けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

「散らかってますけど」「つまらないものですけど」は所詮決まり文句

親ガチャという言葉がある。この言葉自体、ネットスラングであるのでそんなに真に受ける必要はないと思っている。世の中、そんなもんである。

まあそれはそれとして、ただ私の心配性、不安症なのは母親の血を引いたのだな、とは思う。

自分の母親は人が自分の家に尋ねてくることを極端に嫌う。子どもの頃、友達を呼んだり、突然訪ねてきたら、かなり不機嫌になった。友達に向かって不機嫌になることはなく良い顔をするのだが、帰った後、散々文句を言われた。

その結果、私は子供時代、友達が家に来るのを拒んだ。だがこれでは異性を部屋に呼べないので、大学の進学先は一人暮らしが絶対的な条件であった。

さて、母親が家に他人が尋ねてくるのを嫌うその理由が最近になってわかったのである。曰く「家を綺麗に掃除していないから」らしい。過去に近所に泥棒が入ったことがあったのでそれで他人が家に入ってくるのを気にしていたのかと思っていた。勿論防犯意識もあるのだが、「散らかってますけど」というのは方便であるかと思っていたが、本当に少しでも散らかっているというか、少しのゴミでも他人に見られることを気にしていたらしい。人が来るときはピカピカにしないと落ち着かないらしい。別に姑が手で拭いてゴミを見つけるとかいう家庭ではなかった。後、おみあげとかの「つまらないものですけど」というのも気にする。送る時にも気にするが、自分が貰っても「本当につまらないものだ」と言う。

ではなぜそう思うのか?「人に悪く思われる、言われるから」だそうだ。より踏み込んで育ちが悪い、親のしつけが悪いと思われるのが嫌だからだそうだ。だからこそ自分も他人を悪く言う。

ああ、これだこれ、と思った。「人に悪く思われる」「親の教育を悪くいわれる」。これが自分の母親の最大のストレスなのだ。それの中心が「家の掃除が行き届いているかどうか」なのだ。

そんなもん、と私は思う。父親もそう思っているらしい。でもそれは「家の掃除」が母親の基準であって人によって違う。私の場合は別の基準で「人に悪く思われる」ことばかり気にしている。父親だって話を伝える順番を気にする。だれもが何か気にすることはきっとあるだろう。

私はメンタル疾患の時に親を誹謗中傷された時のことは今でも忘れない。誰がいったかまではっきりと覚えている。「メンタル疾患になったのは親が甘やかせたからだ。親の教育が悪い」。

そして他人でも意見は分かれるだろう。「そんなもん」と思う人もいれば、本当に悪く言う人もいるだろう。でも悪く言う場合は、えてして本人が気づかないところを悪くいってたりするものだ。だが文句を言われた結果どうなるだろうか?多分何もない。文句を言う人間との付き合いなんてそんなもんでその場限りの付き合いだ。

「人に悪く言われる」。これを意識しすぎないように、というのが今回の記事。尚、悪く言われても気にしない、という意味ではない。聞こえないことをあれこれ気に病んでも確認しようがないので気にしないという意味である。直接悪口をいってきたら、落ち込まず殴り合うぐらいの気概を持つという意味でもある。