けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

実際に直接会って説明することは、納得できなくても不安の軽減にはつながる

政治家、社長、芸能人が説明しても「納得できない」「説明責任を果たしていない」という評価がいつもテレビでは報道されている。

正直いって、なんらかの問題が発生した後の記者会見や国会説明などが終った後のアンケートで「納得できた」「説明責任が果たされた」という結果が大多数を占めるというケースがこの世にあるのだろうか、と思う。おそらくない。

どうすれば「納得できる」か?

自分の求めている答え、つまり反対意見に対して100%満額回答する場合だろう。自分が実施することに反対していた場合、自分の意見に沿って実施することを止めるしか納得はできないだろう。100%の「安全」を自分が求めていた場合は「納得」できることはまずないだろう。100%安全で失敗しないことなどこの世にないのだから。科学的な根拠というのもなかなか難しいと思う。科学的な根拠といわれても科学者ではない限り、間違っているとは言わないが、納得まではできないだろう。

どうすれば「説明責任を果たした」といえるか?

おそらく、説明者側が自分が100%悪かったですと謝罪し、すべての責任を取ることだろう。このすべての責任は辞任だけでは済まされず、相手側への100%の保証まで含まれている。正直、これは刑事ドラマのように、犯人がすべて動機や手口を全て白状しない限りは無理である。要はドラマという創作の世界でしか説明責任は果たされない。

というわけで「説明しても」解決する可能性は極端に少ない。

だったら、説明する必要がないのかというとそうではない。納得できなくても、説明責任は果たされていなくても、これ以上の不安の増大を止めることはできる。説明がない場合、不安、不信、怒りは増大していく一方である。ある程度の客観的な事実や、真摯な対応があれば、納得はできないが不安等はこれ以上増大しない。不安が増大しない場合は、心理的に時間が経てば落ち着いてくる。

「納得できないが、その結果は(しぶしぶだが)受け入れる」という場合はある。だから、相手が「納得できなくても」説明はする必要があるのだ。

ただ、だからといって先に「不安の解消」と言ってしまっては意味がない。不安の解消は聞き手側が判断するわけであって説明者側が先に言ってしまっては、聞き手側の心理に問題がある、という風に聞こえて反発を招くからだ。

さてなんでこんな話をしたかというと、先週から家族が入院しているのだが、今回医師と直接会って話ができ、入院している家族と面会ができたからである。その医師からは「現時点でわからない」という答えも多かった。「今はわからない」という答えは、納得はできなくても(そりゃわからない、では納得はできない)世の中わからないことはあるし、専門家の医師がわからない以上、素人の自分がこれ以上先々のことを悪く考えてもどうしようもできない、とは思える。人間は神ではないのだから。

そして、その家族は2年前にも同じような病気で入院していたのだが、当時コロナ禍の真っただ中で、入院病棟に患者以外が入ることは禁止されていた。面会不可だし、医師や看護師とも接触ができなかった。その時、半月以上も入院している家族の顔を見ることができなかった。携帯電話では患者から電話をかけることはでき、その家族経由で医師の説明も聞いたのだが、不安感はおさまらなかった。だからインターネットで病名だけを検索した。検索sるとインターネットでは「最悪」のケースが上位に表示されるので、「最悪」のケースを想定していた。だが、結果としては入院した家族は無事退院、迎えにいったところ入院前の病気になる前よりも逆に健康になっていた。いい空気と健康にいい食事と十分な睡眠で健康を快復していた。入院した本人は「何、そんなに心配していたの(笑)」と不思議がっていた。

結局、言いたいことは直接顔を見て話すという行為は余計な不安を抑える効果があるということだ。入院している以上、誰にでも「最悪」のケースは0%ではない。だから、どんなに説明されても「絶対大丈夫=納得できる、説明が十分」にはならないが、直接顔を見て会って自分の目と耳で話をきくことはこれ以上の負の感情を抑える効果があるということを言いたかったのである。

ちなみに、この話はマイナ保険証の政治家たちの話のことは全く関係していない。
やれ「法律で決まっているから」「失敗の割合は0.00…4%」というのは説明になっていない。論点のすり替えで全くの論外。そもそも、自分たちで法律を作って、他に強制して、失敗したら、その強制させた現場に責任を擦り付けてた結果なので、やれ「法律で決まっている」「失敗率は低い」などと話をしても意味がない。怒りだけをふくらますだけ。だから無関係である。