けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

「評価される人の技術」 書評:上司は発注者(客)と思え

さて前回の記事の続きで買ってきた本の紹介。

「評価される人の技術」というタイトルの本である。

前回の記事で帯に惹かれたと書いたが、帯には「評価されない人」の具体例として

  • 人事評価は公平にすべき
  • 成果を出せば報われる
  • 上司は部下の仕事ぶりを把握して当然

という認識を示して、上記の考えでは「なぜか評価されない」と不平不満を持つ、と書いてある。その逆に「いつも評価される人」として以下の例をあげている。尚、カッコ書きは本の中のことを私が勝手に補足して書いている。

  • 贔屓にされる努力をする(えこひいき、ごますりではない)
  • 上司は「お客様・ボス満足度」が最優先(であることを理解する)
  • アピールは最重要の仕事(察して、自己主張ではなく相互理解)

これまでメンタルが弱体化するのは自分が「評価されたい」「評価されなければならない」という意識のせいだと書いた。ではその「評価」とは何ぞや?という話である。

とある本では、「評価されないのは、仕事ができないから」と見も蓋もないことを説き、とある本では、「評価するのは他人の仕事。他人の考えは変えられない」と説いている。ある意味正しいが、それでは物事が解決しない。

そんな時に、この本。この帯に出会った。私の中の「評価」は「評価されない」とされた前者。そして衝動買いした。

本の言いたいことはいたってシンプル。「評価するのは、上司という”人間”」であり、上司もまた誰かに評価される存在である、ということである。上司もその上の上司、またはお客やステークホルダーからの評価対象である。ということは、評価者である直属の上司の「評価」の高い人は上司の評価に貢献できる人である。

そして上司は自分にとっての「お客様」であり、「発注者」。

「発注者」の満足を得ることが仕事の「評価」、という論法である。自分が成果を出しているかどうかではない、他の人と比べて時間をかけて苦労しているか、頑張っているかどうかではない。上司のやってほしいことをどれだけやっているかどうかが「評価」基準である。

その発注者が「評価」しないということは、発注者の満足できる仕事ぶりでないというわけであり、「満足」というのは数値だけでなく、この人、つまりあなたという”人間”と今度も仕事をしたいと思えるかどうかという心理的な面も大きく影響する。だれも嫌な人とは仕事はしたくない。嫌でも頼らないといけないほどまでに専門性やレベルが桁違いなら話は別だが、医療ドラマの天才外科医でもあるまいし、そんなに人のレベルは差がないし代替可能。だからこそ、感情面にも気を配る必要がある。

贔屓、と「えこひいき」は違う。御贔屓筋とはよくいったもので、お客のお帰りの際の「今後ともご贔屓に」の贔屓。

公平に評価する、という正論にも著者は疑問を呈する。仕事の内容も要求されるレベル、つまりスピードと質も評価対象ごとに違うのであるのだから、それを公平に、つまり横一線にするなど無理な話で、逆に「公平」を気にすると、同僚との「差」ばかり気にしてしまうわけである。そして社内での足の引っ張り合い、どちらが優れているかのアピール合戦が始まる。そうなると、会社として「評価」するメリットは薄い。

そして、上記のような話の後、具体的な対処法の説明が展開されるが、そこまで書くとネタバレなので省略。

最初読んだときは、上司は発注者(お客様)と思え、という感覚は成程と思ったが、どうもこの具体的な対処のところで詰まった。著者は否定するが、どうしても上司のご機嫌取り、忖度のような感覚がして、気が乗らなかったのである。う~ん、買って失敗したかな?と思ったが、時間がたって思い直した。発注者が何を求めているかを知るというのは大事である。発注者の意向無視で自分の趣味で家を建てても、成果にはならないのだから。

「評価」という言葉の意味を「能力、成果の判定」と思うからいけないのであって、顧客満足度と思えば感覚的にわかる。家の工事とかを工事業者に頼む感じだと思うと感覚的にわかる。具体的にいうと、いくら上手い職人で完璧な工事であっても、こちらの意向無視だと二度と依頼しない。自分は専門家だからとこちらの要求に耳を傾けない人間にも依頼しない。こんな土地にこの建物はとか、などなんやらかんやら文句や説教をする人間にも依頼しない。かといって口だけ上手くてもあちらこちらで欠陥があったら、やり直しだし二度と依頼しない。勤務中の態度、つまり朝から晩まで一生懸命取り組んだか、時折休憩しながらだったなどの理由では次に依頼するかどうかは決めない。

そして話は戻る。評価は他人がするもの、という意見。これも発注者と思えばよい。発注者の考えは結局は変わらない。意向のすり合わせをする努力(これを著者はアピールと定義する)は必要だが完全には一致できない。だって人間だもの、まったく同じ考えをずっと持ち続けることなんて不可能。ならば、評価は最終的には上司という他人がするもの、と割り切ることも重要。

まあ、今の職場では私はそれほど上司の意見のすり合わせまではしない。身バレするので書かないがそんな職場や上司でないし、東京本社は方針がコロコロ変わる。上司も多くの支社のひとつでしかない。だから具体的対処についての記述は今の自分には合わないが、他の人にとっては具体的記述の方が役にたつかもしれない。

あと、以下の文は他の本の転載。最終的にはこう思えばいいと私は思っている。

「取引先の一つぐらい潰したっていいじゃないか。今後の成長のためになるのならば。」

尚、この本でも他者のことばかり気にしろ、といっているわけでなく、自分基準の評価についても記載がある。他人ばかり慮っても仕方がない。だが、「評価」とはそんなもんであるので、「評価」を、ただ頑張ること、求められているものとは違うことに注力すること、ごますりをすることとき違えないように、という本である。