巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

仕事をやめたい⑤ なぜ辞めたいのか②

仕事をやめたいシリーズ 第5回目。

今回は、なぜ辞めたいのか、その自分の気持ちをメモ書きのように書くことにする。

多分、読者ニーズは全くないだろうが、1回目から時間がたったことで、そして1回目を改めて読み返して見えてきたことがあるから書くことにする。

なぜ辞めたい理由を書くか、というと、書くことが精神的負担の軽減につながるらしい、という理由と、辞めたい理由を深堀していけば、自分は仕事になにを求めているのかがみえてきて、その後の転職先の志望動機にもつながる、かもしれないからである。

興味のない人用に一旦改行。

 

 

味方がいない

身から出た錆、といってしまえばそれまでだが、自分の味方がほとんどいなくなってしまった。これが地味にストレスに繋がっている。誰かと相談できる、それが精神的な安定性に繋がるからだ。

私がここ数年とってきた行動は、周りを遠ざける行動であったのだと気がついた。

「ノイズハラスメント」男との対立が大きいのだと思う。周りが自分を警戒している。そして「ノイズハラスメント」男の多数派工作に負けた。その結果、味方がほとんどいなくなった。

また、前にも書いたが、転職時に同時期に入社して苦楽を共にした同僚たちが転職していった。その結果、残ったのはそれより前の人間と、最近入った人間。ちょうどすっぽり谷間に入ったようだ。

そして、仕事に対する取り組み方。私は「完成させる」「終わらせる」ことが何よりも仕事の最優先事項と思っていたが、どうも同じチームの人間とは考えがちがっているようで、終わらせるよりも、時間がかかっても、遅延しても精度を高めるほうを優先する人間のほうが多い。これは入社時期の違いが大きくて、精度重視の方針をとる部門長の時に入社したか、速さを求める部門長の時に入社した自分と、方針がかけ離れているのだ。

上記3つの理由で、孤立してしまっている。仕事なんて仲間でない、成果さえ出せばいい、と思っていたが、孤立してしまえば、「なぜ自分はこの職場にしがみついているのだ?」という自分に対する不満のほうが大きい。

他人に対し、「自分の方針に従え」という気もまったくないし、かといって、他人の方針に従う気にもならない。その気持ちが大きい。

他人と歩調をあわせるのに疲れた

先ほど、味方がいない、といいつつ、他人と歩調をあわせるのに疲れた面もある。矛盾している気がする。だが、日程調整するのが非常に億劫になってきているのだ。先輩の予定を聞いて、その調整をして、というのが面倒くさい。なにせ今の上司や先輩は何も自分の予定のことはいわない、メールも送らない。勝手に動くのなら別にいいが、他人が勝手に動くのは気に食わないらしい。面倒くさい。これが1人とか2人の調整ならまだいい。それがもっと多い。しかも、その中には、看護休暇を取ったり、介護休暇を取ったり、有給を病気でもないのに前日にとったりする人間もいたりする。

面倒くさい、というよりも自分のペースを、自分の予定を狂わされる、自分の予定をたてられない、というのがここまで不快だとは思わなかった。これが単発ならまだいいが、ここ最近連続である。

いっそ自分一人でやったほうが早い、という意識になってきた。

精度を高めた結果、虚無感に包まされた

前の記事から、自分は速度を重視するあまり、質を軽んじすぎたのではないか?とお持つつ、質を維持しながら仕事をしてみた。

自分の目論見どおり、確かに速度を落として、質を重視すれば焦りが減り、ミスも減ってきた。これはこれでアリだ、と思った。

しかしそうなると速度は落ちる。数字は落ちる。達成感が減る。自分はこれだけできるのだという、変な自己満足感が減る。

だが、上司は何も言わない。何も聞かない。そうなると、今まで、陰口をたたかれながらも速度と数字を重視してきた、これまでの仕事が一体なんだったのか?という虚無感に包まされた。

試しに、今日わざとほとんど仕事をしなかった。その結果、なにも言われなかった。

ああ、自分がやってきたことは、自分が精神を擦り減らしてきたことは、この職場に関しては全くの無駄だったんだな、と気づいた。というか、職場が悪い、という意味ではなく、必要だったのか?自分が勝手に「思い込み」で独り相撲をしていただけではないか?とも思う。

では、なんのために今の仕事をしているのか?と思う。苦労を避けて、難易度が高い仕事を避けて、楽な道を通る人間が勝ちの職場だと気づいた。

そんな損をすること自体は、そんな不公平感はどこにでもあるのは知っている。

だが、今の自分には、その事実が堪える。

虚無感が残った。

ただ、無駄に神経をすり減らして、メンタル疾患の再発を招きかねないことは、この職場では避けても、どっちにしても陰口を言われるだけで終わる。だったら給料泥棒にならないラインまで楽をして、その分残ったエネルギーと余った時間を転職活動に充てればいいのでは?とも思っている。

追記 上記の話で異常な点は何か?

夜中に寝る前に気持ちを書きなぐってから、翌朝、私は上記の辞めたい理由の共通点に気づいた。いや~、書いてみるのって自分の気持ちを客観的にできて、かつ整理できるのでありですな。

わかった人にはわかったはず。

すべて「他人軸」なのである。

 

他人が、自分の味方をしてくれない。

他人が、自分の希望する日程に合わせてくれない。

他人が、自分の仕事ぶりを評価してくれない。

他人が、仕事の優先順位を自分に合わせてくれない。

他人が、自分の思い通りに動いてくれない。

他人が………

そう、全部、他人が、他人が、他人が。他人の顔色を窺い、他人の考えを推測し、他人の動きを見張る。主語がすべて他人。自分の行動すべてが他人を中心に回っている。

そう朝歩いていて、それに気づいてしまって、つい心の中で笑ってしまった。

今の辞めたいんだろ?だったら、自分の思い通りにやってみて、自分の思いどおりにできない、そこで辞めればいいじゃん。そうしたら、何を自分の思いどおりにしたいの?かわかるじゃん、と、キャリアコーチングで格好のネタにされること請け合い。

「他人が基軸の人生を生きていることに気づかない相談者」というサムネがつきそうだ。

仕事とは、他人からの報酬あってこそ。自分が他人に提供するものへの対価が報酬。だから他人がいないことには仕事にならない。自分だけの世界でないのは確かで、他人のことを考えるのは大事。

だが今の自分は、同僚、上司、会社という職場の人間という他人のほうを気にしている。これが間違っている。確かに労働者として賃金を支払ってくれるのは会社であるが、その会社が支払う賃金はお客が支払った金銭が原資である。見る相手、気にする相手が違う。

まずは自分がどうしたいのかが大事で、お客でも何でもない同僚という他人の言動と反応ばかりに気をとられているのは、根本的におかしい。他人を変えるのが無理だから、逃げろ、とか、他人を変えようとするのが最大のストレスとひとつ前の記事に書いたではないか?他人が思いどおりに動かそう、動いてくれないことにいら立つほうがバカげている。

まさに

まずは、自分が何をしたいか?自分軸を取り戻し、自分軸で何をしたいか、考えることに戻ろうと思う。