巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

「他人より自分の方が評価されている」という認識を得られた時、仕事でモチベーションがあがる。

ふと思いついた出来事が先週頭にあり、ブログに書き残しておきたかったのだが、前回の記事のとおりパソコンが壊れた。代替パソコンを使用している状態だが忘れないように以下記録。気が向いたら、または、新しいパソコンを手に入れたら修正予定。

さて本題。

仕事のモチベーションがあがるのは「他人からの高評価」ではないか?というのが先週私が思いついたこと。

もっと詳しく言えば「仕事において、上司・顧客・同僚から、他の人と比較して、自分の方を高く評価してもらっているという実感」が仕事のモチベーションをあげ、仕事に対する不平不満が減る。

上司が部下のモチベーションが下がっているなあ、と思ったら試してもらいたい。尚、

単純に、高い評価、だけではない。

単純に、昇給、昇進した、だけではい。

単純に、顧客獲得件数のような客観的な数字の上昇、だけではない。

同じような仕事をしている他人、自分が評価していない他人、自分が好まない仕事のやり方をしている他人 それらの他人よりも、自分の方が評価されている、と”認識できた”時に、人は自分の仕事に満足感を得ることができるのではないか?

こういうと、他人と比較する、という言い方をすると、他人軸で生きている人間だという反論もあろう。自分軸で、自分で満足できること、相対評価でなく絶対評価の方が良いのではないか?という反論もあろう。

その反論を否定しない。間違っていない。自己満足感は重要で自分で納得できない限りは、他人がいくら褒めても満足できていない。そして、自主性を持った行動による自己満足の方が長期的で、浮き沈みしない満足感を得られると思う。

だが、人間というのは、他人との比較した結果で幸せを感じるものである。永続的でなないにしろ、それはエビデンスのあることらしい。

特に仕事において自分ができている、できていないという評価は、周りに他の人間がいてこそ成り立つ。スポーツでもそうだ。他人より上の順位、上の記録を目指す。他者ばかり気にしていてもダメではあるが、他者が存在することで”基準”ができるのである。

相撲の力士が”自分の相撲を取れた”という自己評価をする場合がある。その言葉からすれば自分軸という自分中心の考えが重要ではあるが、”自分の相撲を取れた結果、勝利につながった”、までが言葉の全文。つまり、①自分が追い求めている形で、②他人に勝利することで、高評価が幸福を感じさせると思う。②で他人に負けていては満足感は十分に得られない。

アドラー心理学における「他者貢献」という言葉がある。この言葉は他人が実際に評価しているかどうかではなく、自分が他者に貢献できている、という実感を持つことの重要性を説いていたと思う。(アドラー心理学をわかりやく解説した本の私なりの解釈)

他人から「評価しています」とか「ありがとう」とかいう直接の言葉は嬉しいものではあるが、その直接の言葉や形が絶対に必要か?というとそうではないと思う。他人が自分を評価していると「認識できる」出来事、それがあれば満足できる。

そもそも仕事において「評価している」という言葉は、大抵の職場においては、当たり障りのない、面倒な衝突がおきないようにしている場合も多いだろう。そこまでわかりやすく「評価している」「評価していない」と本人に言う会社はそこまでいないはずだ。なぜなら「評価していない」と聞かされた人間は、今のご時世転職先を考えるからだ。自己都合で退職してもらいたい人なら話は別だが「高評価ではないが、退職してもらうほどでもない。低評価ではない」という中間の評価の人が殆どではないか?高評価だけの人だけ残したとしたら会社は人員的にも、チームプレイとしても回らない。野球は9人でやるもので、4番バッターだけでは回らない。

だからこそ、直接の言葉ではなく、「評価されている」と自分で認識できる出来事が必要だ。

そして、自分の嫌いな人間、自分が評価しない人間よりも自分のほうを上司が評価している、と認識できた時、人は満足できる。

なぜ自分の嫌いな人間、評価しない人間がいるか?それは自分の立場を脅かす、自分に攻撃的、というだけではない。評価しない、ということは、その心理のなかに自分のなかで「こうあるべき」「こうするのが正しい」という仕事のやり方があるからである。だから、自分の正しさの基準とは相いれない他人を嫌い、評価しない。

そして、そういう嫌いな人間、評価しない人間より自分のほうが評価されている、と認識できた時、評価とともに「自分の仕事のやり方の方が正しい、自分のやり方は間違っていない」と他人からのお墨付きももらえた感じがする。

それは、自分のやってきたことは間違っていなかった、という安堵に似た感覚。自分のやってきたことは独りよがりでなかったという客観的な評価。これからも自分のやり方でやっていっていい、という未来に対する希望と自信。そういった感覚を得られるのである。

そして、高評価されることで、その人の仕事場での怒りについても軽減する効果がある。怒っている理由のひとつに、相手の方が間違っているという認識がベースにある。その怒っている相手より自分のほうが評価されている、と認識できれば、怒りは減っていく場合がある。もし怒りが収まったのならば、その怒りの原因は相手が間違っている、自分が正しいという認識からきたものの可能性が高い。

もちろん、あくまで認識。他人からの評価は、人によってタイミングによって、コロコロかわる。

具体例をあげよう。今、トランプ大統領とゼレンスキー大統領が交渉で対立し決裂した。あの対立について、どちらの対応を支持するかという意見を多くの人に聞いた場合に、100%片方を支持する結果にならない。つまり、他人が下す評価に絶対はない。そして今片一方を評価している人がいても、時間がたてば、知りえる情報が増えれば評価は変わる可能性がある。評価は未来永劫固定ではない。

よって、評価ばかり気にしていても仕方がない。評価されないときがあっても、評価しない人がいる事実は変えられない。だから評価されることを目的にして、仕事をすることは本末転倒なので推奨しない。自分がやりたい、正しいと思うことをやって、その結果、上司や顧客から高く評価されたら嬉しいという順番だ。

そして、仕事において自分のやったことを評価されれば、仕事に対してやる気はあがる。それだけは絶対だ。

…代替パソコン結構入力しやすいな。