けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

素人ブログの記事にエビデンスを載せる必要性があるのか

さて今日は雇用関係助成金の記事を一気にアップした。今回の記事は丁寧語でなく、引用ものせてない、自分の考えを反映させた記事構成にした。コロナ禍で流行った「エビデンス」を載せない私見まみれの記事である。

これにはわけがある。ひとつはこのGW期間中に精神科医 樺沢紫苑氏の「言語化の魔力」という本を読んだのだが、その最後に「エビデンス」についての意見が載っていて、その考えに賛同したからである。著名な精神科医でも昨今の「エビデンス」重視に疑問を持っているようだ。下園壮太氏の「イライラ・怒りをとる技術」という本でも「エビデンス」に関する問題点を記載された箇所あった。

そんな実名の著名な作家達が「エビデンス」に疑問を呈す中で、素人匿名ブログが「エビデンス」を明記するする必要があるのかと思った。コロナ禍のテレビで「エビデンス」を連呼されすぎた影響を受けていると思う。素人ブログは素人なりの自分の意見を言えばいいのではないかと思う。

フェイクニュース」も同様だろう。勿論嘘はいけないし、間違った知識を広げることはダメだし、誹謗中傷もダメだが、素人のブログに「ニュース」というほどの重きをもつものでもあるまい。
そもそもエビデンスを明記した文章構成にしていたら、ただの専門家や公式資料の転記しただけのもので、学術書の劣化物でしかない。誹謗中傷をせず嘘を広げなければ、素人は私見を述べればいいのだと再認識した。
ちなみに、この3年間のコロナ対策はその「エビデンス」に基づいたものが殆どらしいが、果たして今検証すると全部あっているかどうかというと?になると嫌味を言っておく。
そして私も「エビデンス」という言葉が嫌いである。しかも学術研究者でもない私たちの職場でのこれまで”証拠””証明”といっていたものを、「エビデンス」という言葉で置き換える人を見ると、文字が長くなっとるやんかい!証拠とか証明とでええやんかい!と心の中で突っ込んでいる。

もうひとつは自分のブログのアクセス解析エビデンスなしの私見と最初に断っていた記事でも閲覧数はあった。素人ブログにそこまで求めてはいないとも読めるし、私見のほうが逆に公式にはない他人の意見として読み手に受けもあるのではないかと思った次第である。「それ、あなたの感想ですよね?」は誹謗中傷でない限りは大いに結構なのだと認識した。

ということで、このGWに令和4年度末に調べていた雇用関係助成金のことを一気に書き上げて記事にした。内容は間違っているかもしれないが、アウトプットすることは大事だと思った。記事にしようとすることでもう一度しっかりと勉強する気になったし、書き上げた後も誤りがないか随時確認している。そういった意味で勉強になる。あとは書き上げた時間。1年前の開設時と比較し飛躍的に入力速度が上がった。1年に250の記事を書いた経験は生きている。

5/13追記 尚、逆に雇用調整助成金の4月以降の記事は非公開にした。雇用調整助成金のコロナ特例は多くの人に影響を与えすぎた助成金で、聞くところによるとインターネットの情報をそのままに申請しトラブルになったケースがあるとのこと。4月以降は通常版に戻ったが申請できる、できないという影響がかなり大きい変更があったと認識して記事にした。間違って申請した場合は行政により修正、却下されるためそこまで影響はないと思うが、間違って申請しないとなると行政が修正することはなくそのまま終わってしまう。かといって過去の記事を正しいものにするほど時間もないし、そもそも専門家でもない私が何が正しいかまで言える立場ではない。しかもマスコミとかにもあまり報道されていないせいか検索上位にこの素人ブログが表示されてしまうようだ。
ということで雇用調整助成金の4月以降の記事については申請期限がくる前に非公開にした。確定版が出た以上、公開する必要性もないと思っている。