巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

SNSをスマホで見るのを辞めた結果…

10月1日、SNSアプリ、具体的にはX(旧Twitter)をスマートフォンから削除して、YouTubeをSNSを見れなくした。

その結果、SNSを見れないほうが、メンタル的にも有意義な時間を過ごすことにとってもメリットがあった。

SNSをなくしてもデメリットはほぼない、それはわかっていた。だが、ここまでメリットがあるとは思わなかった。

尚、家においてあるipadでみることはできるようにはしておいた。何かデメリットがあったとき用だ。ただ、その心配は、結果として今のところ杞憂であった。ただ、どんな話題がこの1か月間、一瞬の話題は別として、どんな話題が流行っていたかはわかっているつもりだ。

もともとXは、アルゴリズムで政治の話題とか、特定の発言が物議を呼ぶことが多いインフルエンサーとかはブロック、ミュートしているから、比較的穏やかな話題である。

だが、たまに、タイムラインで、炎上した投稿が流れてくる。炎上するものとは、大抵は著名人があえて狙って起こしたものではなく、偶発性な愚痴のようなもの、言い争いの結果、過激な表現が多い。こればかりは防ぎようがない。

だが、これをXをスマホから見ないようにして、約1か月、文字通り効果があった。

1つは、刺激を自分から求めなくなったことだ。自分が思っていた以上に、SNSは人間の脳に刺激という報酬を与えて、その報酬から抜け出せないようになっている。ドーパミン中毒、ドパガキとはよくいったものだ。自分は中高年のおっさんだが、ドパガキの1人であったようだ。

SNSは、疲れた脳にそれほどの労力を求めていない。大抵、簡単に読める。そして、一瞬にして刺激を与えてくれる。

だが、長いことそこにいると、誰かの、こいつは悪い、こいつは社会悪だ、こいつは不謹慎だ、この作品は不快だ、この決定はおかしい、という公平性を重視した正義感満載の意見に左右されやすくなってしまうようだ。現に私もそれをみて「そうだ、その通りだ」と思ったことは数知れない。

だが、1か月たってみて、ipadでたまにその意見をみたら、特に「どうでもいい」内容であることに気づいた。「どうでもいい」といったら、誤解を呼ぶ表現になるので言い直そう。私が解決する立場にない、当時者同士、関係者、直接の被害者と加害者が解決する問題であって、無関係の私が意見をいう必要も、意見を持つ必要すらない話題が多かった。

まるで、興味がないのに、ワイドショーに出演したばかりに、自分とは全く関係のない話、専門外の話で、何かコメントをださないといけなくて、苦しそうにコメントしているコメンテーターの気分だったようだ。

要するに、私が解決しなくてもよい、知らなくてもよい情報だったのだ。

あと、不安や恐怖を煽る話題が多い。この1か月、情報漏洩のニュースが相次いだ。おそらくSNSでそれを見ていたら、「今すぐやれ!情報漏洩対策!」という話題に飛びついていたであろう。不安になっていたであろう。

だが、この1か月、その話題はニュースでしか知らない。そもそもは情報を持っていて、それを漏らした企業側が対応すべき課題であって、企業側からの要請があれば対応すればいいし、その他自分でやれることを自分でやるしかない。インターネット、スマホでの資金決済は下火になっていくかもなあ、と思うぐらいだ。

さて、ここまで書くとおわかりであろう。SNSで得られる刺激という報酬は、目新しい有意義な、生産的な、人生に役立つ情報のことではない。自分に危機が迫っているという不安と恐怖のことを指す。

さらにいえば、自分が知らないだけで、裏で自分は不利益を受けているのではないか?という陰謀論に巻き込まれているだけである。

必要な情報は自分で探せばいいだけで、SNSのタイムラインでしか得られる情報ではない。さっきの情報漏洩だって、PHPの脆弱性に関してはきちんと日本の総理大臣が発信し、政府が情報提供し、ニュースがきちんと報道している。SNSでほんの少し早く知れるぐらいだし、悪く言えば、SNSの速報のネタは、嘘か本当か確証がもてないから、信頼できる機関、組織、または公式の発表を持つしかない。だったら、SNSは情報ツールとして、出かけている間も形見離さず見ておく価値があるか?といわれると疑問だ。

私は、SNSは著名人やスポーツ選手だけ発信すればいい、匿名の人は発信すべきではない、という意見にはくみしない。

昨日、T〇Sの報〇特集というテレビ番組で、SNSの誹謗中傷の話を見ていたが、正直、スポーツ選手のインタビューで「それは、誹謗中傷?」と思える場面もあった。一般人は、スポーツ選手を褒め称える事しかいってはいけないのか?とも思う。勿論、その報道特集のなかで言っていた通り「死ね」とか書いている人はもちろん論外であるが、自分の好まない意見を誹謗中傷に含めてはいけない。

選手を褒める事だけしかしてはいけない、というのはちょっと違うし、選手がそれを求めるならば、敗者がいる世界で、敗者に対してのリスペクトを感じられない投稿をすることは、選手側もやめるべきだと思う。

要するに、SNSは怒りや不安、恐怖を刺激するツールなのだ。そもそも怒りや不安、恐怖は自分の身を守るための防御装置として脳に備わったものである。SNSという赤の他人の人生の一部を逐次見て、わざわざ、自分の身を守る必要もない情報に踊らされて怒りや不安、恐怖を覚える必要はあるのか?と思う。

私は「まとめサイト」をみるのをやめたという記事を数年前に書いたが、今その記事のアクセス数が増えている。

今は、「まとめサイト」だけでなく、SNSもみるのをやめた、といってもいい。

最近とある作品が炎上しているそうで、その作品を読んだが、正直今の私はSNSを見ていないので、なぜ炎上しているか、どこに問題があるのかわからない。たぶんその索引の一部だけを切り抜いたり、その作品の宣伝方法に不快感を持ったのであろう。私はその作品が嫌いな人がいることを否定するつもりはない。私だって嫌いな作品がある。それにさきほど書いたが、褒めたたえる事以外「誹謗中傷」と呼ぶ流れには同調しない。だが、炎上する意見に同調する必要はないと思う。自分の感性で判断すればいいし、読めばいいと思う。

ちょうど一月前に、障害者の疑いがある女性の転落人生を描いた漫画のアニメ化が炎上していた。この時、私はSNSを見ていたので、その炎上する意見に対して、同じ意見をもった。今はどうかというと、「私にはわからない」というのが本音である。なぜなら、私はその作品を読んだことがないのだから。その漫画の影響で被害者になったわけではないのだから。炎上のネタなんて、自分の人生に直接影響のある人以外にとってはそんなものだ。

今は、YouTubeだけスマホに残っているが、それは音楽専用にだんだん切り替わってきている。

では、ipadからも、Xを外すか?と言われると、それはしばらく先のことになろう。フォローしているテレビや新聞では報道されない某作品の更新情報が知りたいからだ。だから、スマホでもフォロー欄だけ見る、という人には別にあえて外す必要性はないと思っている。

以上、私の意見。他人に押し付ける気はない。他人に押し付けた時点で、「芸能人とアスリート以外は投稿するな」といった名前も忘れたお笑い芸人と同類になってしまうからだ。

不安を消す方法の一つを紹介~朝散歩~

今月ゲームの話しかしてないな、と思ったので、メンタル不調のネタを簡潔に書こうと思う。

過去の記事で、私は「予期不安」が強い、と書いた。そこで色々な本を読んだりして、「予期不安」というのは、要するに、過去の経験をもとに脳が警戒信号を出している、という理解をしている。

その理屈はわかるし、対処法として、その理屈を理解することや、脳を今に集中する、というもわかる。

だが、それがなかなか実現できない。脳が自動反応で、目や耳や鼻などの五感を使って、ちょっとしたいつもと違うことに警戒してくるし、風呂に入ったり、寝ていると過去の思い出すし、どうやっても自動反応してしまうのである。

そんな時、ひょんなことから「朝に、朝日を浴びてウォーキングする」ようになった。主治医からの提案である。別に、私は某有名精神科医のYouTuberの回し者ではない。

医師がどういう理由で、朝にウォーキングをするように進めてきたのかは医師から説明を受けていないので不明だが、朝日を浴びることで、脳内伝達物質がでるとか、運動をすることで脳内伝達物質がでるとか、規則正しい生活ができるとか、色々な理由は考えられよう。

だが、私の場合、思わぬ効果があった。

上記の脳の自動警戒信号の発生率が急激に減ったのである。別に、ボーっとしているわけではない。危険があったら、その瞬間に対応できる。勝手に、今なっている音(電話音とか機械音とか聞いたことのない音)や、家や自分の近くを動いている他人、臭いに対して、「予期不安」が起こる頻度がガクンと減ったのである。

理由は、私の推測であるが、朝日とか運動とかで、脳内伝達物質がでる、というわけではないと思っている。

単純に、歩いて疲れることで「脳も疲労している」のだ。脳が五感を使って警戒信号をだすだけ、予期不安という、思考をするだけの力が残っていない、といった感じがしている。

別に、朝のウォーキングが有効、というだけではない。歩いている場所もいいのだと思っている。

私は、歩く際に、最近整備された海岸沿いの堤防横の道を歩いている。ウォーキング、ランニング用のコースとなっている。

これが他人など警戒する必要がない環境になっているのだ。例えば、住宅地が並ぶ道路を歩けば、その住宅地の住民に警戒される。車道を歩けば、自転車、バイク、車を警戒しないといけない。だが、上記のコースはその警戒しあう環境にない。それで、歩いている「今」に集中している。

後、音楽をイヤホンで聞くこともしない。耳は海沿いの波の音、という自然な音を聞いている。

そういう、環境面で、他者との距離をおける環境で心を今に集中できる環境を得たのもいいのではないか、と思っている。

だから、スマホを見ながら、ということは絶対にしない。時計は見るが、スマホは見ない。今に集中できないからだ。脳を過去の出来事、今日これからすること、未来のこと、現在起きている諸問題、それらのことから切り離し、五感を自然から得られるものだけ、今歩いている、今の自分が見える聞こえる範囲だけに絞る。その感覚を得るためには、急な用事や歩行、走行に関すること以外のことをスマホを通して見ていては、折角の朝の散歩で得られる効果はほぼなくなると思っている。

要するに、余計な情報を脳に入れすぎている環境に身を置きすぎたせいなのもあると思う。情報が多すぎて、不安になるのである。脳が思考するから、こうあるべき、こうなると嫌だな、という未来への期待と警戒があるから、「予期不安」が起こるのである。

この、「運動で脳を疲れさせて、予期不安を起こさせない」「他者や情報との距離をおける環境にいる時間をもったことで、今に集中できる」という2つがよいのではないか、と思っている。

20年前、メンタル不調で苦しんでいる時に、医師に

「今のあなたは、不安を自分の力でコントロールできない」といわれたことがある。

不安をコントロールしようとするほうが間違い。予期不安を発生させないように、思考しないようにと、頭で理解してもうまくいかない。

今の私は、この「朝散歩」がうまく機能しているように思えるが、環境は人それぞれなので、人類皆に効果があるとは思っていない。20年前に、住宅街をウォーキングしていた時は、近隣の住民から、泥棒の下見と勘違いされて、外で歩くのを辞めていたぐらいだ。今、上記の海岸の道が整備されたからできた結果だ。

と、折角いい発見をしたので、ブログに記録しておくことにした。

ウイニングポスト10 2024 ゲーム攻略日記⑧(最終回)子孫課金編 ~牧場長選びで後悔しゲーム終了~

ウイニングポスト10 2024攻略日記⑧。嫁選びと同じ記事で書いていたら、文字数が1万字を突破したので、分離。

この記事もなんと2万字を超えてしまったが、結論からいうと、この記事を書いたもととなるプレイ中に心が折れて、長いこと熱中、没頭したウイニングポスト10 2024のプレイを終了することにした。理由は以下述べる。

興味のない人に一旦改行。

 

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ウイニングポスト10 2024 ゲーム攻略日記⑦ 嫁選び編(後編)

ウイニングポスト10 2024 ゲーム攻略日記。これで最後のつもりだったが、嫁選びについて私なりの最終結果をまとめて、その後子供に関する記事を書いていたところ、1万字を超えてしまったので、嫁選び編と子育て編にわけることにした。

興味のない人用に一旦改行。

 

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ウイニングポスト10 2024 ゲーム攻略日記⑥ 子孫編(前編)

お断り。

この記事は過去に書いた、ウイニングポスト10 2024の記事の第5弾の一部である。今確認したら、この記事の文字数が2万字近いことに気づいた。いくらなんでも長すぎる。

よって、おふざけに近い文章で、競争馬の育成とはかけ離れているプレイヤーの子育て編について、分離することにした。

興味のない人に一旦改行。

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不安について 勝手に頭に浮かんでくる不安と恐怖の対処法(私見)

このブログでは、不安について何度となく書いた。私は不安がり、怖がりだが、本を読んで「予期不安」が強いことに気づいた。

「予期不安」。つまり、自分で予想して自分で不安になっていること。自ら起こってもいない未来について不安になること。そして、予期不安というのは9割以上当たらないらしい。当たらないというのは、予想した不安が起こらないこと、良くないことは起こったが、予想していたレベルの不安になる事実であったことを指す。

「予期不安」なんて、無意味。気にしても仕方がない。その理屈はわかる。だが、一向に「予期不安」が解消しないのだ。

ある専門家はいった。「予期不安は考えているから起こる。行動しよう」と。

ある専門家はいった。「予期不安は頭がお留守になっているから起こる。今現在のことに集中しよう」と。

ある専門家はいった。「予期不安は戦う覚悟がないから不安になる。普段から戦おうという決意をもって生きよう。」と。

ある専門家はいった。「予期不安は自分で作り出す不安。自分の脳で作り出さないよう降伏しよう」と。

ある専門家はいった。「闘牛士のように、ひらっとかわすようなしなやかさをもちなさい」と。

ある専門家はいった。「どうでもいいと思いなさい」と。

ある専門家はいった。「あるがまま」と。

ある専門家はいった。「不安を受け入れなさい、そして時がたって流れていくのを待ちなさい。受けて流すのです。」と。

ある専門家はいった。「情報を多く仕入れすぎているから、不安になっているのだ」と。

ある専門家はいった。「解決策の情報を知らないから不安になるのだ。情報を得よう」と。

ある専門化はいった。「動きながら考えよう」と。

ある専門家はいった。「自分で解決できる問題、できない問題を整理しよう。自分で解決できないことは悩んでも仕方がないし、自分で解決できる問題は解決策を見つけ、具体的に行動すればいいことだ」と。

どれも正しい。正論だ。

だが、不安というのは、突如起こって自分ではどうしようもないぐらい、胸が苦しくなり、身体が甲張り、恐怖で震えてしまうことだ。

理屈ではない。なぜ、そんなに不安になるのか?と言われたら、自分でもわからない。不安になる理由がわからない。だが、不安なのである。

考えないようにしよう、受け入れるようにしよう、どうでもいいと思おう、行動しよう、どれをしようにも対応できない。

行動しろ、とよくいうが、例えば仕事に関して休日に急に不安になったとしても行動できない場合が多い。

例えば、上司や先輩が怖くて不安になる場合。

どうにかしろといっても、恐怖で体が震えるし、上司や先輩という他人との関係性を改善させる方法など、上司や先輩を職場から追い出すか、自分がひれ伏すかのどちらかしか行動できない。土日などの休日に思い出して震えても、なにも行動できない。他のことに集中しようとしても、頭から離れない。立ち向かおうとしても休日だから会えない。

理屈ではない。どうしようもない。専門家の本の解決策は、理屈上の整理であって、解決に結びつかない。

そう思っていた時のことである。とあることがあって、私はひらめいたのである。

「どうにかしようとするのを諦めて、もう降参しよう。どうにでもしてくれ」と。

すると、心が軽くなった。思考が止まった。不安は脳が考える思考だ。

諦めて考えるのを辞めたら、脳が不安について考えるのを辞めた。

上記に書いた専門家のいっていたことは間違っていない。ただ、言葉の定義、解釈、腹落ちのさせ方が間違っていた。

自主的に不安を吹っ飛ばそうとするのではない。向かい合う、逃げる、かわす、他事に思考を変える。それらは自主的な行動だ。

だが違うのだ。自主的な行動ではなく、不安に対しては「受動的」でいいのだ。どうこうしようとすればするほど意識が不安に向く。不安を脳が記憶する。向かい合っても、逸らしても、それを自主的にやろうと脳で考えている以上どちらでも同じで、不安を意識しているから、不安はどんどん大きくなっていく。

不安を受け入れる、というのは、不安に無抵抗になるということだ。無抵抗といっても、格好つけて立っているのではない。格好つけている時点で意識している。自主的である。あくまで受け身で、さあ好きに攻撃してくれと心身を明け渡すイメージだ。

この不安に自分を明け渡すのが、受け入れる、受け流す、どうしようもないと思う、あるがまま、ということではないだろうか?

そして、未来、この後にする行動について、今行動しながら考えないことである。

未来について予定を立てることは良いことである。先々順序だてて、スケジュールをたてて行動することは、ビジネスマン、スポーツ選手、受験を控える学生にとっても、よいことである。

だが、なにかをしながら先のことは考えないことが不安の軽減につながる。未来について考えるのならば、その未来について考える事に集中する。他事を考えない。

不安というのは、未来のことについて、悪いことが起こるのではないかと考えるから不安になるのだ。そんな悲観的な?と不安になりにくい人は思うだろう。その悲観的な考えというのは過去の経験からくる。予期不安は過去にあった嫌な記憶を脳が覚えていて、またその嫌な記憶のような出来事、もしくはそれ以上の嫌なことがでてくるのではないかと考えるから不安になるのだ。

そして、なぜその不安を受け流せないかというと、未来のことについて、あらかじめ予定を立てていて、それが悪いほうに崩れると思うからだ。予定よりも悪くなる、予定より遅れる、想定外のことがおこり予定通りにいかなくなる、そうなりえる要素1%でも今起こっているから、不安になるのだ。予定を作ったつもりが、自分が予定に縛られている。緊張する。

だから、未来のことは考えない。未来について思考しない。悪いことが起こるとか予想しない。特に何かをやりながら未来について考えると、いまやっていることに手がつかない。

私の不安への対処法は現在は上記のとおりだ。

情報を仕入れすぎない、意味付けしない、自己受容する、メタ認知する、ということをちょっと前の記事に書いた。それから行き着いた先だ。

これで解決するとは思わない。想定外のこと、自分の心身や生活に支障が出そうな予感がした時、人は不安になる。

寝ている時に不安になっても行動はできないし、思考では止められない。朝、不安で目が覚めた時、不安で眠れなかったときに、行動しようとしても無理だし、他に集中することなどできない。

目の前の上司が怖いのは、怖いままだ。

だが、その怖いのは、悪い予感は、その時で終わらせる。全く無反応なんてのはできない。いや、終わらせる、となると自主的になる、終わるようにいつの間にかなっていればいいな、と他人事のように待つことにしよう。

最後にこの考えの注意事項である。

こうやって未来の予測をしないと、けっこうケアレスミスが増える。車の運転をすると普段なら気が付くちょっとした異常に気づけない。上司や顧客の質問に対して、すぐに答えられなくなる。そして、昼間眠くなる。緊張感がなくなるからだろう。仕事や学校で居眠りしてしまうかもしれない。

つまり、脳があらかじめ準備しておくというのは、危険回避として重要な機能だ、ということだ。

「予期不安」というのは、未来に対して「事前準備」できる能力でもあるのだ。脳は、自分が生き残ることを最優先にした判断をしているらしいことはこのことからわかる。

だから、予期不安が必ずしも日常生活上の悪ではないことがわかる。ただ、不安が強い人は、あらかじめ過剰な人、嫌なことが過去にあった人、「できない」人扱いされていて、失敗しないようにしようと考えているからなのかもしれない。

 

スマホからとあるSNSアプリを消去するメリット

令和8年10月1日から、スマホからSNSアプリを消去した。アンインストールした、といっていいのかどうかは知らないが、とりあえず物理的に見えなくした。

その経緯と、結果をまとめた記事である。

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