ちょっと前の記事で「退職代行」に関して肯定的にとらえる記事を書いた。
ごちゃごちゃと法律の条文を載せたりして理屈をこねた文章を書いているが、私の心理は単純明快である。
「退職代行」を使って、退職に関する手続きも含めて他人に全部任せて、今の仕事からきれいさっぱり足を洗うこと、嫌な同僚と縁を切れることに憧れているからである。そして「退職代行」という思い切った手段をとれる人達が羨ましいからである。
SNS等で、直接迷惑を被ったわけでもない赤の他人が退職代行を使うのを否定する発言人のなかには、羨ましさの裏返しがあるのではないか、と私は思っている。あとは、社会のルールを破る人間に対する「懲罰」意識が強いか。(全員がそうとはいっていない)
今の仕事から抜け出したい。嫌いな奴らと縁を切りたい。話したくもない。顔もあわせたくない。あれこれ残務処理とか責任とかすべて他人に任せたい。現在のしがらみから解放されたい。etc
そんな気持ちが私にあるからである。
「退職代行」を使うことで、上司や人事の顔に泥を塗るような、後ろ足で砂をかけるようなことをして去ったら、後になって面倒なことになる場合があることを知っているからこそ、私は「退職代行」は利用しようと思わない。だが、そういう人へ気遣いをすることが本音ではやりたくないから、そんな思い切ったことができること人達を羨ましく思うのだろう。
だが、無職になって、気楽になって、仕事や仕事がらみのしがらみから解放されたら、人生を謳歌できる、そんなことは絶対にないことも私は身をもって知っている。
私はメンタル疾患で最初の会社をクビになってからの数年間、そして、前職を転職先を見つける前に退社する羽目になってから、約半年間の無職の期間、精神的にかなりつらい思いをした。
正直いって、仕事をしているストレスよりも、無職で明日のこともわからない状態のほうがつらかった記憶がある。仕事は嫌なことも多々あるが、人との繋がりもある。外部からの刺激もある。自分だけでは知らない世界を知ることもできる。無職は最初はいいが、もって1か月。その後は今日やることがないから考える時間がある。考える時間があると、ネガティブなことばかり考えるようになる。落ち続ける書類選考と面接が、自分という人間のこれまでと、これからを否定し続ける。
身内から文句をいわれるから、無職への偏見でつらいからだと思う人もいるかもしれない。確かにそれもある。
だが私は実体験として、無職という孤独、やることのない時間、明日への不安、日々減っていく貯金、否定され続ける採用活動、それらが合わさってじわじわと追い詰めることのほうがつらかった。
そして、後悔する。「なぜ退職する時に、次の仕事を決めておかなかったんだ?」と。
定年などで隠居する場合もそうだろう。隠居した後にすることがある人は別だと思うが、特に趣味もなく、やろうとすることもない人は絶対に苦しむ。
預貯金が潤沢にあってしばらくは働かなくてもよい、という人でも”暇”と”孤独”という時間は、実際体験すると終わりの見えない”暇”は精神的につらい。
退職は、よほどのことがない限りしないほうがいい。
そう理屈で分かっているからこそ、「退職代行」を使える人が羨ましいのである。
理屈でしないほうがいい、後になって後悔する、そうわかっているのにも関わらず、思い切った行動をとれる、現在や未来のことなど投げ捨てることができる、私はそんな人に憧れているのだろう。
え?そこまで考えてない人もいる?
う~ん、就職氷河期世代の私とは違い、今の人手不足の労働市場では、若い人ならばどこでも仕事がありそうで、そんな無鉄砲なのもアリなんじゃないかな?若気の至りともいえるし、その後世界中を旅でもしたら、将来に繋がる未来が待っているかもしれないし。
中高年は、たとえ転職先に100%非があったとしても、「退職代行」を使うのはやめたほうがいい。堂々と「退職届」をだして辞めてくればいい。
なぜなら次の転職先の面接で、100%転職先に問題があったと伝えても、面接官にはその理由は90%理解してもらえないから。たとえ犯罪行為を指示されたとしても、だ。(10%は倒産など会社がなくなった場合など限定的)
理由は簡単。このブログお決まりの「他責思考」と面接官は捉えるから。
新卒ならともかく、社会経験がある人ならば、就職先企業に対する調査不足が原因。何度でもいうが、転職先の選択ミスは、チャレンジではなく、取り返しのつかないやってはいけない失敗、または無能の証拠と扱われる。面接不採用。
ん?だったら、「退職代行」使えるぐらいの思い切りの良さや、行動の早さのほうが受けるかも?やっぱり「退職代行」は今後どう扱われるかわからない「可能性」がある。