けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

怒りのコントロール:感情を抑える方法

前回、仕事中いかにして無駄な感情の動きを抑えるかについて書いた。今回はこのブログで何度も書いているが、”怒り”についてピックアップする。

”怒り”。私はたまにカーとなって怒りたくなる衝動に駆られてしまう。これが結構多く、前職では退職する前の半年ぐらいは上席者に怒鳴り散らしていた。業者も出禁にしたりしていた。物も投げたりした。これは直すべき欠点だと自分で思っている。

ただ、単に抑圧するというのはちょっと違うと思っている。というのも、抑圧するとどこかでふとしたことでこれまで溜まっていたものが一気に噴き出すかのように大爆発してしまう。大爆発というのは言葉のあやだが、仕事において二度と協力できないほどの取り返しのつかない暴言と言ったところ。これはパワハラになりかねない。別に首長、経営者、上司だけの話でもない。誰もが気を付けないといけないのが感情に任せた見境のない暴言である。

ここ数年怒りについての本を読んだ。その結果、今は数年前より結構抑えられていると思う。怒りを抑えようとするのではなく、怒りがあることを認識して、そこから対処するという段取りを踏むイメージ。怒りを抑圧するのでなく、怒りの原理を理解し、怒りがあることを認めたうえで、対処し、時間の経過を待つイメージ。

具体的には、たまたま会った人から嫌な目にあわされた時に湧き出る怒りについては、目の前のことに集中できるような他のことをするようにする。そうすると、たまたま会った人への怒りというのは薄らいでいくのがわかる。たまたま会った人というのはそうそう何度も顔を合わさないためである。公共交通機関や車の危ない運転に遭遇したとかがそう。怒りと記憶自体は消えないけれども、薄らいでいく感じがある。そうこうしているうちにいつの間にか忘れてしまう。

あとなぜ自分は怒っているのだろうと分析してみたりする。

例えば、理不尽な理由により自分に非がないのに自分の身の危険を感じた時が思い当たる。(けがや生命、財産に被害が出た場合はこれは警察の出番なので別とする。)そうでない場合、なぜそんなに怒るのというと、自分の身を守る防御反応であると理解する。そして怒ってしまった過去の事実というのは上記のとおり他のことをしていれば次第に忘れていく。問題はその出来事のせいで自分が不利になった、自分に悪いことがおきるのではないかという不安。これが怒りの感情を長引かせる。ただ、私の場合はこの防御ラインが高すぎることに気づく。そこである程度は様子を見てみる。世の中、あなたが悪い、と面と向かって攻め立ている人はそうそういないし、そこからさらに何かアクションをし続ける人はもっと少ないことに気づく。(勿論、絶対いないわけではない。)未成年の時に悪いことをして更生した人間はこのあたりのラインが経験上分かっているので、その意味で品行方正で育った子よりも精神的に強い場合がある。(勿論、犯罪行為はダメだが)

思い出すと私は子供の頃、いじめの加害者にしたてられた記憶が残っているせいではないか、と思う。(小説のような話だが実際に会った話で、本当のいじめの加害者が策略されたというか、責任転嫁された。私はいじめに加担していない。)だから心の根っこのところで人は自分の利益のために騙す、人を陥れると疑っている。そして考える。子供の頃は防御できる力も財力も知力もなかったから大人に頼るしかなかった。悔しくて鬱憤が溜まっている状況。だが今は違う。戦える。やられたらやり返せる。仮に身の危険を感じる危険な相手ならば、生命を守るために逃げるのも肝心。よって対処法はある。だから実際不利益が生じた時に対処すればよい。そう思うとだんだん怒りが収まってくる。

ほかにも怒りの原因が思いつく。

知らない人とこれから仕事をするときや近所づきあいをするときに、自分が不利益な目にあわされるのではという未来の不安から来る怒り。これも過去の記憶が作用していると思う。ただこれも過去に記事に挙げた、”予測”であると気付く。”予測”は根拠がなかったり、最悪のケースを想定したり、過去にあった悪い出来事をベースに想定された”予測”である。悪い方に転がった場合の”予測”は9割起こらないか、または対処方法が色々考えられる。本当に不利益な目にあわされるのは、自分が想定もしていないときに起こるもの。だからこれは最悪のケースの予測の不安であると頭で理解する。そしてその経験が蓄積されると、悪い”予測”というのはどんどん減少してくる。

もうひとつは、メンツ。メンツをつぶされた、定義的には自分の名誉や評判について、舐められた、恥をかかされた、として怒る。また自分は正当に評価されるべき、自分は〇〇より評価されるべき、自分を低く扱われた、と思う場合に怒る。

しかし得ていて、メンツが潰されたと相手に怒った時、相手にビックリされる。思うに、相手はそこまで考えていない、悪いように扱うつもりがない、他のことを気にしていて、私まで気が回っていない、相手の評判や自分の立場のことを気にして、私が傷つくことまで頭に入っていない場合が多い。要するに、私のことなど考えていない。メンツをつぶしたなど思ってもいない。

ただ、理不尽な扱われ方をされ続けた場合は強く抗議しないと、いつまでたっても相手は私をぞんざいに扱ってもよいと思われてしまう。だが、何度もメンツをつぶされたと怒ってばかりいると、その相手だけでなく周りの人間からも、関わらない方がいい人扱いになってしまう。

また、怒っても感情的にならない方がいい。視野が狭くなるからである。

また、正義感で怒らない方も良い。その場合、不確かな情報か、話の一部だけ見聞きした段階でカッとなっている場合が多い。要するに、一部の情報で誤解して怒ってしまうケースがあるからである。

また、お腹が空いている時や睡眠不足の時、体調不良の時は怒りの沸点が低いことを理解する。

最後に。最近怒りが減ってきたと同時に、仕事においての愛着、提言、主張、率先して問題を解決しようとする気がなくなってきた。当然、生産性も成果も落ちた。他人を助けることも減ってきた。

仕事においての怒りというのは何かを成し遂げようとしているからこそ、という面もあるともう。勿論、パワハラは論外だが、やはり組織で何かをしようとすれば衝突することは避けられない。その衝突を避けようとすれば、怒りは減るだろうが、仕事への熱意も減ると思う。