けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

令和6年の転職活動 心の内 

過去記事に「令和4年度になぜ転職活動をしなかったか頭を整理してみる。」というのがあった。それを見て「令和5年度」はどうなんだ?と思った次第。一度文章にまとめてみることにした。

結論からいうと、令和5年12月までは今のところ全く転職活動をしていない。理由は2つ。

  • 令和5年4月から異動したから。新しい仕事を覚えるのに精一杯だった。
  • 親の入院。8月の夏休み前日から9月中旬までの1か月超入院していて転職活動どころではなかった。

では、自分の気持ちはどうなんだというと、正直言って金さえ貰えればどうでもいい、というのが今の本音である。

今の仕事に対する不満もある。怒りもある。改善できる点などいくらでもあるのに改善しようとしない上層部に対する苛立ちもある。だが、ここ数年間、仕事で何か訴えたとしても自分の意見が通った試しがない。改善できる権限がない。人事権もない。上司もその権限はない。東京本社の権限。東京本社に行かない限りはどうしようもないことはここ3年間でよくわかっている。だったら、怒っても訴えても無駄である。

今いる会社は私より長いこといる人間から聴いた通りであった。

「この会社のこの支部は上司に逆らわない人間が評価されるところ。みんな目立たず、指示待ち人間で、失敗しないことが最優先される。仕事は現状維持。賃金は在職年数に比例する。成果給など口だけ。業績をあげようとか業務を改善しようとか、そんなことを訴えたらクビにしてくださいといっているようなもの。」

そんな会社にいたらどうなるか?なるべく負担を軽くして仕事以外の時間に体力と知力を残すのが良い。そもそもよく考えればこの会社に入ったのはコロナ禍の避難先。ここで長く勤めたいとも思っていない。別に潰れてくれてもよい。過去の記事に書いたように「退職理由」に大義が欲しい私にとっては、転職活動で説明しやすい理由になる。

だからといって今の仕事を今のタイミングで自ら辞めて新しい仕事に就こうとは思っていない。今の給料はこの地方ではそんなに悪くない。新しい仕事で何かをしようという熱意がない。それは前回の転職活動の記事で書いたと思う。

そもそも何かを成し遂げたい、そのために出世して決断できる地位に就きたいと頑張ってきた自分に待っていたのが「メンタル疾患」だった。そして約3年前にメンタル疾患で失った地位を取り返そうとその時の仕事を辞めて転職にかけたが結果が伴わなかった。結果がでなかった理由は求職者には永遠にわからないことだが、やはりメンタル疾患と闘病中の空白期間、闘病中に重ねた年齢、重ねた年齢と釣り合わない経験年数が最大の原因であろう。病気と闘病期間が致命的だったと思う。

ブログの最初の記事にも書いたが約2年前も転職活動をしたがやはり「メンタル疾患」であり今でも通院中だったことは致命的だと認識した。前回の転職活動を通じて、もはや自分がこの世に生を受けて、仕事を通じてやろうしたことはできずに終わった、と思っている。正直、もう仕事を通して何かを成し遂げたいとは思っていない。

要するに18年前にメンタル疾患になり、長期の闘病(空白期間)を作ったことで私の職業人生は終わったのだ。無念だ。

思えば18年前、あの時はメンタル疾患自体がタブーで、世間様からその病気になったことを隠さなければならなかった。

休職した際、上司に医師の診断書を提出したが、上司は人事部に行く際に会社内の通路でその書類を落として他部署の人に拾われた。診断書の入った封筒には精神科の名前が入っていた。即座に私が精神疾患であるという話題が広がった。当時は「メンタル疾患」になること自体で差別された。今メンタル疾患になっても10年前よりは差別的な扱いは表面的には改善されてはいるだろうが、それでも飲み会に参加すれば酔った勢いでメンタル疾患になった者は会社は戦力外扱いにしていることは話してくれる。病気を理由にクビにしないだけだ。今でも大半の会社では、出世して何かを成し遂げたいのならばメンタル疾患を隠さないといけないだろう。

昨日、草彅剛さん主演のドラマで、耳の聞こえない人のセリフが頭に残っている。本人は耳が聞こえなくても、親の期待に沿うためにろう学校に行かず普通の学校で勉強し、司法試験に合格した。その際に親が発した言葉は「これで耳が聞こえたらね」だったそうだ。司法試験に受かっても本人の努力ではどうしようもない障害を永遠と言われる。私は障害者ではないが、このセリフは自分にも置き換えられて、とてもつらい。「あの時メンタル疾患になって10年失わなければね。」

そして子孫も残していない(そんな余裕も気力もない)自分は、生物として生きる価値もない淘汰されるべき存在らしい。

そして気づく。

自分のこれまでの行動の根源は人の評価だと。人から評価されるかどうかを基準にしているのだと。「お前は〇〇が死ね、と言ったら死ぬんか」といわれた時「はい」と答える人生といってもよい。前の書評の記事でも書いたが、その本に書いてある通りの不合理な考え方による人生を今でも送っているのだと。

「自分はよりよく生きなければならない。そしてそれを他人は評価しなければならない。」と。

だから、残りの人生は他人の評価などどうでもいい。正直仕事の内容など心底どうでも良い。知識、経験、社会的評価、給与など心底どうでも良い。他人など、日本の少子化など、世界の平和など心底どうでもよい。周りがどうだろうと、自分の人生をどうするかは自分で決める、ということだと思う。

だから転職活動は、クビになった時に、辞めたくなった時に、すればいい。

今仕事以外でやりたいこと。それはメンタル面での変化である。成長とはあえていわない。上記のような不合理な考えを取り除くこと。罪悪感を仕事中に感じないこと。失敗を恐れないこと。失敗を気に病まないこと。予期不安を取り除くこと。過剰な他人への配慮を辞めること。他人からの批判を無視すること。

どうすればこの無駄な心の不安や焦りを取り除くことができるか。いつの間にか解決したのでは過去の遺恨が取り除けない。自分なりに理解して自分の意志でそれを取り除きたい。自分の力でその領域に辿り着きたい。今自分が生きている理由は多分それである。

そして仕事も他人が評価されるものではない仕事に就きたい。他人の役に立ちたい、他人に評価されたい、やりがいなどという他人に説明するための動機などいらない。ステップアップとか転職エージェントなどは言うが、裏を返せば、過去の経験に縛られているだけである。

以上。

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