けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

舐められたら怒るべきだが、一回怒ると癖になる。

タイトル通りの記事。

以前何度か「舐められたら怒れ」という記事を書いた。世の中には怒らない人間でいると舐めてかかってくる人間がいるし、黙っているとラインを越えていい様に使われてしまう、ということをいいたかった。

別に「怒り」だけに限定しているわけではない。要するに不利益を被りそうな場合は毅然として戦うべきだという意味だ。

そういう時は大きな声で威嚇するのが手っ取り早いし、ファイティングポーズをとっていることが相手に伝わる。話せばわかるなんて幻想だと私は思っている。

ただ、自分のことを考えると、それ以外の第三者のことや組織内での今後を考えると「怒り」をあらわすのは最善の手段だとは思っていない。

まず一旦「怒り」をあらわす、つまり対決姿勢を示した後はどうしても不利益を被るということに限定されず、自分に被害を与えていないのにも関わらず、相手の振る舞いや言動すべてが「嫌い」になる。そしてその立ち振る舞い全てが「怒り」に代わる。要するに「目ざわり」なのだ。「目ざわり」だからといって排除の手段をとれば、どちらが悪いかはいわずもがな。とりあえず黙ってこらえているが、やはり「怒り」は最善ではないと痛感する。

お互い嫌いになるのは別にいい。舐めてくる相手と仲良くする必要などない。ただ行き過ぎた行為にまで及ぶのはよくない。それに怒ると仕事や物事への集中力が切れてしまう。

多分、私より優れた人はわざわざ怒らずとも、立ち振る舞いや聞き方、話し方で相手が危険を察知し舐めたマネを取らなくなるのだろう。威圧感、といえばいいのだろうか。そういうのを身につけたいものである。