さて、数日前の記事にも書いたが会社の同僚がまた退職する。その知らせを聞いた時に、強い焦燥感があった。
自分がなぜそう感じたか、まず箇条書きにしてみた。
- 会社を去る者は在籍年数が短い人の方が多い。裏を返せば、在籍年数が長い人ばかりになる。その理由はなにか
- どんな仕事についたら早期退職しないのか
- そもそもなぜ焦燥感があるのか
- 人事部はなぜ入社した人がすぐ辞めてしまう問題を放置するのか
こんな疑問点を以下、自分なりに文章で書き留めておこうとした記事である。尚、この記事の最後はあさっての方向にいった結論になって終わってしまったので、あらかじめご容赦いただきたい。
- 結局会社に残るのは、困難を避ける能力に長けた者
- どんな仕事につけば長続きするか
- 仕事に焦燥感を感じている理由
- うつ病になりやすい人、というSNSでの意見はあくまで私見
- 本当の退職理由は人事、上司にはわからない
- 人事部に、人間関係のトラブル解決を期待するな
結局会社に残るのは、困難を避ける能力に長けた者
私が今の会社に入社した頃は、コロナ禍の真っただ中の戦場のような職場だった。そこに有期契約社員として何人かの専門職が入社していた。その中の1人が私だ。
コロナ禍が終り、一人また一人退職、転職していった。コロナ禍が終った今年の3月末には沢山の仲間が転職先を見つけるなどして去っていった。その結果、コロナ禍中に入社した専門職は4月の段階で私を含め2人になり、今回の退職で同じ部署では私1人になった。去っていったといったが、その中には他の部署に異動した者もいるため全員退職したわけではないのだが、殆ど接点がなくなったので、本当にボッチになってしまった。
尚、今の部署にもまだ複数の専門職がいる。ただ、コロナ禍前に入社した人か、コロナ禍がひと段落した後の最近入社した人。つまり残っているのは、コロナ禍の苦労の際を知らない人か、コロナ禍中に無関係な職務についていた人か、もう達観した仙人みたいな人か。優秀な人も残ってはいるがごく少数。いづれにせよ、苦労を共にした同志、戦友という気はしない。
火中の栗を拾わされた人間は”ボロボロ”になって去り、上手に困難から逃がれられる人間が生き残る。業務命令を拒否したわけではない。ただ、能力的に無理と上から判断された人間のほうが生き残る。仕事の能力が高い人がその企業に残るわけでない。立ち回りが上手い人間が残る。
会社、組織というのはそんなものだということは、メンタル疾患になった時に嫌というほど味わわされて知っていたはずなのに、今ショックを受けている自分に驚いている。
どんな仕事につけば長続きするか
SNSやブログで下記の3つの仕事に対する意見を見つけた。
・死ぬ前に人生を振り返った時に、上司や会社に嫌な目にあわされても会社にすがりついて「大過なく過ごせたが、振り返ると我慢するだけの人生でした」よりも、「失敗したけど自分がやりたいことはやりました」のほうががよいでしょ?
・仕事の”やりがい”は、他人の低い評価や心無い言葉で簡単になくなる。
”好き”という感情は、嫌なことがあると”嫌い”に変わる。”感情”は長続きしないから、長く同じ仕事を続けたいなら”金銭の獲得”という感情抜きの基準で働いた方がいい。
・その仕事をしていて”苦に感じない”仕事につくのがいい。
どれもあっていると思う。
自分が今転職しようとしても、私の年齢と転居なしという条件を必須にすると、今の職よりは賃金の面では下がるだろう。だから、金銭の獲得という感情抜きにすれば現職に留まるのがいい。
自分が満足していないと感じるのならば、自分が”自分の人生でこれをやりたい”をしていないか、”苦を感じている”仕事をしているせいだろう。
多分、私が苦にならないのは、対人関係をそんなに気にしなくていい職場だろう。これは人間と関わりたくない、という意味ではなくて、正直、他人と衝突するのはもう疲れた、という意味でもある。他人と衝突する、ということは、他人と仕事のやり方や考え方が一致しないからであろう。
仕事に焦燥感を感じている理由
焦燥感を感じているのは2つ理由があると思う。
1 自分は用済なのか
自分が他人の動向を気にしてからであり、自分が今の仕事について働いている現在を周りの人間に評価してほしい、自分がここに居てほしい、と思っておいてほしいという願望がある。そして、今は、周りの同期が次々と退職しているのを見て
「コロナ禍用に集められた人間は、コロナ禍が終った今用済みと考えているのでは?」と疑問を持っているから。そして、その予感は根拠はないが、99%正しいと思っている。
2 自分の将来への不安
私が今の仕事のままでいいのかと思っているのは、今の仕事を続けると、将来後悔するのではないか、と現在と未来に怯えているからであろう。最近、怒りの記事を書いているが、怒るということは、恐怖心の裏返しともいえる。
多分、誰でも仕事に対する恐怖というのを大なり小なり感じていると思う。ただ自分は他人よりその意識がかなり強いほうだと思う。
ただ、私は前の職場を去る時に「このまま居てはこれ以上の自己の能力向上も収入向上も望めない」と思っていたからでもある。そして、見切り発車で転職活動を始め、まあ2020年4月以降、夏の東京オリンピック開始前(オリンピック終了後は不景気になるから)までに、と思っていたら、2020年1月末に新型コロナウイルス感染症が日本に上陸、猛威を振るい、転職活動が急遽中止になった。だから、ただ将来への不安を理由に転職するのは、同じ轍を踏みかねない、とも思っている。未来は誰も予想できない。自分1人の力でどうにかできる問題ではない。勝手な願望、憶測で人生設計をしてはいけない。
尚、前職をコロナ禍前の2019年内に退職したこと自体は後悔していない。前職の特性上、コロナ禍中に退職したら、きっと後悔と罪悪感で前に進めなくなっていると思うから。
結論 他人に「そのまま居てほしい」と評価してほしいだけ
他人や会社に自分を評価してほしいと思うのは、自分の収入と安全を将来にわたって保障してもらって、安心したいから、恐怖心から逃れたいからからであろう。他人に自分に居てほしいといってもらって安心したいからだろう。
だから、他人の評価により不安になったり、怒ったりするのだろう。

多分、この他人に対する依存から抜け出せない限り、どの職場にいっても、私は転職を繰り返す。だから、ボッチになっても、私の最優先は他人への依存を少しでも取り除くことだと思っている。転職はそれからだ。
うつ病になりやすい人、というSNSでの意見はあくまで私見
ここで少し話はずれる。会社で休職を担当していると自称していた人の意見をSNSで以下の分析をしていた。
「うつ病になる傾向があるのは、休日に遊ぶ友達がいない孤独な人だ。」
当てはまる人もいるかもしれない。休み、遊び、人との交流は重要だ。
だが、重度のメンタル疾患になった私からしたら、その分析では的外れとはいわないが、万人に当てはまる分析ではない、と思っている。
実例をあげよう。
私はメンタル疾患で入院していた時に、同じメンタル疾患で入院していた患者と積極的に接触し、他の人がメンタル疾患になった理由を聞いていた。今でも以外なのだが、健康な今よりも他人とより接していたのだ。
すると、孤独な人というのは意外と少なくて、むしろ家族や恋人がいる人が多かった。だが、その家族や恋人との関係で躓いている人も多くいた。
孤独だからではなく、人間関係が上手くいっていない、という分析のほうが正しいと思う。
休日については、以前クリスマスに伴侶の世間体を気にして海外旅行に同伴し、病気を悪化させた人の記事を書いた。なにも休みに家族友人と遊べばいい、というものではない。休み方も重要であり、世間体を気にした休み方ではメンタルに余計に負荷がかかる可能性があることも考慮したほうがいい。
メンタル不調の時は、ストレスをあまりかけない方がいい。そして、ストレスというのは、何も嫌なことが起こった時の心理的負担を意味するのではない。新しいことをする際にエネルギーを準備するように脳が活動することがストレスなのであって、旅行などは、いままで経験したことのない準備をするのだから、ストレスでもある。
さて、話は入院時の他の入院患者の話に戻る。
入院患者にはいわゆる陽キャも陰キャも金持ちも貧乏人も美男美女も老若男女もメンタル疾患になっていた。メンタル疾患と言うと、もう苦しみ続けて、気力も失われて、見た目もボロボロになり、寝たきりになっている、というわけではない。
調子がいい時とそうでない時がある。だから調子がいい時を他の人が見たら、明るくきちんとした身なりをしていて、他人と楽しく会話をしているように見えて「どこが病気なのか?」という見た目になる時もあるのだ。
なにも孤独、貧乏、さえない陰キャだけがメンタル疾患になるわけではない。
寧ろ、見た目よりも、その人の心の内が影響する。
他人からどういわれても馬耳東風の人の方がうつ病になりにくいではないかと思う。他人がどう評価しようとも関係ないと思っているか、そもそも他人など気にもしていないからだと思う。
本当の退職理由は人事、上司にはわからない
話を戻す。焦燥感にかられつつ、こういう早期の退職に対しなんら手を打たない人事部門に怒りを感じる。しかし、人事とはそんなものだと我に返る。
昔人事に居た時の話をしたい。私は他人が会社を退職する瞬間をこれまで何度となくみてきた。
退職者が辞める際、退職理由を上司や人事に説明する場合がある。
退職理由を一番多いのは、病気、介護、育児、転居など、仕事以外の理由を述べる場合が多い。キャリアアップなどという将来への希望に満ちた理由をいうのは転職先に言う言葉であって、退職する会社には上記の理由をいう。
つまり、独立開業するような人以外は、退職する会社と、転職する会社、その2つに説明する退職理由は一致しない。
本当に病気とか介護とかの理由で退職する人は確かにいる。だが、その退職理由を述べる人の中には、退職先とトラブルにならないように、次の転職先に変な情報を流されないように、この当たり障りのない理由をいう人も多い。
そのような人の本当の退職理由は何か?
私の予測だが、多分気持ちが折れたのだと思う。
人間関係、賃金の低さ、色々な要因があるが、その職場で働く気力をなくす出来事があったということ。
それも1つの出来事だけではない。大なり小なり嫌な出来事がつみ重なって、あるタイミングで、ボキッと心がおれ、スパッと「もう、辞めよう」と決断する。嫌な出来事が積み重なった結果だから、1つの理由では語られない。
「一身上の理由」。それは、退職願の決まり文句であり、「自分の身の上のこと」つまりは、業務に関係のない理由で、という意味だ。しかし本当は「理由が多くて説明するのが面倒だ」「もうあなたたちとは話もしたくない」ということだろう。
心が折れた出来事で、最後の一撃となった出来事だけを聴くと「それぐらいで辞めるの?」とその理由を聞いた人は疑問を持つだろう。だがそう思った場合は、複数の心が折れる出来事が重なったものと考えたほうがいい。理由を全部いうのはもう面倒なのだ。
または今すぐにでも辞めたいから、引継ぎとか、退職1か月前に告げる就業規則になっているとかの理由で退職時期を引き延ばされないよう、病気や介護という、退職時期を引き延ばさせない退職理由を告げる人もいることは結構な人が知っている事実である。
人事部に、人間関係のトラブル解決を期待するな
一般論ではあるが、人間は10人集まれば必ず1~2人とは上手くいかないそうだ。だから、人間関係を理由とした退職はなくなることはない。
ただ、「合わない人はいる」と達観するか、それを理由に退職しようと思うかどうか。ただの同僚や部下とあわなくても、顔をしょっちゅうあわさない関係ならばそう思えるだろう。
だが、従業員数が10人程度で部署も一つで人事異動もできない会社ならともかく、大企業の人事や上司の立場でいるならば、優秀な人が退職した時に「誰にでもあわない人がいるから仕方がない」と思っているようならば、人事や上司失格だ。
退職する前に自分の立場ならばその退職を防ぐことができたのではないかと自問すべきである。担当替えや異動で対応できたのではないか?代わりならばいくらでもいる、と、たかをくくっているようだと、今抜けられたら困るような人材が退職する際に取り返しがきかなくなると思う。引き留め工作というか、退職防止策の蓄積もなければ、急には対応できない。
ただ、人事部にいた人間として、人事部以外の人にアドバイスするならば、人事部というのは、特に人事部にいたことをアピールする輩は、結果のだせない無能の集まりなのが殆ど、だと思っておいた方がいい。
人件費削減という数字を基準に、人間を見ずに切り捨てる部署。人を駒として、使い捨て、こき使う部署。右も左もわからない学生をキラキラしたイメージで誘う部署。話を聞くポーズをとる能力を磨ける部署。それが人事部である。
そう思っておいた方が、「人事部に掛け合って、部署の問題を解決してもらおう」という淡い期待をしないで済む。そもそも、第3者に自分達の問題を解決してもらおうと思うのが間違いなのである。
そもそも他人が自分のために何かをしてくれることを最初から期待してはいけない。もしそんな人に出会えたらのなら、それは当たり前のことではなく、自分は幸運だと思った方がいい。
では、どうやったら人間関係の解決を図れるか?私の答えはひとつだ。
「相手を殺す覚悟で、相手と刺し違える覚悟で、対応しろ。そうすれば、相手は身の危険を感じて、少なくともあなたに舐めた対応、危害を加えるような言動をしてこなくなる。」
一応補足しておくが、本当に殺してはダメ。そういう気持ち、という意味である。自分を壊す人間との間に円滑な人間関係など必要ない。