私はよく自己啓発本を読む。その時よく言われるフレーズが以下の通り。
「親や社会が敷いたレールから降りろ」
否定はしない。
だが、特に支障がなければ、親や社会が敷いたレールに乗っかっておいたほうがいい、というのが私のこれまでの経験から得た感想だ。
前提:言葉の定義
本題の前に前提として言葉の整理。
”社会”というのは実体のないものではあるが、学校、会社、友人知人、親族、近隣住民、テレビなどのマスメディアから見聞きして生まれる暗黙の了解、日本社会で生きるうえでのルールみたいなものである。このルールは曖昧なものなので、以下、社会と言う言葉は省略する。
また親といっても、「毒親」と言う言葉があるとおり、世の中にはろくでもない親もいることは確かだが、一般的な話として、以下”親”という単語を使って話を進める。
本題
さて本題。繰り返しになるが、
親の敷いたレールに損はないし、従ってもよいと思っている。
それは何故か?
この親の敷いたレールという表現というのは、子どもが大人になった時に生きる上で、困難が少ない、不当な差別をされない、不公平な、理不尽な扱いをうけない、そして不幸にできるだけならないように、子供に教える処世術だと思っている。
決して、その敷いたレールに乗っかっていれば幸福だという意味ではない。生き延びて、子孫を残すという目的を果たすために有効な処世術である。
例えば、親は子に対して、良い大学、良い会社に入れ、という。
良い大学というのは、偏差値が高いというだけではなく、世間一般的に知名度があり評価の高い大学である。東京大学を筆頭に、旧帝国大学と呼ばれる国立大学、早稲田慶応を筆頭とした難関大学、または医学部などを指す。誰でもお金さえ払えば勉強をそれほどしなくても入学できるような大学は、スポーツ推薦などを除いて良い大学には入らない。
良い会社というのは、安定した企業か公務員になることを指す。知名度が高く、給料も高く、そして地位と身分が安定している、クビになりにくい企業を指す。トヨタ自動車か、メガバンク、大手商社、地元の金融機関、誰でも知っているような東証一部上場企業などであろう。
これが親の敷いたレール。これにのっかれば何がいいかというと、高い給料を安定してもらうことができる可能性が高いことに加えて、世間体が良い。世間体がよいと良い伴侶に出会える機会を増やし、子供を産み、育てて、子どももまた良い大学、良い会社にいかせるためには、ある程度高い給料を持続的に貰える方がいいからである。
親や社会のの言うとおりに選んだ仕事が楽しいかどうかって?仕事というのは金を稼ぐ苦役であるのが本質である。だからなるべく嫌なこと、苦しいことは他人に振って、楽をして、高い給料をもらう方がよい。今のご時世、転職することは絶対に不利とはいえない。新卒は右も左もわからないイメージで仕事を選んでいるのに過ぎない。やってみて適性がなかったら、経験とスキルを積んで転職すればいい。要するに、Z世代が好きなコスパ、タイパを求めて行けば、おのずと良い会社というのは決まってくる。
プロ野球選手や芸能人になった方が多く稼げるという反論もあろうが、左記の職業で成功する確率はかなり低い。ものにならない人のほうが多い。個人事業主は、事業に失敗すれば家族ともども路頭に迷う危険性がある。生き残り子孫を残すという目的を果たすにはリスクが高い。
では、よい大学に入らそうとするのはなぜか?それは単純に上記の良い企業に入りやすいからである。例えば医学部に行くのは、大学で学習した後に医師免許を取得しないと医師になれないから、というのは理屈的にわかる。では、文系の場合はどうか?文系の大学、例えば弁護士、会計士とかならばイメージしやすいかもしれないが、文系の場合、別に法学部、経済学部を出ないといけないわけではない。大学卒業を入試の要件にしている資格があるが、〇〇大学卒業、〇〇学部卒業を要件にしていない場合も多い。
では、文系の場合、どうしてよい大学に行った方がいいか?それは、良い会社に入社できる可能性がかなり高いからである。そして入社した後に、出世できる確率が非常に高いからである。
学歴フィルターよりわかりやすい物差しは早々ない
「学歴フィルター」かよ、と怒る人もいるかもしれないが、学歴ほどわかりやすいものさしもない。学歴というのは、つまるところ、基礎知識とか理解力とかの習得もしている。
逆に、何より勉強をしたことがない、これまで励んだことのない、目に見える成果をだしたことのない人が、誰でも受かる大学に入って、就職活動の際に「ガクチカ」というう就活テクニックを披露しても、口から出まかせのほら吹きの可能性もある。何か実績を残したことがあるか?懸命に励んだことが今までの人生にあるという証拠が自分のっ口だけの説明以外に証拠があるか?という問いにぶち当たるからである。だから、良い大学の人の方が良い会社に入る可能性が高い。
勿論、良い大学、良い企業に入らなくても、成果をだす人もいる。だが、それは一部。上記のプロ野球選手や芸能人と同じように、リスクがある。
また、生き延びて子孫を残すという意味でも別の理由がある。
具体例
具体例をあげよう。
住む場所を借りようとする。競合する人がいたとする。1人は大手企業の正社員、1人は非正規雇用の聞いたこともない会社に在籍しているとする。どちらも初対面である。その場合、オーナーはどちらに貸すか?
よほどのことがない限りは大手企業の正社員に貸す。理由は簡単で、安定した収入が期待できること、つまりは、家賃の支払いが滞るリスクが少ないからである。
転職面接で採用を決めようとする。残った人は2人。1人は有名大学卒業し、有名企業に居た人、もう一人は無名大学卒で、無名企業に居た人。能力とかの評価は同じとする。どちらを採用するか?
懲戒解雇されたなどのよほどの事情がない限りは、有名企業に居た人を採用する。なぜならば、有名企業に居た時点でそれなりに経験を積んだことが想定されるからである。一般常識や社会秩序を守ることができることが想定されるからである。あとこれまで堅実な人生を歩んできた可能性も高い。無名会社で何かをやったとしても本当かどうかはわからない。
要するに、初対面の人が抱く信用度がまるで違うからよい大学、よい会社に入った方がいいともいえる。
結婚の有無も人を評価する重要なものさし
良い会社、良い大学だけではない。結婚しているかどうかも同じである。独身より既婚者のほうが信用度が高い。結婚しても離婚歴があると信用度が落ちる。
独身<離婚歴のある人<既婚者
これは、社会一般的に独身でいる人は、個人として、または家庭環境に何か問題を抱えている可能性が高いと思われているからである。その指針が結婚の有無なのである。また離婚歴も個人としての問題がある可能性があると認識されるが、死別、パートナーの不倫という本人の責任でない場合もあるから、独身よりは評価が低くない。
なぜ初対面の人間の信用度の尺度がこの在籍している会社名や、既婚の有無なのかというと、要するに初対面の人間を、他人が評価することは、とても難しいからである。そして生物として今自分がいる組織を揺るがす不安材料となりうる人間を仲間に入れるのはリスクだからである。
親はこれまで生きてきて、その事実を知っているからこそ、子に伝えていることが「敷いたレール」というわけである。
私はこの「親が敷いたレール」から落ちた人間だからこそわかる。
有名企業から無職に。腫物扱いの精神病患者に。そして独身のまま年齢を重ねた。初対面の人の社会的評価は一気に下がった。そして、危険人物扱いされる始末であった。
だが、メンタル疾患から寛解し、いざ社会復帰をする際に、良い大学、良い会社にいたことの恩恵を思い知った。私は無職から数回転職したが、学卒で入社した有名企業のことばかり面接官は聞いてくる。それぐらい、企業の信用度が違う。私は無名企業の管理職経験があるが、有名企業の平社員のほうが評価が高い。それは面接官の言動ですぐにわかってしまった。
私の知り合いに個人事業主がいるが、事業を始めるにあたって、配偶者が有名企業であること、そして自分がその事業をしている会社の出身であることがスタートダッシュ、つまり最初に仕事を受注する際に役立ったと言っている。
その経験があるからこそ、社会的評価を得るためには、親の引いたレールにとりあえずは乗っておいた方がいい、と思うのである。
本題:ただし、絶対ではない
さて、ここまでも実は前置きである。
私のいいたいことは以下のとおりである。
「親の敷いたレールに乗っかることは悪いことではないが、乗ったままでいなけらばないわけではない。レールに乗り続ける義務はない。」
親が敷いたレールに乗っておいた方が余計な障害は減るが、そのレールにいることで心身の健康を害するときは、降りてしまった方がいい。
そのレールに居ることより、別の道を歩みたいと思ったときは別の道を歩けばいい。
そのレールから落ちた時は、自分で別の道を歩めばいい。
上記の通り生き延びて子孫を残しやすいのが、敷いたレールであって、そのレールから外れたことで死んでしまっては本末転倒である。生き延びて子孫を残すためのレールなのだから、死んではもともこもない。
それに成功すれば、社会的評価は、良い会社、良い大学の経歴などどうでもよくなる。それは成功した個人事業主、芸能人、プロスポーツ選手、将棋のプロ棋士などを見ればわかるであろう。
そのレールにいなければいけないという義務はない。それが義務になり、ストレスになり、苦痛であるならば、そこから降りればいい。
まとめ
親が敷いたレールに乗ることが悪い訳でも、親がレールを敷くことが悪いわけでもない。そのレールは社会や他人という自分の敵にもなりうる存在から生き残りやすくするための、余計な苦労をしないための処世術だからである。
ただ、そのレールから外れてはいけない、ということではない。外れれば、世間の目は一気に冷たくなるし、信用を得るためには時間と労力がいるが、その事実を知っていて、そのことを覚悟すれば、そのレールから外れればよい。
外れたって死にはしない。そもそも社会や他人は、他人がレールから落ちても助けてくれる存在ではない。危険人物から距離を取りたいためのルールでしかない。ただ、みな自分が生き残るために身を守っているのに過ぎないし、レールから外れたことで文句をいう人間は、自分に危害を及ぼすのではないかと不安か危険を感じているか、羨望、嫉妬のどれかである。