巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

他人の言動を、自分で勝手に解釈をしない。

他人のネガティブな言葉に傷つく。

傷つくという事実は、どうあがいても変わらない。

その事実を否定しようと藻掻けば苦しむだけ。聞いて心が痛むのを消すことなんて、普通の人はできない。できるとしたら、慣れるぐらいか、心身の調子が良いときぐらいで、鍛錬して何とかしようとしない。

だが、傷ついた後にどうするか、どう思うかは自分次第。そこは変えることができるのではないか?

これが今私が考えていること。というか、本の受け売りだが。

誰かの発言で傷つく。それに対して、自分が悪かったのではないかと思い落ち込むとか、傷つけた相手が悪いと、怒りの感情を持ち続けるとか、そういった感情を引きずるのことは減らすことができるはず。

それはその発言に対して、自分なりになぜなのか考え、理由を探るとか、自分で解釈するとか、そういうのを辞めれば、落ち込む時間や怒っている時間は減るのではないあろうか?

まず、傷ついた発言がどういう意味を持つのかわかる場合は、自分で改善や、同じことを繰り返さない、という余地があるのならば、次回以降に気を付ければいい。

以上。

そして、その発言の意図がわからない場合や、傷ついた感情を引きずる場合は、あれこれ考える必要はない。

具体例をあげてみる。

相手の機嫌が悪かったのかもしれない。
相手が忙しくてイライラしていたかもしれない。
相手の行動の邪魔をしたのかもしれない。
相手が、その直前に嫌なことがあったのかもしれない。
相手の体調が悪かったのかもしれない。
相手が、こちらの発言を悪く解釈したのかもしれない。

自分の言い方が悪くて、相手がイラっとしたかもしれない。
自分の発言の意味がわからずに、相手がイラっとしたかもしれない。
自分の説明が回りくどくて、わかりづらいかったもしれない。

相手が単に自分が嫌いで、接触したくないのかもしれない。

色々理由を上記で上げてみたが、末尾は全く同じである。

”かもしれない”

かもしれない、ということは、その本当のことは自分にはわからない、ということだ。だとしたら考えても無駄である。

自分を振り返ってみると、自分だってキツイ言い方になるときがある。なんかよくわからないが、ムシャクシャしている時がある。

だったら、他人だってそうだ。よくわからないがムシャクシャしている時がある。

電話の相手なんてもっとわからない。SNSの投稿者や読み手も同じ。相手の今の状況がわからないのだから、相手の発言の意味付けなんて、誤解する可能性が十分にある。気分が悪いときは誰だってキツイ言い方になりやすいし、怒りのボーダーラインが下がる。

自分がやれることとしたら、相手の言動を自分で解釈をしないことだ。傷ついた、という事実に対して、その傷ついた理由を、その傷ついた事実を取り消そうとしたり、仕返ししようとするために、自分で納得できる理由を生み出す必要はない、ということだ。

一線を超えるような問題があれば、その理由をいわれるだろうし、無視されるだけである。

後は、焦らないことだ。焦りは状況判断を見誤ったり、ケアレスミスを起こしやすい。

私は特に最近、この”焦り”に気をつけている。どうも、失敗したな、と思うときや、予期不安に襲われるときは、焦っている時が多いことに気が付いた。焦らずに冷静に考えたりことの成り行きを見守っていたら、全体が見えたり、自分の誤りに気づいたり、なにか思いついたり、事態が好転する場合がある。

また、他人の判断が自分の判断と同じだと思わないこと。自分の認識が、自分の正義が、他人のそれらと一致しないものだと認識すること。自分の正義の反対は相手の正義である。

他人のネガティブな発言から、罪悪感を持たないことも大事である。他人のネガティブな発言は、相手が自分が嫌いな場合も勿論あるが、タイミングが違えば、その発言がそもそもされない場合がある。焦りで判断を見誤るように、相手も焦っていると判断を謝り、発言を誤解する。

だから、他人の言動に対し、意味付けをしたり、想定外の反応をされたからといって、傷つくかもしれないが、それ以上は、あれこれ思案しないことである。傷ついた自分をただ受け入れる、そして時間が過ぎていくのを待つ。

我慢しろ、または、ポジティブにとらえろ、成長の機会だ、と考えるのは、違うと思っていた。レジリエンス、つまり、相手の受け流すというの何か違うとも思っていた。違うというのは、そんなことはできない、という意味である。

だから、反応するのではなく、受け流すのではなく、後で思考しないこと。

私の場合は、先に行動してしまう場合、行動しながら考える場合が多かった。動きながら考えろ、という自己啓発に従いすぎていたのかもしれない。思い立ったらすぐ行動して、失敗することは次に活きるチャンスだと思っていた。でも、その考えは間違っている場合がある。

考えてばかりで行動しないのも問題だが、即行動に移す、即発言して物事を決断し、白黒をつけなくてもいい場合もあるのではないか?あえて機が熟すのを待つ場合もあっていいのではないか、と最近思っている。

時間を置くことで解決策が見つかる問題もある。また、即行動し、即発言することは、迂闊な言動をしたり、深く考えないまま感情的な発言をしてしまうリスクもある。その結果、禍根を残したり、防げたミスを引き起こしている気がする。

あれこれ思案するのは、最悪の事態を防ぐためでもある。だが、悪い結果になったとしたら、次に移ればいい。誰とだって行き違い、仲違いする時はある。本当に相性が悪い時もある。それをどうこうしようとしなくてもいい。

相手に嫌われるのならば、評価されないならば、転職すればいい。新たな友人、恋人を作ればいい。そう思うことで、精神的に安定するのでないか、ストレスが軽減するのではないか、人生において楽しい時間が増えていくのではないか?

あえて自分が、自分が、と主張しないほうがいい時もある。自己主張は時にエゴとなる。他人に自分の正しさを押し付けて、他人の言動にイライラしてしまう。

休養できている時間、リラックスして冷静に対処できている時間というのは、自分という存在が大きくなりすぎている時間なのではないか、とも思っている。

なんかまとまっていない文章ではあるが、なんとなく感覚的なとらえ方を今年度は変えてみようと、思った次第。

もう少しうまく言語化したいため、後日修正するか、再度記事に書くかどちらかをするつもりではあるが、一旦今試行していることを吐き出してみることにした。