巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

予期不安よりも、安心しているときのほうが失敗するものだ。

さきに書いておくが今日の記事はまとまりがない。今週思いついたことを書き連ねているだけの文章である。エッセイみたいなものである。

というわけで改行。

 

私的なことだが、お盆休みが明けて、仕事が立て込んでいた。8月中になんとか一区切りつけなければ、とかなり焦ってやっていたが、だいたいは間に合ったのでちょっとホッとしていることである。最初予定したもの全部は終わらなかったが、世の中自分の思い通りにはいかないもので、早急に優先して取り組む仕事がでてきたりもする。そんななか、我ながらできたと思う。

さてその期間中、私を苦しめていたのは、上司と顧客からの「苦情」である。具体的には上司からの催促と、顧客からの遅延という「苦情」である。

だが、振り返ってみると、厳密には「苦情」に苦しめられたのではない。

「苦情」がくるのではないか?という「予期不安」に苦しめられたのである。つまり苦しめたのは自分自身。

そもそも「予期不安」というのは、過去の経験から、脳が前もってその危険性に備えようとしているからだそうだ。実際、過去に上記の2つの「苦情」を受けた経験がある。

だが8月中に、上司やその顧客からは苦情を受けなかった。「不安は9割起こらない」というのは大抵はあたっている。

では「苦情」を受けなかったか?というと受けた。それは想定外のタイミングで想定外の相手からのものだった。しかも「お前は何をいっているんだ?」というぐらいの的外れの、こちらに責任を転嫁しようとする「苦情」。

そして気づく。私は「苦情」を受けると、落ち込むどころか結構な割合で怒気を含めて反論することに。完全にこちらに非がある場合は「すいません」と言い訳もせずに早急に終わらせる。あれこれ言い訳するほうが余計問題が拗れる可能性が高いからである。この2つの確率が大体8割から9割ぐらいである。「苦情」で苦しむ、というのは歳を重ねるごとに減っている気がする。自分に対処能力が付いたのかもしれないが、世間的に過剰な「苦情」はカスタマーハラスメントだと認知されはじめて、また誰でもスマホで簡単に録画される世の中になって、私の職場では減っている気がする。勿論、現場にもよるだろうが。

つまり実際の今の私は「苦情」を受けた時には、9割は心が痛まない。落ち込まずに、怒ったりする。

ただ、実際に怒っていない「苦情」に関しては、かなり不安になる。気が滅入る。

これは本来逆ではないか?現実に起こったことで心が弱るほうが自然ではないか?

だが、怒ろうが、不安になろうが、根っこは同じである。自分は単に「他人の言葉で傷つきたくない」からである。

では対処法としてどうすればいいか?

苦情を受け流せるレジリエンスを身に着ける?

失敗を受け止める覚悟をもつ?

人間の脳や心なんてそんなものだと、理解して対処する?

どれも正しいが、どれも万能な回答ではない。人間というのは、体調不良、空腹、睡眠不足、焦り、疲労によって、対処能力は変動する。

現に私は午前中は怒りっぽい。だが昼ご飯を食べると、冷静になる。まるで、スニッカーズのCMのようだが、それぐらい睡眠不足とか空腹とかの理由で心の許容度は変わるのである。だとすると、自己啓発で対処法を身に着けるよりも、心身が健康な状態であり続けるほうがよっぽど対処法としては有効なのではないか?と思う今日この頃である。

話を変える。

最近、なにかの自己啓発で、不安になったりしない対処をしている人の例として某実業家が、先を見据えて行動をしているから、つまり考えるよりも行動をすることで無駄な感情が生まれない、という紹介を見たことがある。

はて?その某実業家はXとYouTubeでしょっちゅう誰かにキレているし、感情丸出しの表現で喧嘩しているが?感情丸出しで生きていて模範例ではないのでは?

と思っていたら、自分も確かに現在進行形の物事に対しては、不安になるよりもむしろ怒っている。現在に生きているから、あれこれ先を考えずに今を生きているからこそ怒りの感情がでるにしても、不安という感情に苛まれる時間が少ないのでは?と思いなおしていた。

でも、そういえばこの某実業家もどこかの飲食店との間のトラブルとか、過去のことを引きづっていたりする。自分では覚えていないかもしれないが、他人の言動で思い出したのかはしらないが。

となると、精神的にいつでも見本になる人間などいないものだ。別にこの実業家を否定しているわけではなく、誰か特定の人を聖人君主とか模範生と上げるほうが無理なことだといいたい。というか、人間なんてそんなものだ。完全に感情を切り離すことのできる人間なんて現実に、現代の監視社会でいるのやら。

だが、怒りすぎもよくないとは思うが、少なくとも、怒っているほうが予期不安で苦しむよりも精神的には負担が小さいのかもしれない。

あと、感情的にならない術として、未来に向けて生きればいい、という話も聞いたことがあるが、あれも未来というゴールまでの道を期限を区切って明確にしすぎると、想定外の出来事に弱くなったりする。逆にイライラして感情的になったりする。

と思うと別に不安になってもいいんじゃね?と思う。もともと不安というのは、事前に悪いことを予測してその対処に備える脳の仕組み。そのこと自体は悪いわけではない。ただ備えすぎて不安になり過ぎて、ストレス状態が続いて心身共に不調になったら元も子もない。だから、コントロールできるレベルにする、忘れる時を増やす、というのがよい。

私はこういう時には車の運転で考える。

車の運転というのは、たったひとつのミスで人の命さえ奪う、一般人からしたら、通常の社会活動のなかで加害者になりかねない行為。大きな失敗は許されない。

だからこそ、今まで走ったことがない道というのはカーナビがあったとしても不安がよぎる。知らない道だから、脳が危険に備えているのだろう。だが、何度か走って覚えている道では不安を覚えない。

つまり、不安というのは「どうなるかわからない」未知の要素があるから不安になるわけだ。または過去に事故しかけたとか、煽られたとか嫌な記憶がある道を走る時。この場合も、脳が危険を予測しているからであろう。

ただ事故というのは、そういう知らない道、”過去”に何か悪いことがあった道を走っている時に起りやすいかというと必ずしもそうではない。不安になりすぎて、焦ったり緊張しすぎたりするほうが事故率が高い。

事故は予期不安より、油断と過失で起こる。普段運転している道のほうが、運転を生業とする人のほうが事故が起きたりするものだ。

 

世の中には絶対はない。だから何事もバランス。食事だってバランス。過ぎたるは及ばざるがごとし。

 

以上、まとまりのない記事でした。