今日、とてつもなく嫌な出来事があった。
一枚のイラストで表現するならば、こんな感じ。

私は他人を踏みつける人間がどうしても許せない。
他人の迷惑を顧みずに我が物顔にふるまう人間を絶対に許せない。
言葉を尽くしてどれだけ説明しても理解しない人間にどう対処すればいいのか?
ここ数年、ずっと自問自答した。
「自分だけの正義ではないか?」「独りよがりではないか?」と。
だが、今日は本当に許せなかった。
人としてその行いをどうしても許せなかった。
見逃せなかった。
見て見ぬふりができなかった。
だから、行動に移そうとした。言葉が通じない人間、そういう人間は、力をもって排除するしかない、と決断した。
その人間に近づこうとしたときに、察した同僚に静止された。
「暴力はいけない」
確かに暴力はいけない。
…だが、こう書いている今でも許せない。だからブログで吐き出している。
ただ知人の発言にも同意できた。知人は「私も、その人間が間違っていると思っている」と付け加えた。考えは同じだと。
しかし、”暴力”はいけない、と。
知人の価値観はこうだ。その排除行為をすれば、無関係の他の人まで迷惑がかかる。あなたが悪者になる。職場を争いの場にしないように、皆、我慢している。怒っているのはあなただけではない。
だが、”それ”をしてしまえば、職場環境を悪くするのは、上司や周りの評価が下がるのは、社会的な罰を受けるのは、加害者は、あなたになる。
説得してくれた知人には感謝したい。だが、私の価値観とは一致しない。
そして、ふと気づいた。これが個人個人の「価値観」ではないか?
毎日繰り返されている出来事ではない、一時の出来事で、一時の感情で、物事を破壊してはいけない。
でも私の「価値観」は違うんだ。争いの場にしないために、虐げられる人が我慢させられる、という状況がとてつもなく許せないんだ。
私個人が我慢すればいいような状況の時は、私は暴力をふるおうとするほどは怒らない。いわゆる7秒ルールで席を離れる。というか、自分に対して直接虐めてきた人間には堂々と正当防衛で対処できる。
でもな、他の人が、声を上げられない人が虐げられているのを見て見ぬふりなどできないのだ。我慢できないんだ。
自分へのいじめを我慢できないのではない。他人がいじめられているのをほっておくのが我慢できないんだ。自分が我慢をすればいいんだ、といっているいじめられた人の意思を汲んで、いじめをする人間を放っておく、というのが私はどうしても許せないんだ。
自分のこの「価値観」で社会人になってから、損をしているのは十分自覚している。このために自分がやり過ぎていることは周りから聞かされている。
私の考えが間違っているのだろうか?
私の偏った認識だろうか?
認知が歪んでいるんだろうか?
感情が先走っているのだろうか?
自分の身勝手な正義感なんだろうか?
これも「他責思考」なんだろうか?
いじめをする人間を排除するのは私が間違っているのだろうか?
「いじめ」と私が思っているだけで、それは私の認知のゆがみと勝手な正義感なんだろうか?
身バレしないよう補足すると、別に、テレビのニュースになるような犯罪となりうる「いじめ」ではない。カスタマーハラスメントやパワーハラスメントにあたるかどうかは、当事者間の感覚に委ねられる面が強いため白黒はっきりするものではない。双方の言い分と状況などを勘案しないと判断できないだろう。
「他責思考」と書いたのは、転職活動において、そういわれるからだ。
例えば暴力をふるったという理由で私が会社をクビになったとしたら、転職活動をしても、まずこの暴力行為を咎められてうまくいかない。「他責思考」だといわれる。あいつ(他人)が悪い、という他責であると。義憤系退職、といわれると。
…その時どうすればよいのか、私の中で答えがでなかった。
だが、仕事から帰り、ブログを使ってこうやって感情を文字にすることで、言語化して外に出すことで、ふと何かが掴めている感覚がある。
今の職場は職場の雰囲気をギスギスさせないようにすることを優先とする職員が多い。その価値観は理解できる。チームワークで行う職場だからだ。
昔私がかつて在籍していた会社で、職場のギスギスをさけようとした管理職がいた。そのギスギスをさけようとした結果、何をしても怒られないと、傍若無人にふるまう人間が許されて、虐げられた人が去る理不尽な職場になり、観察していた良識のある人と有能な人は職場を見捨て、人手不足に陥った。
私はその経験があるから、その価値観は間違っていると思っている。だが、その経験がない人にとっては前職の管理職と同じように、一時の出来事で、その後にギスギスした雰囲気にならないようなことに努めている。
だから価値観が私と周りとで違うのだ。そして、その価値観が違うのに、居続けようとしている自分にも責任があるのだ。私にはその職場から離れる自由があるのに、給料とかを理由に居座っている。
文句を言ってその職場から離れていない以上は、他責思考なんだ、と。それが間違っていると思うのならば、そうでない職場を見つけるべきだし、自分で作るべきなのだ。自分が上に立つべきなんだ。上にたてば責任が伴う。責任から逃れて、自分の価値観だけを押し付けている構図、それが今の私なんだ。
誰かを排除しようとするときに人事や管理職に訴えてその人間を排除しろ、と訴えても永遠とその対象は増え続けている、なくならない、どの職場でも必ずいるし、必ず現れる。他人にその役割をさせようとしているからだ。
その事実に打ちひしがれて自暴自棄になってもいい。だが、なにかそこに自分が求めている、理想が、価値観が、やりたいことが、あるような気がしているのだ。
やはり私は上にたつべきか、少人数でやる仕事につくべきなのだ。人と強調することを、対人関係でトラブルを避けることを最優先する職場では「価値観」があわないのだ。
怒りのなかに、自分が生きるときに大事にしたいことが見つかるというのはこういうことなのかもしれない。そして「他責思考」がおぼろげながら見えてきた。