それで人事考課が低評価になろうとも、他部署や上司に相手が訴えようともかまわない。ここで引き下がったらいつまでもこちらが折れるまで決着がつかない。勿論私が誤っている可能性も十分ありうるので、その場合の謝罪と責任を取ることも頭によぎったうえでの”決断”である。そういう腹の括り方が大事だ。

「相手が間違っていることに確信を持て」。相手から非を責められていた時に自分に抜けていた感覚だ。相手の大声で、同僚がコソコソ話していたが(同僚のこういうコソコソ話は本当によくない。援護射撃でなく、後ろから鉄砲を撃つ行為で、穏便に早期にすませなければと相手の要求を呑んでしまう人間もいるからだ)終了後、気分が良かった。

ああ、これが私が求めていた感覚だ。自分が正義、相手が悪、という話ではない。いつもこういう対応をするという意味ではない。相手を論破することではない。自分の心の中の問題。他人から否定されているなかで、自分が決断できたことへの満足だ。この精神を保てれば、きっとどんな仕事でも1社目と同じ原因でメンタル疾患にはならないだろうと思えたことへの満足だ。(勿論、メンタル疾患は仕事だけが原因ではなく複数の原因で起こることは知っている。)

「他人の評価を気にしない」「他人の評価で自分のすることを決めない」。このブログで何度も書いている。なかなか実行できないからこそ何度も書いているわけだが、改めて、これが自分が今一番自分に必要なことだ、と気づいた。

とりあえず今の仕事でこの精神が保てるかどうかを今年の目標としよう。

面接の質問:あなたを雇用した場合、自社でどんな成果をあげてくれますか?

今回は面接の質問の1つについての記事。

「あなたを弊社が雇用した場合、〇〇部門(志望した職種かつ経験あり)で具体的にどんなことを実施して、どんな成果をあげてくれますか?」

この質問をされた人は結構いるのではないか。現に私は何度か質問されたことがある。「あなたを雇用したら、うちの会社にはどんなメリットがありますか?」という質門と同じ趣旨でもある。「あなたのこれまでの経験がどう活かせますか?」と似ているように思えるが、そう易しい質問ではない。同業種で働いた(同じ物を売った)経験でもない限り数字には安易に置き換えれらないし、着実な業務遂行、協調性を活かして…といった話では抽象的な回答になってしまう。

「あなたのこれまでの経験がどう活かせますか?」という質問だと、「これまでこんな成果を上げてきましたので、これを活かしてどうこう…」と過去の実績から導き出す答えになるが、これは未来の話である。過去の経験を混ぜつつ話すとしたら、的外れな経験にならないようにしいないといけない。

本音をいえば、その現場に入ってみないことには予測すらできない。そもそも根拠もなく推測したものは的外れになる可能性もある。例えば安易に「売上前年比200%します」といっても根拠がなければ荒唐無稽。「では、どうやって?」と畳みかけられる。だからといってバカ正直に「実際入ってみないとわからないです」みたいな答えをしては当然ダメ。入ってみないとわからないことは面接官は百も承知。コンサルタントでもまず現場の状況把握とか数字とかの分析をしてからだろう。

この質問は正解をだせないことが前提。どうあなたが答えるかを見ている。

この時あなたはどう答えるか。この回答は前のマンガを題材にした面接の話でも引用したのだが、あなたがこの会社に入った時の「イメージ」が重要になると思う。「うちの会社に入ってあなたはどうしたいのか」。「あなたがわが社でどういう状態でいたいのか」を聞いていない。「to being」ではなく「to do」。そのイメージをどう表現するかを面接官は知りたい。面接官側もあなたが入った場合どうなるのかイメージができるような答えが聞きたい。

またそのイメージから、あなたがその会社、その部門を志望した動機が見えてくる。マニュアルを読んで参考にするのはアリだと思うが、マニュアルどおりそのまま答えてもすぐにバレるものである。マニュアルの暗記は質問を畳みかけたり、ズラした質問をすれば熟練した面接官なら容易に崩せる。

あなたのなかで答えが見つからない時は、おそらく「入社した場合こんなことをしたいから」という目的がないからであろう。給料、職場環境、雇用の安定性、人員構成、そこに入社することで得られるステータス、満たされる自尊心、出勤・勤務時間、雇用形態、休日、時間外労働の有無、転勤の有無、福利厚生などが本当の志望動機だからだろう。その会社の一員になりたいのであって、その会社で〇〇をしたいという具体的なイメージはしていない。

または「〇〇をしたい」という希望はあっても、会社にどんな利益をもたらすまでは考えていない場合もある。成果がなければ「今すぐに猫の手でも借りたい」ほど人が足りない法人以外は新たに雇うメリットがない。手が足りないだけならば、期間限定の雇用=非正規か派遣社員でよい。

別に給料等で志望してもいいじゃないか、そんな質問は同業種での経験や、その会社にいて正社員転換などを希望する人間、前から出入りしていた経験がある人間の方が有利じゃないか、そんな質問はコンサルタントに聞いてくれ、と心の中で反発するかもしれない。だが本音は本音。本音を面接で回答するのはふさわしくない。上記のような本音を初対面である面接官に話すような人間は、入社してもあれやこれやできない言い訳を常にいい、ちょっと問題があれば愚痴ばかりいい、文句があるなら辞めればいいのに居座り続けようとする。明かに組織にマイナスの影響をもたらす人間かと想定されかねない。ぶっちゃけ、そんな人間を欲しい組織はない。

それに仮にもしそこで働いた、出入りしていた経験のある人に対してこの質問をしたとしたら、求めるレベルが違う。その現場を知っている以上、より具体的な成果を示す必要がある。実力は面接前に知られているので、その人がその回答を実現できる能力があるかどうかが推測できてしまう。質問される側にとって決して有利な質問ではない。

だから志望動機が別だった場合は、この質問の回答は事前に想定しておいた方がいい。

ではあなたがその質問に対し何らかの答えをした後の話に話を進める。

面接官は想像するだろう。あなたが納得できる合理的な説明のできる話の上手い人間か、無謀でも壮大な夢を語るタイプか、当たり障りのない人かもしれないが堅実派か、無理やり過去の経験から答えを引き出しつつ自己の経験をアピールしようとする面接のマニュアル慣れした人間か、答えられない時はあたふたする人間か、何とか懸命に答えを絞り出そうとするか、そこで上手く答えられなかったら意気消沈してしまうような一度の失敗でめげるタイプなのか、なんにも考えてなくて「給料だけ見て応募してきて何も準備してないな」と思われるか。

どういう印象を持たれればよいかは私にはわからない。なぜなら、その答えをどう評価するか、そもそもその質問の回答にどれだけ合否の比重を置くかは会社の自由なのだから。

以上あくまで質問の一例の話。もしこの質問への回答がバッチリだったとしても、30分~60分ぐらい面接をすれば想定しないような質問がでてきてもおかしくない。そんな時あなたはどう答えるか。準備バッチリの回答よりも想定外の質問ほど人柄がでる。そこであなたが企業が求める人物像に合致するか確認しているわけだから、どう答えたからと言ってあなたが優秀かどうかが決まるわけではない。面接の質問のたったひとつで合否が決まると豪語する自称プロは、99%大したことがない。一発で決まる場合は、回答ではなく、面接室に入ってきてすぐの振る舞いと話し方と顔つき(イケメンか美女という意味ではない)だろう。

尚、当然だが、新卒面接や、極端な人手不足の会社の面接、最初から人間を使い捨てるつもりの会社の面接は除く。

ちなみに求人側、求職者側としての私の答えや考えはあるが、身バレしたくないから述べない。ただ、個人的には根拠の薄い「未来予測」は願望にすぎず、相手や自分に期待しすぎたり、想定外の事態に弱いなどの悪弊があると思っているので、私は好きではない。(仕事上必要な収支予測なぞ、社長の希望と形式に則った作業だと思っている)。起こった出来事について、感情での判断は避けて、現状を的確に把握し軌道修正したり、迅速に柔軟に対応するのが正解だと思っているからである。「予測」は「予測」。対応すべきは今起こっている「現時点」なのだから。

だから、この質問は「未来予測」能力の確認ではない。あなたの人間性とあなたが転職先でやろうと思っていることの確認をしたいから質問しているのである。