過去に、対立を煽る「まとめサイト」を見るのを辞めた、という記事を書いた。
書いた内容をすっかり忘れていたが、アクセス数で上に表示されていることに気づいて、文章を修正していた。
折角なので「まとめサイト」をみたところ、1年前と変わらない相変わらずの話題に出くわした。
今回出くわしたのは、SNSとnoteの以下のような投稿をもとにした話であった。
・土日の昼間に、独身のおっさんが飲食店にいた。汚い。
・平日の夕方に、独身のおっさんがスーパーで1人で買い物をしていた。ぞっとした。
…おっさんが、1人で店に入るのは犯罪なのかな?
中年男性ではなく、例えば”ホームレス”とか、特定の人種とかに置き換えたら、人権侵害、差別になることは、誰にでもわかるであろう。そして、ホームレスと中年男性、両者の違いはカテゴリーとしての違いでしかない。”差別”と訴えてこない特定の層を狙い撃ちした、安全圏での発言。
人として恥ずべき差別発言である。
勿論、前後の文章がわからない切り抜きであるので、わずか数行だけみて、そうだとは断定はできない。言葉狩りになってしまう。またこの投稿した人が本当に実在しない可能性もある。つまり、誰かの怒りを誘発したいがため、意図的に投稿した可能性もあるからである。
とはいえ、街で出会う赤の他人を見下すネガティブな投稿である。そういえば、今は「まとめサイト」は読者を差別している投稿を見つけて、怒らせて、対立を煽って閲覧数を稼ぐんだったな、と思い出した。
SNSも政治家、政党への煽りが今日はなんか多い。あ、万博かあ、維新と反維新の対立が最高潮ですな。
万博ねえ。そういや、自分がいかに凄いかを職場で大声で演説している「ノイズハラスメント」のオナニーマスターKが、金曜日に万博の話をしてたなあ。
そう思うとわかりやすい光景である。食べ物が旨い、いいものが買えた、万博のあの展示が良かった、ではなく、自分より劣る存在を見つけたことの報告のほうが重要なんだ、人と優劣を決めることを最優先する思考しかないのだねえ。群れることが何よりも重要なんだねえ。
人間というのは自分より劣ると思っている人を見つけて見下して、自分の優越感と安心感を得たいんだろうなあ。被害を受けたとかならともかく、知らないおっさんなど、どうでもいい他人だろうに。
SNSは、心の内を投稿できることで人間の醜悪さが表にでやすい。そして見るほうもネガティブな情報というのは、ポジティブな情報よりもどうしても頭に残るもの。だからこそ閲覧数が増えるので「まとめサイト」の運営者はそのような投稿を探すのだな、と再確認。
まあ、私も休日に飲食店に1人で入るのは抵抗がある。そういう他人の目を気にする、つまりは、友達も妻子もいない孤独という状態が、人間として劣ることだと思っているからかもしれん。旅館とか1人で泊まると、自〇するつもりなのかと警戒する旅館の運営者じゃあるまいし。女性も1人で飲食店には入れないのは同じなんだろう。会社の人とつきあわなくて済むし、他人にあわせなくてよくて気楽なはずなのに、1人でいる状態がダメというのはどうしてなんだろうね?
テレビの「孤独のグルメ」を好きな人が多いのは、本当は、他人の目を気にせずに、自分が食べたいものを出す店に入って、純粋に食べ物の旨さを楽しみたい人が多いからなのかもしれない。
さて、もう一つの話題。スーパーで平日夕方に1人で買うのを見てなぜぞっとするのか、私には理解できなかった。尚、「まとめサイト」は有料記事の冒頭の無料部分の一部を対立を煽るつもりで引用している。有料記事を最後まで読めば著者の真意がわかるのであろうが、冒頭の一部だけを切り抜くことで、平日夕方に1人で買い物をする男性をひっくるめて、レッテル化し、単純化して、ネガティブな印象を読者に与える。
スーパーなんて、老若男女未婚既婚問わず、他人という存在は通行に邪魔な人か、特売品などを争う相手でしかないだろうに、スーパーですら、他人と優劣を決める場所として成立させた。激怒”産業”とはよくいったもんだ。
書いてみたら心理が思いつくかも?と思い書いてみたが、こういう悪意ある切り抜き記事は記憶から消すほうが幸福だ。他のことをしよう。
終了。
以上、気持ちを切り替えるための吐き出しでした。
※読者の興味を引くには、レッテル化・単純化することが有効なのは、とある本で紹介されていて、そういう悪意あるSNS商売の仕組みがわかると、それにのせられるブレーキとなる。読んだら最初はムカつくけどね。激怒産業にのせられて、書いたものを切り抜かれた個人を攻撃すれば、誹謗中傷の罪を着せられるだけで、読者にとっては何の価値も生まない、デメリットしかない記事。