巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

自己啓発本を読んでも生活が変わらないのは「行動しない」からだけではない

SNSで、こんなテーマの投稿を見た。

「自己啓発本を読んでも、成功しないのは、行動しないから」

たぶん、間違っていない。ただ、「行動しない」という一言で済ませるのならば、なんの発展もない。

それならば、自己啓発本だけでなく、ダイエット、英会話の本が永遠と売られている理由も同じである。

ひとことで言えば「即効性」がある対応策などない、ということである。ダイエットのための運動療法が続かないのは、ほとんどの人が同じである。別に本を読んで終わったわけではない。行動に移す人はいる。ただ、スポーツクラブに入っても、いつの間にか通わなくなる。英会話学校に入っても、英会話はうまくならない。

行動しないのはもちろんのことだが、継続して行動すること、そしてその理屈が理解できないと効果の薄い行動をしてしまうこと、そして目に見えた効果がでないとやる気というのは徐々に落ちていくことである。

行動しない、からではない。行動した結果、成果が感じられないから続かないのである。

あとは、本というのは、その内容を大抵忘れてしまう、ということもある。日常生活でパッと思い出せるぐらいになるなんてそんなにない。

小学校の時とかに暗記したことがたくさんあるだろう。その中で、大人になっても覚えていることはどらくらいあるだろうか?せいぜい九九とか国歌ぐらいか。校歌なんて暗唱させられたが、今全く覚えていない。

小学校の時に暗記したのに忘れるのだから、せいぜい一回読んだぐらいの自己啓発でなんで改善すると思っているのか?その前提が理解できない。

本で読んだことなど大抵のことは忘れてしまう。

そして、忘れてしまう、ということは、日常生活でほぼ使わない知識、ということだ。

逆に小説よりも活字よりも、漫画の一シーンのほうが覚えているのではないだろうか?漫画全体ではない。ストーリーすべてを覚えているわけではない。ただ印象的な一コマ、それぐらいである。だから、活字だって印象的な1ページぐらい覚えていれば十分である。

あと「自己啓発なんて内容はほぼ同じ」という指摘もみた。そのとおりである。いうなれば、これはもう紀元前のギリシャ哲学とかブッタ、キリスト教で、だいたいの結論はもうでている。

内容が同じ、というツッコミは浅い。なぜ内容が同じなのにいまだに色々な人が解釈して、いまだ売れ続けるのか、そこまで踏み込まないと理解できない。

最近の自己啓発は、宗教や哲学ではなく、脳科学による主張が多い。脳内伝達物質が放出されるから、原始時代から人間の脳に備わっているから、という根拠だ。いまの「エビデンス」至上主義がなせる論調だ。

さて、私はちょっと前に古い本を捨て始めた。すると約20年前の自己啓発本がでてきた。これを読んだら実に面白い。中身が面白いのではなく、自己啓発本はその時の流行を追った本であること、つまり今は廃れている考え方がさも正しい知識のように著者が自信満々に答えている文章だからである。

勿論、いまだに色あせない考え方、思想、科学もある。だが、世の中の流行をキャッチした文章になっていることに気づけるはずだ。「自己啓発なんて、どれも同じ」という感想は、要するに「行動するかどうかではなく、自分が過去に読んだ本の記憶がほとんど抜けていることに自分で気づいていない」ことを自白しているようなものだ、といことである。

行動第一主義も、10年前の流行りである。今の流行は違う。そして流行を追い求めることは別に悪くない。今、自分が知りたいこと、興味があることに試していることと同じである。「自己啓発本は全部同じ」という感想は、まさに今、読書という行動を起こしていない、つまり「自分は行動していない」という自白なのである。

とはいっても、ほぼ結論はでていて、そこに説得力を持たせるように、著者と編集者が今の流行りを考えて、文章構成も考えているだけ、というのは同じである。

それは、運動と同じ。色々な運動方法は数々生み出されているが、結局は運動してカロリーを消費する、という大筋の結論は変わらない。走るか、泳ぐか、筋トレを継続的にするだけである。

そして「行動する」という言葉だけで終わらせてはいけない。行動しない、というのはわけがあるはずだ。行動しない理由は大抵、過去に失敗した経験があるか、過去に人の評価を下げた経験があるか、人から賛美ではなく批判されたから。そして、最大の敵は「恥」と「他人から馬鹿にされる失敗」である。

一代で巨万の富を得る人の理由は多々あれど、面白い評価をしていた人がいて、それは、「恥の概念が薄い」という考えだった。あんな失敗をして恥ずかしい、他人から白い目で見られて恥ずかしい、服装が恥ずかしい、言動が恥ずかしい、先人を敬わないなんて恥知らず、マナーがなっていない恥ずかしい、など恥に関する考えは人間の行動を制限する。

金を稼ぐために、目的達成のためには、恥なんて捨てろ、という意味ではない。恥、という考えが薄い、他人に恥といわれてもどうでもいいと思っているのではないか?と思っているから、行動できるのではないか?とも思ったりする。

あと、「失敗」と「他人の評価」と「身の安全」が行動にブレーキをかけている場合がある。行動しないのではなく、失敗しない、他人から評価される(評価されない)、安全安心が担保されていることを優先すれば、行動をしない。ただ、行動すれば痛い目にあう可能性はある。

どう考えても痛いものは痛い。痛い目にあいたくないのが本能でもある。別になんでもかんでも行動すればいいわけではない。

まあ、長文を書いたが、SNSで煽られただけで、すぐに行動を移す人はいないだろう。感情を揺さぶられるような投稿をされても、今日見たSNSの内容は1週間後はほぼ確実に覚えていないからである。ただし、その時かッとなって、反論投稿をするという「行動」をした場合を除く。SNSにおいて、「行動する」ことは、投稿で収益を得る人以外にとって、リスクばかりである。