けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

心の安定を誰かに委ねるから、今後も続くことを願うから、心が弱くなる。

不安になる時。心配になる時。怒る時。

大抵は、今の状態が変化することへの警戒からくる。”今”ここにいることに対して、誰かが、何かがその”安定”を脅かすと思うから怖くなる。

それは誰かに自分の”安定”をゆだねている証拠。自分が正しいと思っていることを周りの人間に保証してもらおうとしている証拠。今いる周りの人間が自分の考えに同意して、新しい”脅威”に一致団結して”自分と同じ考え”で立ち向かってもらうべきと思っている証拠。

この場合、心が弱くなる。周りの誰かに自分の身の安全を委ねているからである。周りに自分のことを認めてもらいたいと思うからである。

結果、他人の顔色を窺う。他人に疑心暗鬼になり、不安になる。怖くなる。

他人に何かを委ねなければ、自分ひとりで立ち向かうと腹を括れば、不安や恐怖は落ち着く。他人が自分を助けてくれたら、自分は幸運だったと思うか、その他人に感謝すればいい。

未来に安定を求めなければいい。国が、他国が、隣人が、上司が、同僚が、伴侶が、親が、子が、きょうだいが、自分の安定をこれからも守ってくれることを期待しなければいい。誰かに喧嘩を売られたら、その時に喧嘩上等と思っておけばいい。勝てそうにない相手、ヤバい相手なら逃げればいい。誰かに危害を及ぼされれば、その時立ち向かうか逃げるか考えればいい。まだ起こっていない未来に対して予測しようとするから不安になる。

未来を予測しようとしなければいい。未来は自分が思った通りにはならない。将来にわたって平和が続くと願わなければいい。平和はたった1人と対立することで簡単に崩れる。その1人が他国の独裁者なら戦争だ。その1人がでてこないように警戒をしていても疲労するだけだ。

自分の意見が周りに評価されるべき、賛同されるべきと思わなければいい。誰かに自分の正しさが否定されたのならば、否定された時にどうすればいいか考えればいい。

将来に向かって”今”努力することは、”今”準備することはアリだが、”将来”のことを予測しようとすれば、不安になる。思考すれば必ずマイナスのことを考えるからだ。

今心配する将来の事は9割起こらない。だが、想定外の心配事は未来で必ず発生する。”今”の自分が想定できないことが起こると思っておいた方がよい。

”将来”に備えるならば、”今”できることをする。起るかどうかも不明な”将来”に備えて”将来”のための行動をとるよりも、”今”できることをやったほうが、また”今”やったことで失敗したこと、徒労に終わっただけだと思っていたことが、案外”将来”役に立つものである。

シュミレーションは外れると思っておいた方がいい。シュミレーションをするのは、チームプレイをするときにバラバラな行動をとらないためにするものだ。また、他者に説明するためにするものだ。個人単位ならばOODAだ。PDCAサイクルなんてすぐに崩れる。

多分将来に自分の身に危険が及ぼされ負ける時もあるだろう。その時は負けを認めればいい。最悪、今の居場所から去ればいいと腹を括ればいい。

それだけのこと。

胃カメラ 再検査にショックを受ける

先日、人間ドックに行ってきた。2021年の健康診断のなかの胃のバリウム検査で”経過観察”を受けていたので、2023年は胃カメラを受けるべく、余分にお金を払って人間ドックに行くことにした。

2023年の胃カメラでは”経過観察””12か月以内の再受診”だった。そこで今年2024年も胃カメラを受けるべく早めに”人間ドック”を受診した。

結果としては、どうやら”要精密検査”になりそうだ。まだ受診してから日が浅く、その”要精密検査”という検査結果を紙で貰っていない段階なので確定とはいえないが、検査中の胃カメラ担当の医師、および看護師の発言から、病院での再受診は確実そうだ。

医師からは胃カメラで画像を見つつ、「この部分がよく見えないなあ。ここ(健康診断専門施設で受診した)よりいい機械のある専門病院で調べてもいいかもなあ。急ぐ必要もないし多分大丈夫と思うけど心配ならば受診してもいいんじゃないかなあ。」と話しながら検査終了して戻っていった。

また、”経過観察”かなあと思ったが、その看護師から次の発言があり驚いた。

「人間ドック終了後の今日、外来に行って”紹介状”を書いてもらいますか?それとも、かかりつけ医に診断結果をもっていって”紹介状”を書いてもらいますか?どっちがいいです?」

あれ、精密検査確定なの?今日紹介状ということは急いだほうがいいの?と思い看護師に「ヤバいのが見つかりましたか?」と直球を投げてみた。

看護師「ヤバいかどうかでなく、良いか悪いか医師が判断できない部分があったということです」

うん、まあ、病院で精密検査した方がいいということは確実なのね、と思った。

そして人間ドック終了後、別の医師の今の時点でわかる結果報告があった。胃カメラの部分は”所見”と書いてあった。

そこで、あらためてもう一度確認してみたところ電子カルテを開いてもらった。

「隆起性病変の疑いあり」「要精密検査」と書いてあったように見えた。

その医師からは「今日の結果は後日改めて書面で郵送するので、それを見て下さい。」

うん、まあ詳しいことはよくわからないが、後日病院で再検査が必要なのは確実そうだ。

そして今日のこの結果を受けてショックを受けて帰ってきた。

自分としては結構ショックを受けていることが意外だった。もう2回も経過観察を受けたのだから、いい加減精密検査を受けて白黒はっきりさせたいと思っていたのだが、いざ再検査といわれるとショックを受けている。

今回の医師が未熟でよく判断できなかったのでは?と他人のせいにしたいと思うぐらいショックであった。胃カメラで胃や十二指腸や食道をぐりぐりカメラで動かしたあと1日中気持ちが悪かったのと、麻酔のせいなのかは知らないがフラフラしてろれつが回らない。正直2度と受けたくない思いが強くなっていた。

でももう一度あのシンドイ胃カメラを受けないといけないということが嫌になるのはわかるが、もし癌であったらと思い落ち込んでいる自分に自分が驚いている。

過去の記事にも書いてある通り、もはや長生きしたいと思っていない自分がいるのに。そりゃ痛いのは嫌だが、自分は本音ではまだ生きていたいと思っているのかとも思った。しかも、その日に”腫瘍”といわれたわけでもないのに。

何かまだ生きていく中で心残りがあるというのだろうか。う~ん、思いつかない。

そしてインターネットでカルテに書いてあった文字”隆起性病変疑い?”で検索してみた。うん、素人だし、病名ではないようでなんともわからない。

精密検査を受ける前、また場合によっては手術を受ける前に心労で痩せそうだ。

Xになってもバカッター(バカ発見機)は健在

昨日、Xでとあるバカな経営者の投稿がタイムラインででてきた。全容はわからないのだが、とにかく内定を辞退した学生を罵る投稿である。学生どころか親の教育が悪いと親まで罵っていた。

さすがバカ発見機と言われるだけのことはある。そして今もその機能は健在。就職活動中の学生たちはよくよくこういうバカなことをいう経営者や人事担当者の名前や会社名を覚えておくといい。

といっても別に内定辞退を薦めているわけではない。そもそも内定をもらって辞退することは良いことではない。だが、初めて入社する会社を選ぶ時には色々なこともあろう。こういう脅しをする人間に臆して妥協することなく、自分の希望に沿った会社に入社できるよう頑張ってほしい。未経験者での転職はハードルが高いのだから、やりたいことを叶えるためには希望する職務の経験を積む第一歩として最初の会社の選択はかなり重要だ。

新卒の人が第1希望1社だけ受けて終わることはそうそうない。第1希望が一番最初に内定をくれる場合はそうそうない。1社の内定だけで就職活動が終了することはそうそうない。また仮に第1希望が内定をくれたとしても、折角の多くの会社のことを知る機会なのだから、自分が知らない会社の説明会で話を聞くことも、面接で直に話をすることも人生で貴重な経験だ。その結果、第1希望が変わる可能性だって十分あり得るし、希望が変わってもいいと思う。

そして、大抵の会社はその新卒の事情も、複数の会社を面接し内定を取っていることも知っている。内定を多くとっている人ほど、さらに内定を取りやすい傾向は今も変わらないだろう。採用担当だって、他の会社が内定をもっていない人とそうでない人では見る目が変わる。就職活動中の人の態度も就職先を確保できたことで余裕が生まれるのか対応力があがるからかもしれない。また超大手企業だって本人の希望に沿う企業が現れれば、自社の内定が蹴られることも想定済だ。

勿論、内定を辞退されて気分がよいはずがない。内定を辞退されて腹が立つのは自然だし、その辞退の仕方にも礼儀が必要だ。だが、それは求職者だってお祈りメールが届いていい気分がしないとの同じことだ。

それでは何がバカだと言うと、内定を辞退をされて憤ったことをわざわざ社名と本名を明らかにしてSNSに投稿していることだ。

普通の経営者・採用責任者/担当者は、内定辞退されて腹が立っても、わざわざSNSに投稿しない。

そういう人間は多分その投稿自体をおかしいと思っていない。現にその投稿者も反論してきた相手をバカとかアホとか汚い言葉で罵っていた。論破が好きな暇人と見下していた。投稿した行為を何も間違っていないと本気で思っている。炎上狙い、バズ狙いのインフルエンサーとは違い、本気でそう思っている。

そういう会社に入社したとしよう。もしなにかミスをしたら、そのエピソードをSNSに投稿される可能性がある。Z世代はこれだからとネタにされる。さらに早期に退職するとなると、晒されるうえに、退職で揉める可能性がある。

まあ、こういう会社があるから退職代行が流行るのかもしれない。

この投稿に対して、わざわざリポストして反論する必要はない。わが社は労働者のことをSNSで晒す会社です、と自ら申告、公言しているのだし、からんで無駄な時間を費やす必要はない。

そういう会社だとして応募先のリストにないか確認しておけばよい。取引先だってそうだ。関係が悪化したらSNSに投稿して晒してくるだろう。会社として人として関係をもつことを避ける指針となりうる。

ちなみにその投稿した会社は私は存じ上げない会社だった。ここで会社名や代表者の名前をいうのは彼と同じバカだといっているようなものなのでいわない。ただ、わざわざ公言してくれたおかげでそういう代表取締役がいる会社と知ることができた。自己紹介、どうもありがとう。

メンタル不調者がでないように会社側ができることは

私は仕事の影響で重度のメンタル疾患になった経験がある。回復後は、再発しないために、もしくは再発しても重症化しないために、知識を増やしてきた。また、どういった時に自分の心にダメージがあるか記録している。つまり、個人としてどうすればいいかという対処法は調べてきたつもりだ。

一方で、会社側の人間として、メンタル疾患に労働者をさせないためには何をすればいいか、という点についてはあまり考えたことがなかった。会社側という視点にたてば、個人差がある、個人の対処次第という労働者個人の対応に任せた結論では片付けてはいけない。どんな人でもメンタル疾患にかかる可能性があるという前提にたった対応策が必要だ。

例えば面接で「メンタル疾患の経験者として、人事職として会社側はメンタル不調者がでないためにはどうしたらよいと考えますか?」という質問をされたとしよう。その場合どう答えるか?

そこで、今回の記事は、タイトルどおり「メンタル不調者がでないように会社側ができることは何か?」にういて思いついたことを以下列挙してみることにした。

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人材開発支援助成金の私見Ⅵ 事業展開等リスキリングコース 令和6年度版

以前書こうと思っていた【人材開発支援助成金】のなかの【事業展開等リスキリングコース】についての記事である。令和5年度版は既に1年前に記事にしたが、今回令和6年度版として記事を作成することにした。コース自体の中身はそれほど変わっていない。変わったのは、その中身についての不明な点がガイドブックのリニューアルと、令和5年度のどこかでいつの間にか公表されていた事業主向けQ&A。これにより明確になった個所があったからである。

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学校に行く必要はないのか?それ以前に、SNSに投稿する時間が一番無駄。

数か月前ぐらいだったと思うが、「学校に行く必要があるか?ないか?」というテーマで、SNS内で意見が飛び交っていることをミドルメディアで知った。そもそも私はこの意見の発信者たち、いやゆるインフルエンサーSNS自体の投稿を見ないし、堀〇氏のSNSを私はブロックしているので、その意見を読んでいない。読んでいない以上、彼ら個人の意見については賛成も反対もしない。少なくとも堀〇氏のSNS上の発言は、他人をバカにする投稿ばかりミドルメディアに取り上げられてるようだから、そのミドルメディアの挑発に乗るのは時間の無駄と私は思っている。

さて、彼らの意見は別として、この「学校に行く必要があるか?ないか?」というテーマについては、私は行けるのならば行った方がいいと思う。

それはなぜか?いかなくてもいいという人間は、そもそも学校に中退にしろ、卒業したにしろ、まずいったことがある上で必要があるかないかを自分で判断して発言しているからだ。

つまり、学校に”行った経験”をもとにして、発言している。

行ったことのない人が行く必要があるかないか判断するのは、自分で経験していない以上判断が限りなく難しい。経験がない以上、他人の意見に乗っかっているだけ、彼らの誰かが言っているからそう思っているだけ、または行ってないのに行く必要がないといっても、”酸っぱい葡萄”と言われるのがオチだろう。また、著名なインフルエンサーとして稼いだ人間が「自分たちは東大京早慶より優秀」と発言するようなものだ。社会で金を稼いだことと、学問を学ぶことを同じように扱うのを見て、滑稽だと思うだろう。それと同じだ。

いった価値があると言える人は、行く前の期待値と比較して同等かそれ以上のことがあったからであろう。またはその高校大学に行った先で出会って良かったと思える人がいるからだろう。尊敬すべき指導者、学友との出会いは貴重だ。

そして行く必要がないという人は、行く前の期待に見合う出来事がなかった、自分にないものを持った人に出会えなかったか、斜に構えて人を見る目がなかったか、のどちらかだろう。

それに今の日本社会(海外の大学に行ったことがないので日本社会しか私は言えない)は学校という時間は自分の時間を持つことが許される、極端にいえばなにもしなくても許される期間である。

一方、大学や高校に行っていなければ、引きこもりというマイナス評価である。人によっては学生という身分があろうとなかろうとやっていることはそれほど変わりがない人もいるのだが、その身分を持つことは、なぜか評価が変わる。

この評価自体に異論を唱えること自体は理解できる。だが、他人の評価なんてそんなものだ。

例えば社会にでたら、営業職は結果さえだせば、後はサボっていてもいい時間がある。経営者は利益を出し続けさえすれば、別に経営者本人が会社にこなくてもいい。学校も同じで、入学時や試験時に成績と言う結果さえだせば、後はサボっていてもいい。社会人も学生もその点は変わらない。

ガクチカ?あんなのは自称採用のプロが作り出したクソみたいな言葉だ。自称採用のプロに評価されない生活を送っても、ぶっちゃけ、面接でなんとでもなるし、学歴でもバイトでもどうとでもなる。それに私は学生という限られた貴重な時間を、就職面接の採用担当者が決める基準にあわせて行動するなんて勿体ないと思っている。

貴重な時間を”ガクチカ”のために消費して、その結果が他の人の同じような内容で評価されなかった時、無駄な時間を過ごしたと思うだろう。無駄と思う時間は、学生でも社会人でも同じで、他人の評価を気にして行動しても結果的に評価されなかった時間をいう。他人基準だからだ。

自分の話になるが、私は高校はクソみたいな人間に出会って、その人間にビビッて部活を抜けてしまったので、正直大学に行くまでの勉強期間にしかならなかった。しかし、他人のせいで自分のやりたいことができなかったという、その屈辱の時は後の人生に活かせると思う。

大学では、高校でクソみたいな人間に出会い、卑屈で偏見に満ちてしまった思考を、自分が思いもつかないような思考をもつ、自分よりはるかに優れて視野の広い尊敬できる人間と出会って、世の中捨てたものではないな、世界が広く思えたので大学に行って良かったと思っている。

要するに、出会う人次第のところもあると思う。一期一会。それは別に学校に限らないが、行ってみないことにはそれがわからない。

ただいえることがある。それはどこに行こうがいかまいが、何をやろうがやらまいが、その逆の行動をとる人、逆の意見をいう人を見下すような人間に感化されること自体が一番良くない。そもそも行動することを強調する人間が、別のことをすることを薦めるならともかく、学校に行くことだけを抽出して無駄と断言するのが理解できない。

もう結論はでた。

学校にいくかいかないか、それが無駄かどうか、それ以前に、SNSYouTube、ヤフーニュースで堀〇氏や他人の悪口や迷惑を与えることがメインのユーチューバーたちを見ている時間と、彼らを賛美するか、反発したリプライをしている時間のほうがよっぽど人生の無駄である。

メンタル疾患のことを書こうとしたら内容が飛び散らかってまとまられなかった失敗記事

はじめに

以下の記事は、当初は会社側の対応について書こうとしたら、感情的に思いを吐露する形になり、自分語りになったり、会社側の対応策は思いつかなかったうえに少子化対策の話になった失敗作である。

折角なので、残しておくけど、話が飛び散って結局何が言いたいかわからないので改行をいれておく。

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