巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

誰かを怒ったことで、周囲から評価してもらえると思ったら大間違いだ。

怒るのは、あくまで自分の心を守るための手段だ。

怒るのは、自分の領域を侵した他人への対抗処置だ。

ただ、自戒を込めて言うが、

周囲が他人を怒った自分を評価するだろうと期待するのは間違いだ。

周囲は怒った自分に対して警戒心を強める。それは自分も怒られるかも?と警戒するからだ。

 

怒る理由のなかには以下の理由があったりする。

義憤に駆られて。周囲が迷惑をしているから。良かれと思って。

そういう理由で怒ると、周囲から嫌われるのは、迷惑をかけて怒られた他人ではなく、怒った自分だ。

 

ワイドショーなどの、テレビ上のショーと現実は違う。自分が他人を怒って「そうだ、そうだ。良く言った!」と第三者から称賛を浴びたいと思ってはいけない。テレビの世界は怒っている人、怒られる人は、視聴者側は面識のない赤の他人だからだ。

当事者になりかねない現実の場合、周囲にいる第三者は、大人げなく、その場の雰囲気を壊し、人間関係を壊し、トラブルに発展しかねない怒りを露わにした自分を非難すると思った方がいい。

「相手のためを思って」とかいうのも間違いだ。怒られた、という事実は相手の自尊心を傷つけ、恥をかかせ、恨みを買う。「あの時怒ってもらえてよかったです」というのはビジネス上の社交辞令。時間がたった後に、怒られた理由を無視した結果、干されるなどの現実に直面した時に相手がたまに思い出すぐらいで、大抵は一生恨まれるぐらいだと思った方がよい。

つまり、怒るということは、怒った相手からも、周りからも嫌われる行為だ。

だから相手や周りに「怒るのも一理あるかも」と理解されればラッキー。

ましてや自分の怒りに周りも参戦してもらおう、自分を評価してもらおうとは絶対に思わないほうがいい。

 

と、ここまで書いたが、私が言いたいのは、怒らない方がいい、というわけではなく

他人を口実にして怒るな、といいたい。

怒るかどうかの基準はあくまで”自分”の尊厳を、心を、身を守るため。

人間関係を壊すことになっても、その環境にいられなくなったとしても、そんなのはどうでもいい、自分を守ることが大事だと思ったときに、怒るべきだ。

他人のために、周りのために、という理由ならば、怒るのではなく、相手に主張する場として、冷静に、相手に恥をかかるのではなく、物事を解決するべく、話し合いの場を別途も設けた方がいい。または第三者を介した方がいい。

ちなみに話し合いで解決できる相手でない時はどうするか?

私はそんな怒りが生じる相手と「話せばわかる」なんて微塵も思っていない。話せばわかる人間には、怒らなくても、注意で十分伝わる。

人間は言葉で話しあえば、だれとでも理解しあえると思うことが間違いだ。

相手を排除するか、距離を置く。暴力沙汰や裁判沙汰にならなければ御の字だ。

そのリスクを背負いたくないならば、表面上はビジネスライクに、裏で悪口をいってガス抜きをするが大人のやり方だ。または集団で追い詰めていくやり方。ネチネチとやっていくやり方。それの方が効果的だ。

 

尚、

私は怒る。

軋轢を避けて、自分の心身を蔑ろにした過去に対する自責の念を込めて。