このブログ、一時期「ノイズハラスメント」というタイトルの記事の閲覧数が伸びていた。世の中、他人の出す音に対して嫌な思いを持っている人がいるのだろう。
まあ、こんな記事を書くぐらい、私は音に対して敏感だ。聴覚過敏、といってもよい。「ノイズハラスメント」の記事は、職場内の話だが、家の周りの音にも敏感である。
この時期、休みだと、耕運機の動作音が聞こえる。草刈り機の動作音が聞こえる。日曜日以外は、工事の音も聞こえる。音ばかりだ。平日昼間に家にいると、朝も昼間もテレビのワイドショーで、不安を駆り立て、怒りをかきたて、犯人捜しをしている。
私は、要するに、周りの音で自分の生活が阻害されない「静かな環境」を求めていた。他人の発する音で心が揺らされない「静音」と、変化のない環境を求めていたわけである。
そのために、周りに「静音」を求めた。みんな仲良く、とかいう意識は私は薄い。五月蠅いものは五月蠅いから注意して静かにさせる。
だが、この態度は、静かな環境を得るどころか、かえって自分の心身を苦しめることに気づいた。
自分の知らない音が聞こえると驚く。どこから鳴っているか調べる。不安になる。怒りに震える。住人との騒音トラブルで傷害事件が発生したことをテレビで報じていたが、私の場合、他人事ではない。被害者側ではなく、加害者側になりそうな気がしてならないのである。
それでも、他人に配慮して、という考え方は嫌いだった。大きな音を出すこと自体が、他人への配慮を欠いているマナー違反であるという怒りのほうが強かった。
でも、この生き方は実は自分の首を自分で締めていたのである。他人に配慮して音を出さないように他人に求めると、自分も音をだせなくなる。他人の音は悪いが自分の音はいいのだ、という都合のいい考えは持てなかった。他人に求める以上、自分も音を出すのは避けるべき、という規範意識にさらされてしまうのである。
だったら、その場から距離を置く、という考えを次に思い立った。しかし、この考えはすぐにとん挫した。失敗だった。
その理由は簡単で、他人が音を出すタイミングというのは、自分ではわからないからである。自分の都合のいい時が他人が何かをしたいタイミングではない。例えば、音のでている環境から離れるため、職場では席を外す、家にいた場合は外出する、などが考えられるが、これはかえってイライラするのである。
自分のしたいことができない、自分の行動が制限される、そしてなにより相手が音を出す時間の終わる時間がわからずにイライラするのである。
要するに、他人に自分の行動を左右されているわけであり、他人軸の生き方であり、精神的にイライラが募るだけである。そして、相手が音を出す時間を予測しだすと、未来への不安へと繋がり、今を生きていないことになってしまう。自分の今の時間を犠牲にしてしまう。その場から離れる用事をつくって対処すればいい、という考えは、その用事が相手の音を出す期間の終了時間と重なるとは限らないので「もう終わったかな?」とか推測してしまう。しんどい。
そして、次に思いついたのが、耳栓である。音自体を無音にしたらいい、と。だが、耳栓というのは完全に音を消せるものはほぼないといってもいい。音の大きさを小さくするものであり、その小さくなった音にかえって意識がいってしまう。相手の音に注意がいってしまうのである。
そんな時に思いついたのが、「ノイズキャンセリング」のイヤホンにより、自分の好きな音を聞くことであった。
ノイズキャンセリングは、仕組上、外のノイズに別のノイズをかけあわせて聞こえなくさせているだけであって、無音にはならない。そして、音を全く出さなければ、耳栓と同じで音は聞こえてしまう。だから、自分からなんらかの音楽を聴かないと効果を最大限発揮できないわけだ。
だが、この自分の好きな音楽を聴く、というのは、結構ありなのである。他人の音が不快、というのは、実は4つの理由がある。
- 音量
- 自分の好みではない音
- 自分が選んでない音
- 自分の選択で、音を消したりつけたりすることができない
この4つが理由で、他人の音が不快なのである。だから、ノイズキャンセリングイヤホンで自分で音楽を選択すれば、他人の音に対する「不快感」というのはかなりシャットアウトできたりするわけである。
ノイズキャンセリングイヤホンを使って、その間に自分の好きなことをすればいい。他人に無音を求めていると、自分も無音にしないといけない、という規範意識にくるしめられるが、自分でも音を出せるので、なんら精神的に不安になりにくい。
そして、人間の脳というのは、普段とは違う音に対して警戒する。外敵への対処として、脳が正常に機能している証拠ではあるが、音量が大きすぎて、自分の聞きたいものが聞こえないとか、真夜中とか言う場合を除いて、他人の音が不快なのは、その他人が嫌いか、他人のしていることが不快なのかのどちらかである。
他人、または他人の言動が不快な時、他人を消すこと、他人の言動を止めることは現実難しい。本当に、ご近所トラブルになる。
だったら、ノイズキャンセリングイヤホンで別の行動をすればいい。
さて、この、ノイズキャンセリングイヤホン。音に対する具体例として挙げたが、別の他人の言動が気になる、不快な場合や、警戒心が強くなった時の対処も、この「ノイズキャンセリングイヤホン」的な行動をして、やり過ごすほうが精神的に楽であることに気づいた。ノイズキャンセリングイヤホンもつけっぱなしだとしんどいから、その時はずしたら、意外と外部の音が小さく感じたり、不快感が小さくなっていたりする。急な音に対する警戒感と不快感がそうさせることに気づくことができる。
つまりは、他人に対し、その不快な言動を辞めさせたり、イライラしたり、なかったことにしたりするよりも、最新の技術を使って、自分の選択した行動をして、自分のやることに集中することが一番の対処であると思った次第である。
なにより、精神的に楽である。精神的な負担というのは、外部からの押し付けにたいする我慢と、自己の言動の制限と、現在の怒り、過去の恐怖体験、未来への不安からくる、というのがよくわかる。
といっても物には限度がある。あまりにも非常識な相手や、継続的に続くような不快な人間の場合は、近くにいてもなんら利益はない。我慢していたら精神的にまいってしまい、自力でそれを何とかしようとしたら、それこそトンカチをもって脅すような極端な行動になり、事件になり、自分のほうが悪、つまり加害者になってしまう。そんなひどい相手の場合は、これはもう「災害」だと思って、被災しないように、そこから避難するという選択肢を持っておくことは「敗者」ではないと思うことも重要だろう。