巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

大河ドラマでみる「他責思考」

今回の記事は、大河ドラマでみた、わかりやすい「他責思考」人間のお話。

さて、令和8年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟!」である。豊臣秀吉の弟、豊臣秀長(小一郎)を主人公にした、秀吉と秀長の一生を描く大河ドラマである。

この大河ドラマ、戦国時代の、それも天下統一(ドラマ上では天下一統。天下統一とは京を含む近畿地方の統一という意味になるから、天下一統、という表現になっている、らしい)までの道のりを描く。

戦国時代の3英傑の話は日本の歴史好きにとっては通説のように一般人でも知っている出来事も多いので、通説と異なることをすると色々と批判がでているようである。これは、数年前の「どうする家康」と同じで、有名すぎるが上での批判であろう。

私も歴史好きなので、その脚色、ドラマ上の話はちょっと作りすぎだろうとは思いつつも、開始当初は、百姓出の豊臣兄弟を演じる2人の役者のコメディータッチのテンポのいい兼ね合い、そして本能寺の変以降は、8月頃は、柴田勝家とお市、9月は徳川家康を演じる役者さんの凄さで、下手すれば滑稽になりかねない作り話に説得力を持たせて、没入感を楽しませてもらっている。

ドラマというのはは、役者の演技力と演出次第でこうも変わるのかと思わせてくれる大河ドラマ。

そして、今回の大河ドラマは、主役以外の、3英傑以外の武将である脇役がいい味をだしている。(歴史改変しすぎて、中川氏の初代藩主の父を裏切り者扱いさせてしまったのは失敗だが)役者さんの演技力とスポットライトの当て方がとても魅力的な大河ドラマである。

丹羽長秀が本能寺の変までも含めて、ここまででてくる大河ドラマは珍しい。

その分、主人公である豊臣秀長は、現代の価値観を戦国時代に持ち込んだような、いい人設定になってしまうので主人公役の方にとっては、ちょっと辛い大河になっている気もするが、それは仕方がなかろう。戦国時代の価値観を持ち込んだら、豊臣秀吉陣営は戦争が多いし、兵糧攻め(飢餓攻め)もしたりするので、グロ要素満載になってしまう。

以上は今回の大河についての概略説明。

今日言いたいのは、9月13日放送の、小牧・長久手の戦い時における、豊臣秀次(この時は三好信吉)、織田信雄(信長の次男)の他責思考である。

このブログでは、他責思考とは何ぞや、というテーマで何度となく記事を書いた。だが、この9月13日放送分の、豊臣秀次、織田信雄の2人の発言をもって、「他責思考」とはこういう奴をいうのだぞ、と役者さんを通して、もうわかりやすく説明してくれたような話であった。それこそ、ここで何度と文字にしなくても、この回の、この2人の発言を見たら、「他責思考」がなぜ絶対NGなのかが一発でわかる。

ちょっとネタバレになるが、ストーリーの概略を説明する。ネタバレなので、一旦ここで区切る。

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「芸能人の不倫」は、なぜ叩かれるのか?というテーマに関する思いつき。

だいぶ前の話であるが、「なぜ、世界の紛争などは叩かないのに、芸能人、著名人の不倫は、一般大衆から叩かれるのか?」という質問に対して「暇だから、バカだから」という風な答えを出していた人がいたような気がする。答えが違ったかもしれない。まあ、記憶するほど暇ではない。質問内容はともかく、不倫に群がる視聴者、購読者を挑発していた回答だったのは確か。芸能人、著名人にとっては不倫報道に対して昨今の風潮に異を唱えたいのだろう。

ただ、「不倫」をスクープするのは週刊誌である。マスコミのお仲間である。一般人はそんな不倫を見つける事など探偵でもあるまいしできない。週刊誌が勝手に報道しているのが目に入るだけで、週刊誌に文句をいってくれとは思う。

彼ら彼女らが「不倫」をスクープする週刊誌に文句を言う理由は簡単至極である。

自分、または自分の仲間に火の粉が飛ぶから。自分たちの行動(性欲)の邪魔をするな、と正直にいえばいい話だが、暇だから、バカだからといって論点をずらそうとしている。または、挑発することで視聴者、購読者の感情を刺激したいかのどちらか。

実際「赤の他人が不倫しようがどうでもいいだろ?」といわれれば、たしかにそうである。他人の夫婦のことなど知ったことではないし、知りうるのは週刊誌がすっぱ抜いた不倫関係だけであって、世の中の不倫の全てを知っているわけではない。一部の不倫をもって、相手を叩くのは不公平だし、スクープされた人にとっては、「ほかの芸能人もやってるのになんで自分が?」と、まるで駐車違反の交通違反の切符をきられたときに、「ほかの人も駐車違反をしているのに、なんで自分が?」というのと同じような心理なのだろう。

芸能人の有名税?とはいわれるが、正直、私はそうだし一般人のほとんどは芸能人の不倫なんて一ミリも興味はない。かつてのスターは外に妾がいた人もいた。芸能人の一部は、性を売りにして仕事をとってくる人がいる職業だとも思っている。

そんな芸能人の性の活動なんて、給湯室の井戸端会議のように、日常生活で話のネタがつきた時にするようなものであろう。どうせすぐに忘れる。なぜなら、自分の人生に一ミリも影響しないから。…暇だから、というのは一理ある。暇な時間のネタである。

不倫自体を本心で良くないと反応する人がいるとしたら、過去に自らが不倫された人で、過去の自分の記憶を呼び覚まされているからではなかろうか?

他の人にとっては、不倫は「どうでもいい」話である。

そう考えると、週刊誌もそうだがワイドショーの話題なんて、基本的に「どうでもいい」話が多い。例えば殺人事件で犯人を推理する時間をいまだにやっているが、拳銃や刃物を持った犯人が逃走中ならば自分の身を守るために必要な情報な場合もあるが、容疑者が捕まった段階で、もう終わった話である。最近は水害で派手な水没シーンを探し歩いてそこだけ見せている。水害もワイド「ショー」化けしている。

犯人の予想や、犯人の動機は、被害者や被害者遺族以外にとっては「どうでもいい」のである。いや、くだらない暇つぶし。それを座ってワイプで見てコメントしている芸能人も視聴者と同じ。よほど暇なのか、出演料が金になるかのどちらかだろう。

おっと、話がそれた。今回は不倫の話である。刑事事件の話を出したのは、要するにワイドショーや週刊誌の書いている話なんて「どうでもいい」のである。

「どうでもいい」とは、自分には関係がない、どうなってもいい影響も悪い影響もない、自分の人生に関係がない、ということ。だから、テキトーなコメントであるが、自分の人生に影響のあることではないので、当たり障りのない話のネタになる。

…うん、暇だから、という回答は、間違っていないな。

だったら、なぜ不倫をした芸能人たちがどうして叩かれるのか?

そして週刊誌がスクープしても対して話題にならない人もいれば、テレビから追放されるような芸能人がいる。その違いは何か?

そんなときふと、不倫ではない別のどうでもいい理由で叩かれていた芸能人がいた。それを見て私はこの命題に対する答えとして、ふと思ったのだ。

そもそも、視聴者は、その芸能人がもともと、嫌い、もしくは嫌悪感を抱いていた。ただ、その感情をもって叩かなかっただけだ。

結婚したときに、成功したときに叩けば「嫉妬」とみなされ、他人の幸福を祝えない「狭量な人」扱いされる。ただ、結婚してもテレビにでまくっていて、見るのも嫌いな人は誰しも1人や2人いるはずだ。排除するほど嫌いなわけではないが「気に食わない」人間はいるはずだ。

特に芸能人は、大量に番組に出る。その発言、行動、表情を見て、ムカッとくることはあってもおかしくない。

そんなときに「不倫報道」がでる。

「不倫」というのは、倫理感が欠如しているということで、社会的に悪とされる。つまり、叩ける理由を芸能人のほうから提供してくれるわけである。他人の幸福や人気や才能に対する嫉妬という理由を言われる、または誹謗中傷と言われる、「狭量な」「不幸な負け組」というカウンターを受けずに、いけ好かない芸能人たちを叩ける、大義名分になりうるのが「不倫」だからではないか?

正直、赤の他人が赤の他人と不倫しようが自分にとってはどうでもいい。ただ、「不倫」という大義名分をもって、そのいけ好かない芸能人がテレビや雑誌、インターネットから消すことに向かわせるいい理由ができただけのことではないか?まあ、消すほど嫌いな芸能人がいるというわけではないが、偉そうに一般大衆に説教じみた発言をする機会は減る。

他国の紛争は自分がどれだけ叩こうが、止まらない。だが、嫌いな、またはいけ好かない芸能人がテレビから消せる理由が「不倫」なのではないか?

異論は認める。人によって叩く理由は異なるであろう。気に食わない理由は違うだろうし、絶対に許さない行為だと思っている人もあるし、不倫を持て囃す風潮になるのは駄目だ、と思っている人もいるだろうし、どうでもいい行為は人によって異なるだろうから。だが「不倫」であろうが、理由は「倫理に反する」ことではなく、何らかの「不道徳」「非常識」「不適切な言動」などの理由があれば、なんでもいいのではないか?と思う。

その芸能人がお仲間の芸能人からみて「いい人」かどうかなどはどうでもいい。あったこともない人の性格など知りえない。単に生理的に気に食わない。不快感をもつ芸能人。それを目にする機会を減らせる理由が週刊誌から提示されたから。

後、不倫した芸能人の配偶者が、芸能人か一般人かによっても話が変わってくる。この辺りは推測であるが、一般人の配偶者が「許した」といったとその芸能人が言った場合は、他の人は一般人の配偶者の意見を確認しようがないので、これ以上、「不倫」という正義をふるう大義名分が失われるのと、配偶者が芸能人である場合は、ベストカップル賞?みたいな「大衆が憧れる羨ましい夫婦」のような持ち上げられ方をされていて、それが、単なるイメージ戦略に過ぎず、化けの皮がはがれたかの瞬間を見れて、ワイドショーでもてはやされる「いい人」が実は犯罪者であった、という驚きをもって、感情が揺さぶられるからであろう。

そもそも、芸能人や著名人を聖人君主のように、人格者のように、先駆者、成功者のように持ち上げるほうがおかしい。皆が見習うべき、リスペクトすべき成功者のように扱うから、または門外漢の問題まで発言するコメンテーターの仕事をするから、視聴者からみたら、上から目線のようで反感を買ってしまっているのではなかろうか?

もともと、ダーティーなイメージで認知されていて、コメンテーターのような仕事をせずに他人に説教をしていない芸能人のほうが、不倫をしても誰もそうは思わないものだ。(警察に御厄介になる場合を除く)

あと、価値がある有能な芸能人の場合は、不倫してもそれほど叩かれない。やはり、視聴者から見て「価値がない」と思っている人間が「価値がある」風に扱われていることを快く思っていないからで、その心理は「嫉妬」と定義されるから、「嫉妬」が理由も正解かもしれない。「嫉妬」は「羨ましい」からでもあるが、自分より価値が低いと思っている人間を、周りが自分より価値が高いと扱う場合に対しての不快な感情も「嫉妬」だからだ。

昔、CMで子役が「芸能人は持ち上げるだけ持ち上げて、落とされるから、もてはやされるときは注意しろ」というような話をしていた。不倫で叩かれるのは、持ち上げられすぎただけで、週刊誌といっても、その座から引き落とされたいお仲間の情報提供で、売られているのではないの?と邪推している。

まあ、どうでもいいうえにカネにもならない話を3500字も書いてしまった。最初の命題を出した人は、このテーマで読者を小馬鹿にすれば小銭が稼げる、と言っていたようなことを思い出した。小銭にもならない話で時間を使ってしまった。

私の結論。

不倫を叩く理由は、気に食わない人間を誹謗中傷とされずに叩ける理由として「不倫」が使えるから、だと思っている。尚、暇だから、も正解で、自分が忙しい時に報道されても叩かない。だって「どうでもいい」相手だから、忙しい時にさく時間でもない。

つまり、今日の私が暇だっただから、このネタを書いた、のに過ぎないのだ。

追記。

この記事を書いた後に、ふと「不倫のドラマや、不倫小説は人気があるのに、実際不倫をした人は叩くのは何故だろう?」と思ってしまった。

倫理に反する、といえども、結婚対象となる相手、セックスの相手は、この世で結婚したら1人しかいない、なんてことはなかろう。性欲の対象となる相手は結婚したからと言って1人になるわけではなく、世の中に多くといよう。社会構造上、家庭制度、家族制度を維持する以上は非推奨だが、あえて他人の不倫の現場が見つかったからといって、それを叩く必要も、報道する意義もあるまい。

やはり、不倫自体を否定するのはなく、不倫という口実に、その人を叩ける口実になるいる、下世話なネタにできる、という理由にすぎないのかもしれない。

自分が逃げたいぐらい嫌なことを見据えると、自分が人生で求めていることが見えてくる。

言いたいことをわかりやすく伝えるために、ちょっと昔話、自分語りをしたい。ちょっと重めの自分の話をしたい。

一回書いてみたが、まとまりのない文章になっていて、人によっては、読まないほうがいいかもしれない内容になった。ただ、今の私の心境を、後に振り返るにはちょうどいいので残しておく。ただ、ほとんどの人には意味がないので、一旦改行する。

 

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エンタメについて② 誰かの名誉を傷つけてもよいのか

だいぶ前に、エンタメとは何ぞや?というタイトルで書いたことがある。

書いてからしばらくたって、また「エンタメ」をめぐり、2つの騒動があった。

一つは、福島大の大学生を嘲笑う動画をめぐっての騒動。

一つは、とんなるず、木梨氏の競演タレントの私物である車を破壊したことへの騒動。

最初の大学生のほうは、当該大学の学長と当該大学のある市の市長からの抗議があり、その該当動画は削除された”らしい”。”らしい”と書いたのは、そもそもその投稿者の動画を私が見たことがないため。切り抜きだけ見たのでは、ことの判別はできないから。

とはいっても仮に動画を今でも見ることができることができても、偏差値の低い学生を”低学歴”だと罵る動画を私が見ることはない。彼らの番組が良い発信をしている動画もあると反論する、某知事の意見が正しいかどうかは私には不明だし、たしかめる気もない。よって、その動画の内容の是非についてはコメントしない。

尚、動画の主催者は「低学歴をいじることに同意をした人が出演しているのであり、エンターテイメントだ」と主張しているらしい。

もうひとつは、インターネットTVの番組で行われた出来事である。数か月たって、その私物の車を破壊された方がSNSで怒りを露わにしたことから、視聴者は「他人の高級所有物を破壊する行為は”やらせ”、つまりは、本人の事前同意のもとにやっているものではないのか?」という驚きと同時に、上の立場(番組の主役)の人間が、反対できない立場の人(ゲスト)に対するイジメであり、そもそもは、弁償したとしても犯罪であるし、他人を傷つける行為は笑いではない、という反論があったが、昭和や平成の時代には、ビートたけし氏が明石家さんま氏の高級車を破壊する、というのが夏休み期間のフジテレビが放送する27時間テレビの名物コーナーでもあったから、「なぜ今急に?」という思いもある。これも、その番組をみていないのでコメントしない。

そういえば、「嫌いなタレントは?」という質問で、ピー音なしで、名前をいって、その言われた名前の人が、SNSで抗議をした件もあったのも思い出した。

最近、お笑いに関する常識が崩れている。”いじり”と評した他人を侮辱する笑いはコンプライアンス違反という名のもとに地上波からほとんど姿を消した。そこで、インターネット番組やYouTubeなどに舞台を移していった。視聴者数が一定数あるということはニーズはあるのだろうが、それらも被害者の訴えで、存続の帰路に立たされているのだろう。

こう具体例をあげたのは、

「なぜ、最近はエンタメと評した、昭和の頃から実施されていた”いじり”が批判されるようになったのか」

という疑問がわいたからだ。

最大の理由はパワーハラスメント、セクシャルハラスメントに対して被害者が声を上げられることになったことである。加害者とされる人にも言い分もあろうし、実際のところはいち視聴者が判断できることではないが、少なくとも、ハラスメントと被害者が訴え場合に続けられる「お笑い番組」は殆どなくなった。

もう一つはSNSの隆盛。誰もが自分の被害を他の人達に訴え、広められることが可能になった。昔は、電話や手紙で直接相手方に主張するしかなかった。テレビや雑誌、新聞というメディアが取り上げてくれない限りは、多くの人に知ってもらえないし、あまつさえ、マスコミ時代が作っている番組に、同じ会社が自分を加害者だとして取り合ってくれる場合はすくなかろう。裁判以外に方法がない。それが、戦う覚悟をもった人ならば、比較的容易にSNSで拡散できる時代である。被害者が、”お笑い番組”を守るために泣き寝入り、犠牲になる時代は終焉に向かいつつある。

ただ、SNSでこう訴えると、逆に反論される場合がある。

「エンタメだから、嫌なら見なければいい。」

イヤなら見るな。たしかにその通りではあるが、そこに何か引っかかりがあった。

それが最近ふと気づいたのだ。嫌なら見るな、ではない。放送するかどうかではない。

被害者が声を上げない限りは、その番組での発言と行動が、誰かの名誉を傷つけたままだからだ。

そしてそもそも名誉とは、人間の手を離れて勝手に崩れるものではない。基本的に本人以外の他人の言動によって、人の名誉というのは崩れるものであり、そして、その崩された名誉に対して、当事者は反論をしなければ、一生名誉は傷ついたままであるからだ。

かつては、いじりをテレビ上されてもカメラに写っていないところで、きちんと発言者側からの謝罪なりがあって、傷つけれた名誉は回復している可能性がある。または、名誉を回復する手段がなく、弱い立場の人間として泣き寝入りしていただけの可能性もある。

ただ、そのフォローもなければ名誉は傷つけたままだ。

そして、それに対して反論しければ、本人は傷ついていない、本人同意のもとやっている、「やらせ」「演出」を信じるなんて純粋な人間だと批判され、または本当のことだから反論しないのだろうと、視聴者は誤解してしまう。嫌いなタレントとして名前をあげられて、そのまま放置していれば、「あのタレントは、テレビにうつっていないところでは、性格が悪いんだろうなあ」という視聴者に推測されてしまう。

そういえば、ひろゆき氏の本で、討論番組での論破芸はエンタメだといってはいたが、自分が手掛けている事業がインターネットの諸悪の根源のようにレッテルを貼られそうになった時は、そのまま流されれば、視聴者はそのレッテルを信じてしまい、事業の存続にかかわりうるから、本気で相手を論破した、と書いていた記憶がある。

誹謗中傷は駄目、というSNSの投稿が度々ある。あれは、他人が自分の名誉を傷つけるな、信用を失墜させることを周りに拡散するな、という風に理解したほうがわかりやすいかもしれない。

他人の名誉を傷つける行為は笑いにはもはやならない。嫌なら見るな、といっても、放送される以上は、自分の名誉は傷つけられ、黙認すれば本人はその事実を受け入れている事実と周囲に勘違いされる。

だからこそ、名誉(信用)を傷つけるのを辞めよ、と言っている人に対して、エンタメなんだから嫌なら見るな、は、論点がズレている、反論になっていないことがわかる。

エンタメといえば、他人の名誉(信用)を傷つけてもよい免罪符ではないのだから。自分の感情の浄化のために、ストレス解消のために、他人を傷つけていい理由にはならない。

そこから考えれば、例の漫画のアニメ化に反対する気持ちも理解できる。

どういう理由から反対しているかは人それぞれで、反論する人との間で論点がずれてしまうところもある気がするが、少なくとも、知的障害の疑いのある人の名誉を傷つけることを拡散するのはやめよ、という指摘は間違っていない。

現実社会で「みいちゃん」という差別的表現が広がっている現実を踏まえ、アニメにするならば現実社会の知的障害者、発達障害、またはそれに近い人達が、アニメという拡散力のある媒体によって、今以上に現実社会で傷つくことのないように、という訴えは、なんらおかしくないと思える。

 

とはいえ、笑いというのは、「世の中ではやってはいけない、いってはいけない」という常識を崩すから笑いが生まれるという。他人の悪口が面白いのは、そうは思っているが他人の悪口を言ってはいけない、という常識があるからこと、面白いのだ。お笑いの本質は、表現の匠さ、というのもあるが、非常識な、または突拍子もないことを言ったり行ったりして、または指摘する、そして、それを演じることにある。

そして、お笑いを生業とする人は、自分が常識を破って、変人を装って自分が笑われる芸をする人がいれば、他人の非常識や、競争社会、優性思想から、劣等扱いした人を”いじって”、聞いている人の笑いを誘う場合がある。

だからお笑い芸人はボケとツッコミを置いて、誰か赤の他人を傷つけないように、コンビで役割分担したり、出演者間で役割分担をしているのであろう。

そのルールが崩れてきて、赤の他人や同意していない人間を”いじったり”、そこにいない人間を”いじったり”、またはショート動画、切り抜き動画の隆盛で、その言動がおこわなわれた経緯がわからず、ただの暴力、いじめに映り、お笑いでなくなっている、のだと推測したのが今日時点である。

 

追記 とんねるず木梨氏の愛車破壊行為については、問題の愛車破壊行為動画の前段階を見ると、解釈が変わってくる、という話が急にでてきた。視聴者にとってみれば、それがいわゆる「やらせ」、つまりは台本通りなのか、いわゆる「お約束」の認識違いなのかはわからない。とすると、勝手にどちらかを悪者扱いするのは良くない、ということになるであろう。

ただ、もはや”いじり”と”他人の所有物の破壊”は笑えなくなってきたのは確かである。

私は、スポーツ観戦のアンチである。

突然だが、諸君、私は、スポーツ観戦が大嫌いである。

断っておくが、自分がスポーツをするのは好きである。知り合いや身内がスポーツをするのを応援するのは好きである。おらが町のスポーツチームの応援は大好きである。

国別対抗のオリンピックなどのスポーツ観戦とその関連番組が大嫌いなのである。

ちなみに、日本代表以外のチームは好きである。なぜなら、各個人のスキルをきちんと報じるから。だから、かつてTBSで放送される「世界陸上」は褒めたたえた。日本人の代表がいなくとも、各個人の能力とそれを観戦できることの素晴らしさを表現しようとしていたからである。

わかりづらいから、具体的にはっきり言おう。

テレビなどで「日本代表をみんなで応援しましょう!」というアナウンサーやタレントを見ると反吐が出る。

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ウイニングポスト10 2024 シン・ゲーム攻略日記(中編)

ウイニングポスト10 2024のゲーム攻略の話。

まだ、やっていたんかい!というツッコミがきそうだ。そう、まだやっていた。GW前にたまたまGEOで見つけた1980円で購入したPS4版のゲーム。最新作の2026がでて2年前の型落ちのゲームであるが、これをちまちまとやっていた。

そして、ついにこのゲームをクリアしたのである。このゲームでのクリアとは、国内のGⅠ(障害を除く)と、海外(米国、英国、愛国、仏国、豪州、香港、ドバイ、サウジなど)の主要GⅠをすべて勝って、トロフィーの展示室を埋めたらクリアである。

ただ、このゲーム、クリアと言っても、クリアした後も、エンティング画面が流れた後に、そのまま普通に続けることも可能。一応区切りとしてのエンディングに到達したわけである。

ということで、そのまとめの記事を今回書くことにした。最初からやった回数としては4度。4度もやって初めてクリアしたのだが、4回やれば気づいたこともあったので、それをまとめてみたい。

興味のない人に一旦、区切る。

 

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エンタメとは何ぞや?

最近、「エンタメ」とは何か、考えさせられる機会が多い。「エンタメ」という名のもとに、他者へのいじめや加害行為を正当化する、コンテンツ制作者を多数見る機会があったからだ。

まず、そもそも「エンタメ」とは、何ぞや?多数「他者への加害行為をコンテンツとして提供している」YouTubeを提供する、Google。そのAIのgeminiに質問してみる。

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