けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

安定を求めすぎると、安定は得られない。

人に「〇歳までに家庭を持たないと」と言われて強く反発した。なぜ、反発したのか?

 

自分の場合は、メンタル疾患にさえならなければ30歳には結婚する予定だったからだ。メンタル疾患になり家庭を持つにはこれが治ってからだと思い延期してから、既に10数年が経過する。既にパートナーは私のもとから去った。メンタル疾患の症状は殆どないといってもいい状態だが、今でも薬を飲んでいる現状である。一生つきあっていく病である。なので、この言葉を聞くと、ひどく反発し自分を責める、自分の人生を責める、戻ることのできない人生にひどく嫌気がさす。メンタルも不安定になる。

メンタル疾患は、私から安定した仕事もとりあげた。安定した仕事なんてメンタル疾患にならなくても失う可能性があるが、私の兄弟も友人も転職することなくひとつの会社で勤めあげていて、給料はどれだけ頑張っても追いつかない。退職金のことを考えればもう取返しがつかない。

メンタル疾患から回復した頃、年齢的にもラストチャンスと思い、2度安定した仕事への復帰を試みた。だが、面接ですべて撃沈。得たのは、非正規か、激務か、零細企業への採用だけである。チャレンジするつもりならともかく、安定した企業への就職には年齢を重ねすぎた。
家庭を持つには安定した仕事と収入を確保してからと思っていたら、この年齢になっていた。そもそも、安定した収入を前提にしていたのが間違いであったが、今更遅い。

すべて遅い。もう、自分が欲しかったものは手に入らない。いや、もともと自分が欲しかったものは、メンタル疾患にならなくても得られなかったのでは?

そもそも自分がメンタル疾患になったのは、この安定志向が強すぎたからではないかと思っている。当初の会社は出向によるグループ間の交流が盛んだったが、不安定な企業、激務で離職率の高い企業、家族友人を巻き込む自爆営業が盛んな企業が多く、この出向を避けるために必死だった。この自爆営業が何よりも嫌いだった。なのでより安定した企業へ転職するために、自分のスキルと経験を積むのに必死だった。

一時期、安定した職への幻想から、公務員の人達と関わるようになった。その現場で見たのは、短い期間での人事異動と、過酷な部署への異動をひどく恐れる正規職員の姿だった。住民、監査、議員からの意見にひどく怯え、長時間労働を強いられ、メンタル疾患にかかる正規職員の姿だった。クビにはならないかもしれないが、精神的、身体的な安定からはほど遠い印象だった。(無論、すべての公務員にあてはまるわけではない)

冷静に今一度自分が求めていた安定とは、いったい何なのか、改めて考えてみた。要するに他人や周りに自分の安寧を脅かされない状態、なのだろう。心穏やかな状態というのは、環境が変化しない、自分に他者から影響されない状態。そして、そのような職場、家庭というのは、おそらく今の自分の考え方では存在しない。他者からの自分が望まない意見や指示、自分の思い通りにならない現状から逃げることに他ならない。要するに自分が万能盤石である状態でないといけない。そんなものはこの世には存在しない。

そうすると自分の転職活動の仕事内容の選び方もこの考えに一致する、要するにいわれたとおりにするだけのような、今の自分の能力では特に苦労もせずにできそうな仕事ばかりを求めている。なので、そもそも応募先も見つからない。転職すること自体が安定から離れている。

仕事は、自分の人生の目的を達成するための手段、という意見を聞いたことがあるが、まさしくその通りである。子どもを食べさせるため、大学にいかせるため、高収入な職に転職するのも目的といえるだろう。
自分の目的は安定である。心が休まる安定である。でもそれを得るのは仕事内容や就職先ではなく、自分の心構え一つなのでないか?他者からの否定に対する自分の心構えではないか?他者に否定、反発、攻撃されるかもしれないという不安からの脱却ではないか?

※とりあえず、今の心境をメモ代わりに、今度振り返るために書き連ねました。

写経したい。