巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

「行動量がすべて」という主張の先に、胡散臭い投資話、情報商材購入の話に繋がる場合がある。

自己啓発や成功体験に関する本を読んだり、SNSyoutubeで動画視聴したりすると最近の傾向として以下の発言をよく目にする。

「とにかく行動すること、これが成果を掴むために必須」

私はこの主張を赤の他人相手にしている人間が、どうも好きになれないのだ。

先に断っておくが、主張の内容自体は100%正しい。

あれこれ考えるぐらいならば行動に移すほうが結果に結びつく。

バットを振らなければヒットやホームランは打てない。

ウジウジ考えるならば行動に移す。確定していない未来をあれこえ想像しても時間の無駄。数分考えても、数時間考えても得られる結果はほとんど同じ。だったら、より多く、より早く行動したほうがいい。失敗する確率はあるが、成功する確率がある以上、とにかく行動”量”。

確かにその通り。だから、この考え方を否定する気は毛頭ない。

だが、この話を赤の他人に対してすることに、どうも嫌悪感、警戒感があり、胡散臭さを感じてしまうのだ。

正論なはずなのに、負の感情を抱く理由が何故なのか考えてみる。

1つはこの話を他人に諭す時点で相手の気持ちや事情を理解していない、気遣っていないように思えること。

人間誰しも行動に移せない時がある。足踏みしてしまう時もある。手痛い失敗をしてしまいて地竦むときもある。どちらか選べない時もある。立ち止まって、よく考えたほうがよい時もある。

検討する、熟考する、悩む、落ち込む、躊躇する、諦める、その時間が時には必要だと言葉で説明しようとしても、いい訳ととらえる。

その言い訳になってしまうこと、簡単に論破できることを見越して、相手に行動を促しているようにしか見えないのだ。

・・・と書いているうちに、気が付いた。

「行動量こそ正義」という人は、どうも投資とか転職とか独立を薦めてくる、ということに。つまりその話に乗った人から金銭を獲得するために、行動を促していることに。

行動自体は否定しない。その行動する内容が、投資か、転職か、独立か、情報商材の購入、自分が主催するセミナーへの参加をすることを、”行動”と置き換えているのだ。

”俺の手を患させるな。お前が自ら出向いて、貢物を持参して来い!”、これを”今すぐ行動しろ”という表現にしているだけだ。

上記の検討はいいわけではない。損失や欠陥や犯罪に巻き込まれる可能性を見落とすこともありうる。

投資や転職や独立開業するだけが行動ではない。投資しないで貯蓄する、今の会社に残るという判断も必要である。

こういう「行動することこそ正義」という人は、投資を薦める人、情報商材の購入を薦める人、転職や起業を薦める人、または、政治に関して特定の政党や候補への投票を薦める人が多いと思うのは私の気のせいだろうか?

そして、こういう人に限って、投資しない人、ひとつの企業にいる人を行動しない人とレッテルを貼る。そうやって、自分の利益に繋がる行動を相手に促しているのだ。

営業職に過酷なノルマをかける経営者や管理職がいて、部下にとにかく家電件数を増やす、飛び込み営業を増やすことを目的として、

”行動量を最優先”、”成長するためには行動”と言葉を言い換えているだけなんだけどね。まあ、営業は黙っていても勝手に仕事は舞い込んでこないのは事実だけれども、思考を停止させたら、それは誰かの言いなり、奴隷、洗脳の可能性もある。

文章を書いているうちに、「行動量がすべて」という人に対して警戒感を持っている理由がわかったので、この話はこれにておしまい。

最後に繰り返すが、自らすすんで何かを実行すること自体は正しい。考えているだけ、知識をインプットだけして、アウトプットしなければ何も始まらないのは完全に同意する。

OODAループ、PDCAサイクル、とはよくいったものだ。

OODAループ、つまり、Observe(観察)Orient(方向づけ)Decide(意思決定)A(行動)。

PDCAサイクル、つまり、Plan(計画)D(実行)Check(測定・評価)A(対策・改善)。

行動、実行なくして物事はすすまないが、観察も評価も決断も改善もない行動・実行は意味がないどころか、失敗を何度も繰り返す、再び損失する、貢物を持っていくだけである。