実は胃カメラの精密検査を受けることが決まったとき、2つの感情があった。
一つは恐怖。ただこれは私個人だけでなく、多くの人も死ぬのが怖いのは当たり前のことだから、気持ちを抑えようとしても仕方がない。またあれやこれや調べても仕方がない。インターネットで調べれば、癌か悪性腫瘍と判明する確率はかなり低いとわかっていたとしても、だ。
癌になる確率が3人に1人の確率だろうが、100万人に1人の確率だろうが、その病気になった者にとっては確率は100%である。だから、確率など調べても仕方がない。今できることとしたら、結果発表までの時間をあれこれ不安になって過ごすよりも、気にせずに過ごすことだ。気にしようがしまいが、結果はもう決まっている。それが自分に伝わるまでの期間でしかないからだ。
もう一つは自分に心残りがあったことだ。正直、一度重度のメンタル疾患になって、その後の人生を棒に振ったと思っているので、もういつ死んでもいいと思っていた。だが、実際に精密検査の知らせを受けて、心残りを感じた自分がいた。
さて、私は何が心残りなのだろうか、と。
子はいないし、とうにあきらめているし、子を残して死ねないという心残りは私にはない。
仕事で何かを成し遂げたいから心残りがあるのかと思ったが、精密検査の通知から今まで仕事をしていても、これをやっておきたい、これを成し遂げるまでは、という具体的なものは思いつかなかった。正直仕事での他人にわかってもらえるような記号的、数字的な”成果”など私にとってはどうでもよいのだ。
では私にとっての心残りと言うのは何なのか?
将来のことで心残りではない。過去に対する後悔だというのが私の今日時点の答えだ。
人の目を気にして行動をしてきたこと、失敗することに怯えて行動に制限を加えてきたこと、人から悪口をいわれないように怯えて過ごしてきたこと、将来のために、金銭のために今日を我慢してきたこと、というこれまでの生き方に対する後悔。
そこで、しばらく1人でできる範囲で好きなように行動してみた。
仕事に好きな恰好をして行った。仕事場においてはこの猛暑のなかでもマナーとか気にしていた。ただ自分の中では糞くらえと思っていたのに気づいた。そこで会社のルールで禁止とあらかじめ明記されているジーパン、Tシャつ以外で、好きな恰好をして会社に行った。周りには「ラフな格好やな」といわれたが、文句はいわれなかった。今のご時世、今の自分の立場で服装で面と向かってとやかくいう人などほとんどいない。陰口をいわれているかもしれないが、陰口などほっておけばいい。しかも、今年もこの猛暑、下手なワイシャツより涼しさを求めたファッションの方が仕事が捗るのである。所謂、生産性があがるってやつ。
好きな場所に出かけて行った。今までは、やれ会社の人にあったら恥ずかしいやの、相手は家族連れのところで1人で歩いているところを見られて蔑まれるやの、余計なことを考えて、遭遇する確率があがる人が多いところを避けていた。でも、他人の目を気にして自分がしたいことをしない方が人生の損失である。結果は、意外と遭遇しなかった。
食べたい食べ物を食べにいった。飲んでみたい酒を飲んでみた。上手い。
仕事も周りに事前にお伺いをたてずに自分が思うようにやってみた。捗った。
仕事で気になっていたところを、本屋をめぐって調べつくした。
読みたい本を買いまくった。積読状態は楽しい。
壊れていた本棚を修理した。この暑い中を避けていたが、いざ直したら本がすっきり収納できた。
”日々”、自分がしたいと思うことを思い立った時にして、生きていくことが重要だったのだ。
他人に休日どんなことを過ごしたか説明するために、自分がどれだけ有意義な日々を過ごしたことを他人にアピールするために、成長を他人にアピールするために毎日を過ごすわけではない。将来に有効になるように、将来の心配事を解消するために今日を使うのではない。
幸せという概念は、所詮は他人との比較で生じる。その”幸せ”を追い求めたところで、死を前にしたら、「なんて無駄な時間を過ごしたのだろう」と思うはずだ。
今日の自分のために、今日の自分がしたいことをするために、その今日を積み重ねてきた結果が人生。明日の安定と明日以降の名誉のための、失敗しないための、他人に自慢するための、バカにされないための日々を過ごしてきた結果の後悔と心残りだったのだと思う。
ということでブログを暫く書いていなかった。今日したいことを優先したからだ。
そして、今日ブログを書きたくなったから書いた。それだけだ。