令和7年10月最終日。ひとつの本を紹介したい。その本のタイトルは
「悩まない人の考え方」
である。とある会社の経営者が書いた本である。
私の中では、実業家の方が書かれた本のなかでは、「頭のいい人が話す前に考えていること」以来の”あたり”、つまり「購入して大正解だった」本だと思っている。
さて私がこの本を買ったのは約1週間前だが、本屋で売られていたのを知ったのはそれよりだいぶ前のことである。本屋で平積みされていたものを見つけ、このブログではおなじみの「自責思考」「他責思考」のことが書かれている章が本の中盤あたりにあったので、そこをパラパラと立ち読みした。
その章だけ読んだ感想として、私は『すべての物事は「自責思考」で考えられる。他責などありえない。』という表現を見て、自責思考全能主義、他責主義絶対NG論者の著者だと推測した。
「他責思考」絶対NG、と世に広める人に意を唱える私としては、「自責思考」主義者の本を読むことはあるまい、と本をもとの場所に返した。
それから何か月かたっただろうか、立ち寄った本屋で「他責思考」に関する本が並んであった。その本をチラチラと読んでいたら「絶対に謝まらないひと」「失敗は他人のせい、自分はなにも悪くない」という人がこの世には一定数いて、そういう人間の悪口を吐き出したような本であった。
私は「他責思考」絶対NGには反対だが、なんでも他人のせいにする人も嫌いである。他人のせいにする人間を叩く人間もまた他人のせいにしている。そんな愚痴の吐きだしは井戸端会議か、居酒屋でしてくれ、と思った。そして、その近くにこの本があったのである。その本と比較すると、この「悩まない人の考え方」がより前向きで実践的な本に思えたのである。
そして他責思考でない箇所をふと読んで気になり、購入した次第である。帰宅後、最初からこの本を読み始めた。そして、この本の構成に心を揺さぶられた。
この本のタイトル「悩まない人の考え方」について、どうして悩まないのかという最初の竜を最初の章で結論を書いてしまっているのだ。
そして、続く章で、具体的な世の中の出来事について論ずる構成になっているが、結論は最初の章で答えが出ている。その答えを知っているからこそ、その具体的な現実での問題に対する著者の主張も理解できる構成となっているわけだ。
本というのは面白いものだ。著者と編集者と出版社が作り上げた本の文章構成次第で、こうも物事の見方に説得力を増すことができるのか?と思考を揺さぶられた。
文章力、という3文字でいっていいかどうかは難しいが、まさに文章力が、他の本でもテーマとされる内容でさえも、面白くさせることができる。それを実感できる本である。
各章の中身に少し触れてみよう。
各章でまず問題提起か、現実の出来事が提示される。その出来事だけを見たら、たいていの人はこう思うのではないか?ということを最初に提示し、その後作者の考え方が提示される。その構成で、読者自身が自らデバイス、つまり偏見、常識、思い込みがあることに気づかされる。
最初に触れた「自責思考」「他責思考」も見方がガラッと変わる。
ちょっとネタバレを入れるが、著者にとってみれば、自責、他責の「責」、つまりは「責任」の意味を多くの人が「罰を与える、罰を受ける」ことが「責任」の定義だと思い込んでいるから、自責思考、他責思考の意味もはき違えるのだと。
著者がいう「責任」とはすなわち「自らの手で実際に問題を解決すること」。罰を受ける、与える意味、反省することではない。
罰を受ける、罰を与えて、おしまいでは何も解決にはならない。誰かを叩いて問題が発生したことに対する負の感情を落としどころを作っているだけ、だれかに罰を与えて溜飲を下げているだけのことを、マスコミなどは「責任をとる」ことだと思い込んでいるふしがある。だが、それでは何も問題は解決してない。問題は問題として残ったままだ。問題が発生したときにその問題をどう解決させるか?それが「責任」である、と説く。
そしてその「責任」について、問題を解決しなければならない、とは著者は言っていないのである。自分がなんでも背負うことを「自責」と呼んで推奨していない。自分が問題を解決する気があるか、解決しないかは自分が決めること自体を「自責」と呼んでいる。「その問題の解決する行為を自分はやらない」と決めることも自責である。
また、そもそも発生した問題と責任とを分離して考えている。
問題は「発端」であり、「原因」である。
その問題の「原因」を作った張本人が、責任を取る、というイコールの関係ではない、と考えている。だから他人がその問題を作った「原因」であったとしても、それ自体は事実である。問題を作った原因をすべて自分のせい、であると考えることが自責思考だという考えではない。
問題が起こったという事実に対して、その問題を作った人が誰か?誰がその問題を起こした罰を受けるのか、という自責思考、他責思考の考え方自体が間違っているのである。
この思考は私にはなかった。ほかの本でもあまり見当たらなかった。自責、他責とレッテルを張っている人間が殆どだった。
だから私の今までの自責思考、他責思考の記事については、例えばビッ〇モーターの従業員がゴルフボールでお客の車を壊してそれで修理していた、という疑惑が浮上したときに、この従業員がやったことをさも自分がやったことだ、自分がその従業員と取締役副社長を止めなかった責任がある、という後悔をして、反省をして、その罪に対する罰を引き受けることが「自責思考」だというのか?と私は「自責思考」について非常に拒否反応を起こしていたのである。
実際、自称面接のプロとかの発言を見ても「責任」を自分が罰を受けるべき、という風に考える、発言することを推奨する人間もいる。
だが著者はいう主張を当てはめると、お客の車をゴルフボールで破壊するという「問題」を起こしたのは、その従業員とそう指示したといわれる副社長である。その問題に対して、ゴルフボールで破壊をしているわけではない別の従業員が罰を受けるべきだと考えよ、それが「自責思考」だ、などとは一言も言っていない。その問題が発生したことを知ったときに、ではあなたは何をするか?というのが「責任」、「自責思考」なのである。
(ちなみに、ビッ〇モーターのことは本には書いていない。あくまでこのブログで書いた自責思考の話で例えた例である。本では別の例を紹介している。)
とまあ、自分の常識、思い込み、を揺さぶられるのが本作である。
話の章を切り抜いて一部だけを読んだら、他の本と同じような見出しに思えるが、本を最初から読んでいけば、著者が指摘するバイアスと常識、思い込みに気づくことができる。そしてそれがわかる文章構成になっている。
かつて、YouTubeに本は取って代わられるかも?というブログの記事を書いたが、この本を読んで、そうにはならない、と確信した。YouTubeという短い時間の動画では、極論、抜粋、切り抜き、順序だてた説明は省略されがちだ。だがこの本の良さはYouTubeの紹介動画、切り抜き動画ではきっと味わえられない。だから、本がYouTubeにとって代わられることはないだろうと確信できる。(つまらない本、価格に見合わない本、タイトル詐欺の本は無料のYouTubeに駆逐されるだろうが。)
というわけで、この本は今のところおススメである。
現時点では、私はこの本の3分の2を読んだぐらいのところであるが、各テーマごとに自分の思い込みを揺さぶられるので、面白くなっているところである。慌てて読まずじっくりと各テーマを読んでいきたいと思っている。
本の大前提として答えはシンプルなのでそのまま転載はさけて著者がいいたいであろうことを私の言葉で、今本を引用せずに覚えているまま書くと以下のとおりになる。
「うまくいかない」と多くの人は悩んでいるが、実際は「自分の思い通りにいかない」から悩んでいるのが殆どである。
「思い通りにいくべき」「思いどおりにいかないといけない」という思っているから悩むのである。ゴールにたどりつきさえすればいいのであって、ゴールまでのルートは一つではない場合が殆どだし、そもそもゴールすらも本当に1つなのか?
ルートもゴールも1つであるべき、事前に想定された通りに、想定した期限までにいかないといけないと思い込んでいるから悩むのである。そして、この世の中、たいてい自分の思い通りにはいかないのが現実である。
あと、とにかく「行動」すぐ「行動」についても一石を投じている。「行動」とは頭空っぽになって突進することではない。「他人のいうとおりに具体的な何かをする」ことは行動ではない。では、著者のいう「行動」とは…?そこはネタバレなので省略。
3000字を超えたので一旦お開き。
尚、私はこの著者のいうことについて100%同意しているわけではない。だが、本当のは、自分とは違う思考、見識、智慧に出会うことに読む価値があると思う。今の自分を全肯定するものや、だれかを褒めたたえ、だれかを見下すことで今の自分から目をそらす投稿だけを見ていてもそこからの発展はない。今の自分とは違う世界を知るための手段だとも思っている。
次は最後まで読んで、ブログにまとめたいと思ったら、また別記事を書くつもりである。