けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

家族が入院しました。

個人的な話ですが、家族が緊急入院して、バタバタでした。
仕事や家事、入院対応をしていると、ブログを書くという自分の時間を持てる余裕もありませんでした。休日がないような状態で精神的にも肉体的にも疲労がかなり溜まっており、時間があれば、少しでも寝たい、という一心でした。

先日手術が行われ、今後どうなるかは不透明ではありますが、ひとつの山場を越えたのでブログを久しぶりに書いています。

書くこと自体は好きですし、ストレス解消になるのです。
ですが、こういう趣味の時間というのは、自分や家族が健康でトラブルに巻き込まれていないからであってこそだと痛感しました。

まだ入院していて気は置けないのですが、倒れた原因が一応特定されてそれに対処する手術が実施されたことで、と少し心の余裕が生まれたかと思います。

ほったらかしの家事や仕事もありますが、スケジュールをがちがちにして根を詰めても心身が持たないので、そこは徐々にやっていこうかと思っています。

こういうことがあると、ストレスというものの正体が朧げに見えてきます。

まず、ストレスは、不確実な未来によって発生するということ。どうなるかわからず、最悪の事態も予想するという状況は精神的に疲労がたまります。しかし、医師でもない私が何か問題解決できることは入院した以上はもう何もありません。

あと、一発で物事を解決しようとすると、ストレスが溜まります。自分が過去数年にわたり病気に苦しんだことを思い出せば、一発で病気というのは治る物ではありません。いい時も悪い時もあります。いいことがあれば気分がいいですが、悪い時は落ち込みます。自身で経験しながらも、やはりどこかですぐに解決してほしいものです。ですが、その考えはストレスが溜まります。自分でコントロールできない未来をどうにかしようとしようとすること自体がストレスなのです。これは医師に任せるしかほかない、腹を据えることなのです。

また、呼び出しに備え、また最悪の事態に備え、仕事を切りのいい所まで終えようとすると焦りを生みます。それもまたストレスを生みます。自分がコントロールできない未来にあらかじめ備えようとすること自体が無理があるのです。だからストレスを発生させるのです。

予想外の出来事を、降ってわいたトラブルをすべて一瞬で解決するなんてことは世の中に滅多にありません。自分がその時できる最善のことをやるしかありません。

後、この入院とは別に家族が体調不良で近所の内科にかかりました。その時に対応した医師の答えは一言のみ。薬を出して診察終了。翌日さらに体調が悪化し、翌日も医師にかかりましたが点滴のみで何の説明も対処もしないため、別の病院にかかることにしました。その結果、別の医師から現状の説明と今後の対処法の説明がありました。薬を配合されたわけではありません。ですが、説明により、自分達で対処できる病状であることがわかったことからそれを実践、徐々に快方に向かいました。

最初の医師からしたら対処法は医療行為を行う必要もないほど簡単で、説明する必要もないことなのかもしれません。ですが、患者は素人です。その場ですぐに解決しない場合はどうすればよいか、アドバイスを求めています。医師自身が理解していてそれが正しいとしても、なにも説明しないというのはいかがなのか?自分の普段の行いからも学習材料となる事態でした。

説明することの重要性は、ちょっと前の記事にも書いたのですが、まさにそのとおりの結果になりました。100%の解決策が今ないからといって、説明しないことは聞き手の不安を増長するだけです。医療がどれだけデジタル化したとしても、説明をおろそかにする人間が責任者ならばなんの意味がない、ということを身をっもって知ることができました。