けーせらーせらー

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エンターテインメントは”感情”を動かすこと

とあるYouTube動画を見ていた時に、実に興味深い発言を耳にした。曰く

「賢い人にとって”感情”はエンターテイメント(娯楽)である。」とのこと。

成程と思った。確かにエンターテインメント、つまりテレビ、インターネット、イベント会場で出演者が視聴者や聞き手に提供するのは”感情”を揺さぶる事である。

この発言での一番の肝は、”笑い”や”感動”とはいっておらず、”感情”と言っていること、つまり、他の感情である”怒り”や”不安”もエンターテイメントでしかない、と言っていることである。

だから、見る側を怒らせたり、不安がらせたりするのもエンターテインメントなのだ。見る側にとっては、笑いや感動だけでなく、怒りや不安も”娯楽”にすぎず、また同等の扱いであり、提供側の商売も、視聴者の感情を動かすことが商売なのである。”嫌い”という感情の反対語は”無関心”とはよく言ったもので、感情を動かせてナンボだから、無関心というなんの感情も抱かせないぐらいならば”嫌い”のほうが娯楽業にとってはマシなのだ。

だとしたら、一生懸命ネタを考えて”笑い”を提供したり、大作ドラマを作って”感動”を与えるのは、タイパやコスパが悪い。マスコミは視聴者が怒らせるような出来事を見つけて放送して、それを司会者やコメンテーターと一緒に「あいつは悪い奴だ」と一緒に怒ること、それが娯楽を提供している、という話。インターネット配信者の場合は外に出て撮影するのはお金や人手や時間がかかる。だとしたら、一番コスパがいいのは、スマホやパソコン画面を見ている視聴者をバカにし挑発し怒らせることか、あるいは「〇〇はヤバい」などと不安を煽ることである。なぜならそれも”エンターテインメント”なのだから。

なぜ彼らは敢えて怒りを誘発し不安を煽るのか、マスコミが皇室の方の伴侶の噂話のジャンルを「エンターテインメント」扱いにしているのも、やっと理解できた気がする。

「〇〇する奴はクソ」という発言は感情を揺さぶるエンターテインメントなのだ。それに自分の貴重な時間を費やし、精神的に揺さぶられたいかどうかを決めるのは、視聴者自身である。スポーツを自分でするか、または、赤の他人が丸い球でなにかしているのを金と時間を払って観るのも同じ娯楽である。

最後にこの話を記事にした理由について。娯楽を否定するわけではない。仕事ばかり、真面目な話ばかり、悲しい現実ばかりに向き合い続けるのは精神的によくない。娯楽の時間は必要、だからこそ有効に生かしたい。

ただ、娯楽業はそれぞれの客にとって気分のいいことだけを提供しているわけではない。”感情”という負の感情も含んで娯楽。SNSは提供者にとっての感情の発露であって閲覧者の娯楽ではない。だったら娯楽はテレビやインターネットの提供側が用意するものに依存するのではなく自分で取捨選択して選びたい、というお話。