巧遅は拙速に如かず。急いては事を仕損じる。

仕事とメンタル不調に関する思考バイアスに自分で気づくための日記帳

夏の参議院選挙の予想と私見

この記事は令和7年6月14日夕方に昨日までに知りえた情報をもとに書いたものである。

さて夏の参議院選挙が7月20日投開票という話が出てきたようだ。そして、その前哨戦ともいえる、4年に1度の東京都議選も今月に行われる。

ということで、マスコミの獲得予想議席数が報道される前に、久しぶりに政治の話。

尚、私は特定の党について応援するような記事は書かないし、特定の党を否定する記事も書かない。あくまで、予想と私見

興味のない方用に、一旦改行する。

 

 

組織は人である

「人は石垣、人は城、人は堀」

武田信玄にまつわる名言だ。人の大切さを説く話ではあるが、要するに組織というのは人で持つ。”人”がいてこそ、組織はより強固になる。

「企業は人なり」

これは松下幸之助の格言である。こちらも、企業は”人”がいてこそ動くということだ。

さて、話は飛んで、最近の国民民主党で夏の参議院選挙の候補で内定した女性候補を取り消した話。

この候補、かつては公党で活躍した方であるが、議員活動中に不倫と政治資金の問題が浮上した際に、説明責任を果たさずに、立候補しない形で国会議員を退いた人である。

その候補を国民民主党は、参議院比例区で擁立することを内定したことを発表済みであったが、支持者の離反があり、記者会見を開いたが、ほぼゼロ回答で会見終了。その後、全国の党組織からの要請で「内定取り消し」という事態となったそうだ。

当の御本人は、国民民主党の公認候補者として内定した時点で過去の疑惑はすでに知っていたわけで、それを理解したうえで自分を勧誘し、そして内定したのに、急に取り消しをする、というのは組織としてどうなのか?と反論している。

当の御本人の意見はもっともである。内定後から内定取り消しの間ににあらたな疑惑が報道されていたわけではないだろう。そもそも疑惑が晴れていない方を勧誘し公認するべきではなかったか、もしくは、公認を内定した以上は内定取り消しをするべきではなかった。組織としての対応として大変いただけない。

ただ、有権者としては、疑惑がはっきりしない段階で議員を退いて一般人となった方を国民民主党はどうして候補者として擁立しようとしたのか、理解ができないのではないか?もう年数がたったので国民は忘れたと思ったのだろうか?

また、この方は、これまでの発言から思想的にはリベラル寄り、左寄りであることもわかっていたはず。そして、前回の国民民主党の躍進は、自民党の総理総裁が変わり左寄りになったので、右寄りの自民党支持層の受け皿として、票を伸ばした面もある。保守層、右寄りの思想で、自由民主党に前回は投票したくなかった支持層の受け皿であったのに、なぜ左寄りの方を擁立するのか?これも有権者には理解できない。

ここからは私の根拠なき推測。

国民民主党は去年の衆議院選挙の躍進と今年の春までの支持率の大幅アップの状況から夏の参議院選挙でも躍進が予測されていたところ。そうなれば、獲得できる議員数に見合うだけの候補者の確保が急務。そこで元国会議員の方など経験のあるこのかたに声をかけたのではないか?または、今の支持率ならば、過去の不倫や政治資金問題など些細なことだとしてかつての仲間が当選できるはず、と思ったのではないか。結局、せっかくのこれまでの勢いを止める結果となった。

特に女性の支持率が急落していると聞く。”不倫”というと、他人のプライベートに口出しする、という風に芸能人やテレビに出る方は捉えているようだが、一般人はそうは思っていないのではないか?しかもこの方、不倫の末に、相手方の伴侶が自死を選ばれているという報道もある。人の生き死に関わる問題ではないか?という疑念が出てきた以上、国を代表する国会議員になろうとするならば、単にプライベートの問題で終わらせられない。

また、党首自身にも不倫問題もあったが、あれは”国民民主党、減税の勢いをそぐため”という陰謀的なスクープという扱いをされていたので、それほど支持を落としていないが、今回の件で国民民主党は、または党首は、”不倫”に関する意識が低いのではないか?という疑念も生じた。

というわけで、冒頭に「組織は人で持つ」という格言を引用した。この人、というのは当然人間であれば誰でもよい、という意味ではない、という皮肉を込めて引用した。

「擁立した候補が気にならないならば、比例区で国民民主党に投票しなければよい」という幹部の発言もあったと報道されていた記憶がある。国民民主党の幹部に今自分の党から立候補すれば当選するという驕りがあったのは間違いない。

政党の議員が急拡大したとき、またはしそうなときに、新人が党の勢いの足を引っ張るのは何も国民民主党に限った話ではない。自民党民主党も躍進した際に、〇〇チルドレンという、党の人気のおかげで議員になれた、議員としての資質に問題のある人が居た。維新の会も、何度かトラブルを起こし除名されている議員もいる。「組織は人なり」。政策だけではない。思想だけではない。自分の仲間にひとかどの人物を確保する、というのは国民民主党に限らず、また政党に限らず、日本を代表する実業家でも、古くは戦国大名でも大変なのである。

知名度があるなら比例区は誰でもいい。」というわけではない。たしかに参議院選挙の全国区は全国的な知名度がある人のほうが有利な選挙だ。だが、最近はその流れは変わってきていて、その知名度を優先するあまりに、知識が圧倒的に不足していたり、過去にトラブルを起こし、党を除名されたり、または芸能人の第2の働き先という扱いのような人を擁立したりする。知名度こそすべてとおもっていたら、政党に対する票自体を減らしかねないのが今の状況である。

「悪名は無名に勝る」

読売新聞の渡辺恒夫氏の発言であるが、投票活動については本当にそうなるか、一度内定した以上は私は上記の方を擁立して、国民の判断を見たかったところである。

SNSで躍進した国民民主党等の勢いは続くのか

昨年の国民民主党の躍進はSNSでの活動が功を奏した、といわれている。SNSがすべてだとは思わないが、わかりやすいシングルイシューとSNSのショート動画は相性がいいのは間違いないし、SNSでの党首の活動が投票数の増加に貢献したのは間違いない。

ただ、上記の元国会議員の候補者内定と取り消しは、逆にSNSでの批判からの迷走ともいえる。SNSでの反応をもとに決めていたら、方針がブレブレになる。そもそもSNSは声の大きい人間の意見が目立つ。閲覧数=多くの有権者の考え、という理解すると大きな間違いを生む。

SNSに限らず、一気に人気が過熱した場合は、ひとつの出来事で急に風向きが変わり、逆風になったりする。もともと国民民主党自由民主党の裏金問題の批判をメインにして人気を博したわけではないが、政治資金の問題のあった上記の元国会議員の内定で、国民民主党自民党と同じように裏金自体に無頓着ではないか?という疑惑もでてきた。

いま、追い風が逆風に変わりつつある。少なくとも、去年からの勢いはこの騒動と米問題での党首の発言などで完全に止まった。

追い風が止まった以上、選挙では各候補者の評価になるだろう。少なくとも全国区で大幅躍進というわけにはいかない可能性も高い。といっても逆風になるかどうかは、早めに内定を取り消したこともあり、今日時点ではまだわからない。党の勢いで投票されるかどうかは、あと1か月間の動向次第だろう。

SNSの追い風は、ひとつの出来事で逆風に変わる。前年はSNS選挙といわれたが、今夏の参議院選挙と、東京都議選挙がどうなるかは、あと1か月でわかるだろう。

去年のSNSでの活動で票を増やしたといえば、国民民主党だけではない。東京都知事選の石丸氏、兵庫県知事選のNHK党、保守層などをターゲットにした参政党や日本保守党も該当する。上記の党は、オールドメディアの獲得議席予測があまりあてにならないのは前年の選挙で実証済。では今夏も同様に予想外な躍進をするのか、それとも埋没するかはあと1か月もしたら結果がでるであろう。

適材適所と自民党公明党

逆に自民党への強烈な逆風はおさまりつつある。それは「小泉進次郎農林水産大臣」の就任と、備蓄米に関する発信力の高さに影響している。

ワイドショーは今や、去年までの「大谷劇場」から「小泉劇場」に早変わりした。それぐらいマスコミに取り上げやすい人物である。

小泉氏の発言は親譲りのパフォーマンス力がある。発言が非常にわかりやすい。専門知識でごちゃごちゃ理屈をこねくり回さない単純明快な発言が良い方向で発揮されている。

まさに「適材適所」だと私は思う。米問題がない時だったらこうは取り上げられまい。思えば、安倍元首相亡き後の自民党は「発信力不足」、シンボルになる広告塔不足であった。それが前年の夏の衆議院選挙。そして、石破内閣はマスコミに取り上げられるほどの全国的な知名度をもつ人が石破総理大臣ぐらい。何をしているのか、何をしたいのか、報道されない、知られない、わからないというのは、有権者として反応に困る。そして、他の政党のわかりやすい党の象徴的存在の党首・代表たちの意見に支持が集まる。

それが小泉大臣の登場で流れが変わったかのように思える。

勿論、米問題が解決したわけではない。そもそもなぜ凶作でもなかったのに米がこれだけ小売店からなくなり、前年比で倍ぐらいの価格になってしまったのか理由がわからない。そもそもの問題は原因も今後の解決策もまだ不明である。

また、大臣が後退して1週間やそこらでいきなり随意契約に切り替わってすぐに対応できたわけではあるまい。根拠はないが、前大臣の時代には農水省の職員は法律的な手続きや取引の準備はできていて、後は政治家のGOの合図を待っていた、と考えるのが自然だろう。だが、そのGOの指示をマスコミの前で華麗にできるパフォーマンス力のある政治家はなかなかいない。あと、農業関連の組織票がなくても選挙に勝てるほどの政治家も。

ただ、わかりやすい発言というのは、理解もしやすいが、批判もしやすい。ひとつの発言、ひとつの出来事如何で流れは一気に変わる。他の大臣もそうだ。

そして、数日前に発表された「1人あたり2万円の現金給付」策。どう見ても選挙対策、そして公明党が好む現金給付対応である。現金給付や貯金に回ったりするので受けが悪いし、前年6月の賞与時期に行った岸田前政権の減税対応ではいかんのか?どう違うか?とも思う。

ただ、上記のとおり国民民主党の勢いが止まった。国民民主党の勢いがあったときは、この現金給付策は、減税策と比較して人気がなく取りやめになったが、この勢いがなくなったのをみてまた現金給付策が復活した。

減税だろうが、現金給付だろうが、金銭が増えること自体に反対する人はそうそうない。この策で自民党公明党の支持や投票が一気に増えるとは思えないが、減るとは思えないし、公明党はこの策が好きということは公明党支持層には受けがいいということだろう。投票率が下がれば、公明党の議員獲得数は増える可能性がある。

しかし選挙の投票日が3連休の中日になったのは最近では聞いたことがない。これがどんな影響があるかはまだ未知数。おそらく、強力な支持基盤のある党には有利、と思いきや、最近は期日前投票がどんどんしやすくなったので、逆に与党に不利な結果を生む可能性だってある。

立憲民主党はこれから何がしたいのか

いわゆる厚生年金保険料の国民年金への横流し策は、自民党公明党が見送った考えであるし、一部議員からは「厚生労働省のその場しのぎの案」と反対されていた考えだ。

それを立憲民主党が「あんこ」と評して、覆して、横流し策が与党と立憲民主党の賛成で国会で短時間で可決成立した。

この横流し案は、SNSの短い時間で解説できるような話ではない。短い文字では「年金額の増額」ともいえるし、悪く言えば「厚生年金保険料の流用」。年金問題は本当はもっと報道され、解説され、国民の間に共有されないといけない問題だ。

立憲民主党が発言している通り、派遣社員とか非正規労働として国民年金保険料しか払えていない就職氷河期世代への対応策としての一案ともいえるので、軽々に良い悪いといえる問題ではない。だが、「その場しのぎ」でしかないのは確かで、もっと、年金問題はどうあるべきか国会で議論されるべきだ。「被保険者と事業所が支払った厚生年金保険料を厚生年金保険料を払っていない人に流用する」のは事実だろう。

また、103万円の壁はなくなった代わりに、より所得税は複雑怪奇となり、税金よりもっと負担の大きい社会保険料106万円の壁は労働時間で一律に負担するという、より国民に重い負担で年収の壁が解消されることになる。はっきりいって、103万円の壁による税負担など106万円の壁による社会保険料の負担のほうがよっぽど負担額が大きいのだが…。

結果的に現役全体としての税と社会保険料を合算したら負担額は増えたのに、それに文句はいわない。国民民主党も賛成はしないが、ダンマリのようだ。19歳から22歳までの学生のアルバイトだけ助かったように見えるが、国全体からしたらそれほどの税額でないのに労働を制限していた若い学生アルバイトをより労働させること、人手不足の多少の解消に成功した、ともいえる。

自民党公明党民主党日本維新の会、そして厚生労働省のほうが、国民民主党を指示した層よりも狡猾で何枚も上手だったのだが、これらも報道されない。SNSで問題提起を入れている人はいるが広がりにかけている。わかりづらいからだろう。

勧善懲悪の問題(例えば財務省自民党の税調が諸悪の根源、税調の委員長を落選させ、財務省を解体すればいいという意見もそうである)に単純化してしまえば、火がついて拡散しやすいが、解決策がかなり難しい問題だと説明も時間も文字数も必要で拡散しにくい。わかりやすい米の値段のほうに目がいく間に年金に関する法を成立させられたのだから、国会議員や官僚は、相手がちょろすぎて、滑稽としか思っていないだろう。

オールドメディアは再び「小泉劇場」をしたいのか

だが、この案が国会で審議されている時は、備蓄米問題ばかり放送されていた。ワイドショーどころか、ニュース番組まで備蓄米を「小泉米」と名付けるほどであった。

オールドメディアはやはり終わっている。

ただ、上記のとおり、SNSがオールドメディアにとってかわるとは思えない。SNSは拡散力はあるが、裏付けがとれる取材力がテレビや新聞よりは劣るので、陰謀論に近いもの、テレビだとバラエティとして扱われるものと、報道で扱われるものが混在している状態だし、一部の声の大きいインフルエンサーに影響されすぎで、情報としての信用力に欠ける。

有権者はどこから情報を得てどう判断するかは難しい問題だ。

選挙の行方は

長々と現状を書いたが、最後に夏の参議院選挙と都議選挙の予想をば。

といっても私は取材力なんてない。あくまで印象でしかない。都議選に関しては東京都民でないので有権者でもないから、演説も聞けないし、全然わからない。

ただ、なんとなく、どこの党にも今回は追い風も向かい風も吹かないような気が現時点ではしている。

よって各候補者に対する各選挙区での判断の結果の集合体、という風になりそうな気がする。衆議院と違い、小選挙区一本ではなく、小選挙区中選挙区大選挙区といってもいい選挙区が混じっているので、各選挙区の情勢を見ないともなんともいえない。

だがこうなると、強固な支持基盤のある政党、わかりやすい政党、現職が残りやすいであろう。となると、前回と各党の獲得議席数は大きく変わらない、つまり微増、微減という結果になりそうな気がする。

勢いは落ちたが、国民民主党自体の獲得票数は少なくとも前回の参議院、都議選よりは増えるだろう。ただし、また別の候補者の選定でごたごたがでてきたら、どうなるかはわからないが。

逆に、立憲民主党日本共産党日本維新の会(強固な支持基盤のある大阪を除く)、数を減らしそうな気がする。少数与党になり、自党の意見が反映されやすい中、日本維新の会は、国民民主党の減税の邪魔をしたいのかとも思えるような案にのって予算に賛成している。

立憲民主党は元総理大臣が代表に復帰して保守層の受け皿となることが去年の衆議院銀選挙では期待された側面がある。ところがここ1年、野党第1党なのに目立っていない。選択制夫婦別姓の活動と先の「厚生年金の流用」ぐらいしか表にでてきたイメージがない。

「両党とも責任のが伴う与党にはなりたくないのでは?」という悪口に信ぴょう性が増すかのような行動。

共産党は目立っていない。左寄りの思想をもつ共産党支持者でない人はれいわ新選組のほうに行くのではないか?そして右寄りの無党派層は参政党にいくかもしれないが、自民党に戻るのかはどう動くのかはまだ読めない。

自民党の支持基盤である農業関連の人達の動向もよくわからないところがある。

以上、6月中旬時点での私見を書きなぐってみた。また、気が向いたら修正するし、結果が出た後に、比較したいがために書いたので、まとまっていない記事になったが、そこはご勘弁いただきたい。

追記:選挙に行こう?それは、自分が”指示”する特定の政治家、政党に投票しろ?という意味かな?

つい先日、選挙に行こうという趣旨の芸能人のブログが物議をかもしたようである。ようだ、と書いたのは実際そのブログを読んでいないから。

ちなみに私は、芸能人とかテレビやSNSで、著名人に投票に行こうと呼びかけられたから行こうと思うならば、もう一度、民主主義について勉強してから判断したらどうだ?と思っている。見出しで”支持”ではなく、”指示”と書いたのは皮肉である。つまり、成人なら人に言われようが自分で判断すれば?ということ。

SNSで選挙に行こうといっている著名人の中には、昨年の兵庫県知事での結果を受けて、兵庫県有権者を否定していた人もいた。結局「選挙に行こう」ではなく「自分が支持する特定の政治家、政党に投票しろ」と思っている著名人が混じっている。だからこそ、自分で判断すればいい。

老若男女、金持ちも貧乏人も、職のありなしも、健康かどうかも、専門知識のあるかない人かも関係なく、1人につき1票という、その価値を知らないというのならば、または、自分の意志で行こうと思わないならば、行かなくてよいと思う。老人のほうが多いから、という理由も結構聞くが、では、例えばこの人は選挙権無しで、この人は選挙権2票分でとかいいだすなら、誰がそんなことを決めるのか?ということになる。為政者が決めたなら、もうそれは民主主義を放棄したに等しい。AIに決めてもらうのならば、もう人間はコンピューターの奴隷、ターミネーターの世界だ。

尚、選挙にいかない以上は、白紙委任するならば、その任期期間中は政治に対して文句をいう資格はないと私は思っている。議員の指示に奴隷のように「はい」と従えばよい。わからないならば、責任が持てないならば、周りに任せて、周りの指示に従えばよい。

「誰に投票すればいいかわからない」?今までの選挙で投票した候補が全員正解であったといえる有権者の誰もいない。正解だと思う人がいたら、ちょっと距離を置いたほうがいい。有権者は神ではない。候補者も国会議員も神ではない。人間は間違える。

誰だって間違えるのならば、国民全員の多数決で選ぶというのが民主主義だ。民主主義はベストな選択とはいえないが、これまでの専制政治よりはマシだ、といったのはイギリスの政治家だったと思う。

有権者が、その結果責任を、他の選挙区の有権者や、選挙権のない未成年からの批判も引きうける覚悟で投票する。その1票には重たい責任がある。だから、その責任を行きたくないなら行かなくてよい。

尚、私は20歳になってから、国政選挙は、病気の時とか、転居直後とかで投票できなかった時以外は投票に行ってきたと記憶している。たとえ20時で当選確実がでる選挙区にいた時でさえもだ。開票もされていない20時時点で、マスゴミから死に票といわれてもだ。ただ、それでも100%投票していないし、忘れていた時もあっただろうから、他の人に「投票しろ」という命令のようなことを言える資格は私にはないと思っている。

ただ国民が選ぶ民主主義の根幹である投票は、戦後の日本が高い代償のうえに手に入れた国民の権利。日本人の成人女性が投票権を獲得してまだ100年の歴史もないし、男性も戦争中に一時期なくなってしまった権利。放っておいてもなくならない権利ではない。その権利を絶やさないためにも、体が投票所まで動く以上は私は投票に行くつもりだ。

今度こそ、以上。

東京都議選後を受けての、続きの記事は下記のリンクにて。

kesera22.hatenablog.com