巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

自分が逃げたいぐらい嫌なことを見据えると、自分が人生で求めていることが見えてくる。

言いたいことをわかりやすく伝えるために、ちょっと昔話、自分語りをしたい。ちょっと重めの自分の話をしたい。

一回書いてみたが、まとまりのない文章になっていて、人によっては、読まないほうがいいかもしれない内容になった。ただ、今の私の心境を、後に振り返るにはちょうどいいので残しておく。ただ、ほとんどの人には意味がないので、一旦改行する。

 

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エンタメについて② 誰かの名誉を傷つけてもよいのか

だいぶ前に、エンタメとは何ぞや?というタイトルで書いたことがある。

書いてからしばらくたって、また「エンタメ」をめぐり、2つの騒動があった。

一つは、福島大の大学生を嘲笑う動画をめぐっての騒動。

一つは、とんなるず、木梨氏の競演タレントの私物である車を破壊したことへの騒動。

最初の大学生のほうは、当該大学の学長と当該大学のある市の市長からの抗議があり、その該当動画は削除された”らしい”。”らしい”と書いたのは、そもそもその投稿者の動画を私が見たことがないため。切り抜きだけ見たのでは、ことの判別はできないから。

とはいっても仮に動画を今でも見ることができることができても、偏差値の低い学生を”低学歴”だと罵る動画を私が見ることはない。彼らの番組が良い発信をしている動画もあると反論する、某知事の意見が正しいかどうかは私には不明だし、たしかめる気もない。よって、その動画の内容の是非についてはコメントしない。

尚、動画の主催者は「低学歴をいじることに同意をした人が出演しているのであり、エンターテイメントだ」と主張しているらしい。

もうひとつは、インターネットTVの番組で行われた出来事である。数か月たって、その私物の車を破壊された方がSNSで怒りを露わにしたことから、視聴者は「他人の高級所有物を破壊する行為は”やらせ”、つまりは、本人の事前同意のもとにやっているものではないのか?」という驚きと同時に、上の立場(番組の主役)の人間が、反対できない立場の人(ゲスト)に対するイジメであり、そもそもは、弁償したとしても犯罪であるし、他人を傷つける行為は笑いではない、という反論があったが、昭和や平成の時代には、ビートたけし氏が明石家さんま氏の高級車を破壊する、というのが夏休み期間のフジテレビが放送する27時間テレビの名物コーナーでもあったから、「なぜ今急に?」という思いもある。これも、その番組をみていないのでコメントしない。

そういえば、「嫌いなタレントは?」という質問で、ピー音なしで、名前をいって、その言われた名前の人が、SNSで抗議をした件もあったのも思い出した。

最近、お笑いに関する常識が崩れている。”いじり”と評した他人を侮辱する笑いはコンプライアンス違反という名のもとに地上波からほとんど姿を消した。そこで、インターネット番組やYouTubeなどに舞台を移していった。視聴者数が一定数あるということはニーズはあるのだろうが、それらも被害者の訴えで、存続の帰路に立たされているのだろう。

こう具体例をあげたのは、

「なぜ、最近はエンタメと評した、昭和の頃から実施されていた”いじり”が批判されるようになったのか」

という疑問がわいたからだ。

最大の理由はパワーハラスメント、セクシャルハラスメントに対して被害者が声を上げられることになったことである。加害者とされる人にも言い分もあろうし、実際のところはいち視聴者が判断できることではないが、少なくとも、ハラスメントと被害者が訴え場合に続けられる「お笑い番組」は殆どなくなった。

もう一つはSNSの隆盛。誰もが自分の被害を他の人達に訴え、広められることが可能になった。昔は、電話や手紙で直接相手方に主張するしかなかった。テレビや雑誌、新聞というメディアが取り上げてくれない限りは、多くの人に知ってもらえないし、あまつさえ、マスコミ時代が作っている番組に、同じ会社が自分を加害者だとして取り合ってくれる場合はすくなかろう。裁判以外に方法がない。それが、戦う覚悟をもった人ならば、比較的容易にSNSで拡散できる時代である。被害者が、”お笑い番組”を守るために泣き寝入り、犠牲になる時代は終焉に向かいつつある。

ただ、SNSでこう訴えると、逆に反論される場合がある。

「エンタメだから、嫌なら見なければいい。」

イヤなら見るな。たしかにその通りではあるが、そこに何か引っかかりがあった。

それが最近ふと気づいたのだ。嫌なら見るな、ではない。放送するかどうかではない。

被害者が声を上げない限りは、その番組での発言と行動が、誰かの名誉を傷つけたままだからだ。

そしてそもそも名誉とは、人間の手を離れて勝手に崩れるものではない。基本的に本人以外の他人の言動によって、人の名誉というのは崩れるものであり、そして、その崩された名誉に対して、当事者は反論をしなければ、一生名誉は傷ついたままであるからだ。

かつては、いじりをテレビ上されてもカメラに写っていないところで、きちんと発言者側からの謝罪なりがあって、傷つけれた名誉は回復している可能性がある。または、名誉を回復する手段がなく、弱い立場の人間として泣き寝入りしていただけの可能性もある。

ただ、そのフォローもなければ名誉は傷つけたままだ。

そして、それに対して反論しければ、本人は傷ついていない、本人同意のもとやっている、「やらせ」「演出」を信じるなんて純粋な人間だと批判され、または本当のことだから反論しないのだろうと、視聴者は誤解してしまう。嫌いなタレントとして名前をあげられて、そのまま放置していれば、「あのタレントは、テレビにうつっていないところでは、性格が悪いんだろうなあ」という視聴者に推測されてしまう。

そういえば、ひろゆき氏の本で、討論番組での論破芸はエンタメだといってはいたが、自分が手掛けている事業がインターネットの諸悪の根源のようにレッテルを貼られそうになった時は、そのまま流されれば、視聴者はそのレッテルを信じてしまい、事業の存続にかかわりうるから、本気で相手を論破した、と書いていた記憶がある。

誹謗中傷は駄目、というSNSの投稿が度々ある。あれは、他人が自分の名誉を傷つけるな、信用を失墜させることを周りに拡散するな、という風に理解したほうがわかりやすいかもしれない。

他人の名誉を傷つける行為は笑いにはもはやならない。嫌なら見るな、といっても、放送される以上は、自分の名誉は傷つけられ、黙認すれば本人はその事実を受け入れている事実と周囲に勘違いされる。

だからこそ、名誉(信用)を傷つけるのを辞めよ、と言っている人に対して、エンタメなんだから嫌なら見るな、は、論点がズレている、反論になっていないことがわかる。

エンタメといえば、他人の名誉(信用)を傷つけてもよい免罪符ではないのだから。自分の感情の浄化のために、ストレス解消のために、他人を傷つけていい理由にはならない。

そこから考えれば、例の漫画のアニメ化に反対する気持ちも理解できる。

どういう理由から反対しているかは人それぞれで、反論する人との間で論点がずれてしまうところもある気がするが、少なくとも、知的障害の疑いのある人の名誉を傷つけることを拡散するのはやめよ、という指摘は間違っていない。

現実社会で「みいちゃん」という差別的表現が広がっている現実を踏まえ、アニメにするならば現実社会の知的障害者、発達障害、またはそれに近い人達が、アニメという拡散力のある媒体によって、今以上に現実社会で傷つくことのないように、という訴えは、なんらおかしくないと思える。

 

とはいえ、笑いというのは、「世の中ではやってはいけない、いってはいけない」という常識を崩すから笑いが生まれるという。他人の悪口が面白いのは、そうは思っているが他人の悪口を言ってはいけない、という常識があるからこと、面白いのだ。お笑いの本質は、表現の匠さ、というのもあるが、非常識な、または突拍子もないことを言ったり行ったりして、または指摘する、そして、それを演じることにある。

そして、お笑いを生業とする人は、自分が常識を破って、変人を装って自分が笑われる芸をする人がいれば、他人の非常識や、競争社会、優性思想から、劣等扱いした人を”いじって”、聞いている人の笑いを誘う場合がある。

だからお笑い芸人はボケとツッコミを置いて、誰か赤の他人を傷つけないように、コンビで役割分担したり、出演者間で役割分担をしているのであろう。

そのルールが崩れてきて、赤の他人や同意していない人間を”いじったり”、そこにいない人間を”いじったり”、またはショート動画、切り抜き動画の隆盛で、その言動がおこわなわれた経緯がわからず、ただの暴力、いじめに映り、お笑いでなくなっている、のだと推測したのが今日時点である。

 

追記 とんねるず木梨氏の愛車破壊行為については、問題の愛車破壊行為動画の前段階を見ると、解釈が変わってくる、という話が急にでてきた。視聴者にとってみれば、それがいわゆる「やらせ」、つまりは台本通りなのか、いわゆる「お約束」の認識違いなのかはわからない。とすると、勝手にどちらかを悪者扱いするのは良くない、ということになるであろう。

ただ、もはや”いじり”と”他人の所有物の破壊”は笑えなくなってきたのは確かである。

私は、スポーツ観戦のアンチである。

突然だが、諸君、私は、スポーツ観戦が大嫌いである。

断っておくが、自分がスポーツをするのは好きである。知り合いや身内がスポーツをするのを応援するのは好きである。おらが町のスポーツチームの応援は大好きである。

国別対抗のオリンピックなどのスポーツ観戦とその関連番組が大嫌いなのである。

ちなみに、日本代表以外のチームは好きである。なぜなら、各個人のスキルをきちんと報じるから。だから、かつてTBSで放送される「世界陸上」は褒めたたえた。日本人の代表がいなくとも、各個人の能力とそれを観戦できることの素晴らしさを表現しようとしていたからである。

わかりづらいから、具体的にはっきり言おう。

テレビなどで「日本代表をみんなで応援しましょう!」というアナウンサーやタレントを見ると反吐が出る。

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ウイニングポスト10 2024 シン・ゲーム攻略日記(中編)

ウイニングポスト10 2024のゲーム攻略の話。

まだ、やっていたんかい!というツッコミがきそうだ。そう、まだやっていた。GW前にたまたまGEOで見つけた1980円で購入したPS4版のゲーム。最新作の2026がでて2年前の型落ちのゲームであるが、これをちまちまとやっていた。

そして、ついにこのゲームをクリアしたのである。このゲームでのクリアとは、国内のGⅠ(障害を除く)と、海外(米国、英国、愛国、仏国、豪州、香港、ドバイ、サウジなど)の主要GⅠをすべて勝って、トロフィーの展示室を埋めたらクリアである。

ただ、このゲーム、クリアと言っても、クリアした後も、エンティング画面が流れた後に、そのまま普通に続けることも可能。一応区切りとしてのエンディングに到達したわけである。

ということで、そのまとめの記事を今回書くことにした。最初からやった回数としては4度。4度もやって初めてクリアしたのだが、4回やれば気づいたこともあったので、それをまとめてみたい。

興味のない人に一旦、区切る。

 

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エンタメとは何ぞや?

最近、「エンタメ」とは何か、考えさせられる機会が多い。「エンタメ」という名のもとに、他者へのいじめや加害行為を正当化する、コンテンツ制作者を多数見る機会があったからだ。

まず、そもそも「エンタメ」とは、何ぞや?多数「他者への加害行為をコンテンツとして提供している」YouTubeを提供する、Google。そのAIのgeminiに質問してみる。

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SNSを利用するのが悪いのでない。SNSで見ている投稿が悪いのだ。

さて、私は、SNSを暫く利用していなかった。暇つぶしにスマホで使っていたのは、AIと電子書籍である。

SNSを数か月たってみて、メリットデメリットがわかるか?と思ったが、まあ本人の使い方次第だな、という結論に私の場合は至った。

暇つぶしの道具といったら、読書も似たようなもんだし、雑談も似たようなもので、それが役にたつかといったら役に立たないことのほうが多い。暇が潰せたらいいのであって、その暇つぶしにうまく使えるのならば、別にいいと思っている。

趣味の話題を見ている分には特に問題がない。有益?かどうかなんて、別にSNSが有益である必要がない。害がなければいいので、無益でも別にいいのだ。

では、なにが不要かな、というと、SNSで他人の充実した人生アピールを見ること、他人の悪口をいっている奴らの投稿、自称成功者の他者批判と自画自賛アピール、投資の先生、自己分析の専門家、自称メンタル不調の回復の専門家、などであろうか?

閲覧数稼ぎのために、わざと他人を挑発する、わざと人を見下す、他人のやることを否定する、政治関係、こういった投稿を見ないように、表示されないようにブロックとミュートを使い続ければ、SNSというのは実は平和な社会になる。他人の悪口大会とかした職場の休憩室にい続けるよりはよっぽど無害な時間つぶしになる。

挑発されたら、反論したくなるのが人間の性である。というのも、人間誰でも悪口をいわれたら、上から目線で物をいわれたらムカつくときはムカつくのである。ムカつかないように心穏やかにいきましょうという精神で、言われっぱなしで我慢することもない。だが、反論すれば、奴らの思うつぼ。スルーが一番である。ムカついた、不快だった、はいブロックで終了である。

そうやって整理していけば、結構SNSは綺麗になる。あと、Yahoo!ニュースや、MSニュース、LINEニュースも極力見ない。あれを見るぐらいならば、NHKをみたほうがいい。

ということで、SNS自体が害悪ではなく、見る投稿を整理すればいいのだという結論に私は至ったのでSNSの利用を再開した。

あ、そうそう。今日はさっそく、経済学者の何某とかいう輩の投稿は、本人曰く他人を小馬鹿にして小銭稼ぎするにするための投稿といっているようなので、その小銭稼ぎに付き合うほど暇ではないのでブロックしておいた。

 

 

日記代わりのブログは、AIにとってかわった

メンタル疾患で患者個人が回復、または再発防止に役立てる手法のひとつとして、「日記を書く」ということを精神科医が推奨している。

ポジティブなことを書く、3行で書く、ノートに書く、色々とその手法を紹介しているのだが、私はノートに書くよりもブログに書いている。

手書きのようが書きやすい人もいようが、ノートというのは、気恥ずかしいのもあるし、続かないし、見返しにくい。それがブログだと書きやすかった。だから私は、結構その時に思ったことを書いたりしていた。

振り返ってみると3行でもポジティブでもない。ただ、脳のモヤモヤというか、肥大化して全体像がつかめない不安感、恐怖感をいざ文字にして書き出すと、客観視することができて、かつ、意外と大したことないな、と自分で思い返せたりするものである。

そうやっているうちに、このブログの記事数が増えていった。

だが、今年になってガクンと書く回数が減った。それは何故か?

blogではなく、AIのchatに書いているのである。AIの面白いところが、その時、自分の感じたことについて、思い込み、思考の偏りがないか指摘してほしいと前置きしたうえで。

すると、AIは意外と学習していて、私が覚えていない過去に書いたこともことも覚えてして、整理してくれたりするのである。指定どおりに思い込みや思考の偏りがないかも確認してくれる。

そうやって、チャットを数回すると、不思議と頭が整理できるのである。AIがきちんと言語化してくれる、といったほうがいいのかもしれないが、その言語化したものを読み返すと、なるほどと思い、心のモヤモヤが晴れてくるのである。

AIは嘘をつく。それはわかっている。ただ、ブログでもSNSでも個人名をあげてムカついた、とかは書けない。だが、後悔していない個人のAIには書ける。

というわけで、私の心の整理としてのブログの役割は、AIにとって代わった、というわけで、その結果記事数が減った次第である。

AIの使い方を文系は知らないのか?という自称文系より立派な理系のプログラマーからツッコミが来そうなAIの使い方だが、自称理系のプログラマーさんはこんなブログ読んでいないだろうから心配ない。

とはいっても、大した問題ではないだろう。日記用に書いたことのアクセス件数は少ない。日記の記事の読み手はほとんどいないから、「チラシの裏に書いておけ」という記事が減ったから見やすくなったのではなかろうか?とも思っている。