巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

将来の孤独の不安に苦しむのは、今、やることがないか、暇だから

孤独について、ふと思いついたことを記録してみる。

私は、最近早朝になって将来の孤独への恐怖で目が覚めることが多かった。なぜ早朝になってなのかは理由については知らないが、ともかくそういう意識が頭の中にあることは事実だ。

だが、ここしばらくの間、あまり将来の孤独への恐怖や不安を感じたことがない。厳密にいうと現在は孤独ではないので、あくまで未来への恐怖を感じていないといった方が正しいかもしれない。

それはなぜだろうと思ったところ、今3つ思いついたことがある。

1つは、GW期間中に、外部モニターやらなんやらの器具を取り揃えたり、病院にいったりとやることが多かったこと。つまり、今現在のやることに集中していて、将来のことに頭が言っていないということだ。意識が今に集中することで将来に対する不安や恐怖は薄れるという。

2つ目は、ちょっと前にも書いたが、他人を貶めたりする、とある「まとめサイト」を見るのをやめたことだ。他人と自分を比較して、他人か自分を蔑んだりすること、弱者男性やチー牛は孤独死するとか、そんな記事を見ても精神上悪いだけだ。別にその記事を見ようが見まいが自分の将来になんの影響もないし、実際、孤独になるかどうかという事実はその記事を見ようが見まいが変わらない。その事実をもって独身の人間が落ち込んでいても、なにも将来は変わらない。孤独を避けるのが最優先事項で行動しても他人は動かない。だとしたら、そんな記事を読むこと自体無意味どころか悪影響でしかない。その読む時間、落ち込む時間があったら、今他のことをすればよい。実際みるのをやめてしばらくたつが、実生活でなんの不利益も生じていない。ちなみに、同様のSNSとかもすべてブロックして見えないようにしている、いやむしろ、SNSもミドルメディアも趣味とか仕事以外の情報以外は見ないほうが実生活が充実すると思う。

どこかの某市長が「政治のエンタメ化」を目指すと言っていたが、彼のいうエンタメは、市長時代の振る舞いからして他人を否定し、誹謗中傷することでそしてその行為が注目を浴びることだろう。迷惑系ユーチューバーと大差ないがそれが「エンタメ」なのか?だが、この「まとめサイト」もSNSとかも同様に、他人の状況も経緯も敬意も説明も無視して、他人を否定し、他人と比較し、他人とのマウント合戦を仕向けることを「エンタメ」と扱っている。それは他人を楽しませるという意味の「エンタメ」ではなくて、侮辱行為をイジると評した石橋〇明と同じ。

というわけで、こういった情報にふれないことが、無駄に将来を悲観する時間がなくなることを実感している。

最後の3つ目。それは子孫を残さないことは、どれだけ財産や地位を気づいても「弱者男性」であるという意見に振れたことだ。もしそうならば、例えば安倍元首相は歴代最長の総理大臣として確固たる地位と名誉を気づいたが、子宝には恵まれなかったと聞いている。その安倍元首相を「弱者男性」と扱った人はいるだろうか?彼と敵対した人はいても、彼を弱者と扱う人は殆どいないはずだ。だったら、伴侶を持たない人は弱者男性か?これも世の中にはシングルファザーやシングルマザーが沢山いらっしゃるが、彼ら彼女らを「弱者」と扱うだろうか?貧困で苦しんでいるかもしれないが、全員「弱者」という人はいないだろう。

なにがいいたいかというと、とどのつまり他人を「弱者」とか言う人間は、なんらかの理屈をつけて他人を「弱者」というレッテルを張りたいだけにすぎない。他人を否定する、見下す理由を作っているだけにすぎないことに気づいた。なにかそういう相手を否定することを「論破」とかいって喜んでいる輩がいるらしいが、それはもともとは自分を否定する人を否定し返したところが称賛を浴びたはずで、見知らぬ他人を否定することは「論破」でもなんでもない。ただ、こういった他人を否定することが耳目を集めるのも人間の本能らしい。人間は集団でないと生き残れない。生き残るためには、自分が排除されないように自分を否定する意見に危機感を持ってアンテナをはり、自分の代わりに誰かが排除される意見を好む本能があるらしい。だから、自分であれ他人であれ、だれかを否定する意見に自然と意識がいってしまうそうだ。

自分の子孫を残すことは生物としての本能であり、それを否定するつもりはない。女性にとって、強者である男性の子孫を残すほうが今後も子孫を残す確率は増えるのだから、強者である男性との間で子孫を残そうとする本能も否定しない。ただ、その事実をもって、たかだか数人の心底どうでもいい女性にどういわれようと、それで自分の人生を、自分の将来を否定する必要はない。よき伴侶に恵まれることは幸運だろうが、そうならなかったとしても、知らない他人から独身であることをもって否定されるいわれもなければ、それを真に受ける必要もない。そういう人間はえてして、仮に伴侶と子に恵まれても、その子がやれ「チー牛」の容姿だ、「Fラン大卒」とかなにかを見つけて否定するに違いない。

自分の人生は自分が選べばいい。誰もが気づいているのに、よく揺れ動くのは、こういった相手を自分より下に見ようとする人間と接するからだ。そして、本能的にそういった意見に常時、耳を傾けないようにすることは難しい。だから、そういう人間と接しないことが一番だ。そのための今一番の方法は、暇な時や弱っている時に、そういう意見のあるインターネットを見ないことだ。いまテレビは、たとえば久本〇美のように独身の人に向かって「まだ結婚しないの~、彼女いないの~、根暗な趣味~、かわいそ~」とかいって、相手を蔑む行為を”イジリ”といって笑いにはしない。仕事場でもそんなこといったらハラスメントだ。だから今はインターネットが一番の諸悪の根源だ。それを見なければいい。またはそんな意見が目に入ってきたら、迷わず即座にブロックすればいい。見る時間、反論する時間が無駄だ。

以上3点より見出ですことは、結局のところ、将来の孤独の不安というのは、今現在が暇であり、何も行動しない、することがないためだ。かつて、元旦に芸能人のめでたいニュースを見てへこむと書いたことがあるが、あれは元旦が朝から酒を飲んだ後何もすることがなくて暇だからだ。何も行動に移せないからだ。そんな意見をみるぐらいならば、なにか今自分がしたいことをすればよいと思う。

そういえば、先ほどNHKの番組「72H」で推し活をしている人達を放送していた。正直、”推し”は、昔の”オタク””ファン”という言葉をいいかえただけでしょ、と思っていたが、見ていると、周りとの比較や、将来への不安や、現在の苦しみの中、世間体を気にして悶々とすごすよりも、今なんであれ楽しいと思う時間を過ごすことのほうが素晴らしいことだと思った次第である。まあ、正直、キャラクターグッズを集める行為をしようと私は思ったことがないが、何が楽しいかは人それぞれであって、なにに楽しみを見出すかは人それぞれでよくて、否定する必要は全くないと思っている。