最近、職場の上司や同僚の言動にイライラすることがまた増えていた。
今の職場に慣れてきて周りのことを気にする余裕がでてきた、というのもあるが、どうも他人の言動の誤りがどうも目につくのである。
「あなたの言っていることは間違っているよ」と言いたい。その欲求を、その言葉を今飲み込んでいるところである。自分に話しかけているわけでもないのに、自分を否定しているわけではないのに、ただ聞こえてくる、見えているものをわざわざ口をはさむ必要はないはずなのに。
相手のことを否定したくなるのはなぜか?
今行きついた理由はこうだ。
「相手の誤りを指摘することで、自分を今より高く評価してもらいたいから」
つまるところ、承認欲求である。
自分の方が優れている、頭がいい、と認めてもらいたい。自分のことを優れた人間として扱っほしい。誰より先にお伺いを立ててほしい。その手段として、相手を否定したいのではないか?そう今分析している。
さて、インフルエンサーと呼ばれている人、自称評論家、専門家でなんでもかんでも口をだしている人は、金稼ぎという面もあるが、自分は優れている、自分に聞いてこい、と思っているからではないか。つまりは承認欲求。
彼らはSNSの閲覧数を稼ぐ手段でわざと誰かを何かを否定していると思っていたが、ただ単に誰かの何かを否定することで相対的に自分を優秀に見せたい、賢く見せたいだけなのではないか。つまりは承認欲求。
私は彼らの行為をひどく嫌悪してきた。しかし、最近の自分はどうだ?彼らと同じようにどこかで相手を否定したがっている。そこに、自分の方が優れている、という過剰意識が潜んでいる。
当初は、自分を否定してくる人にだけ、舐められないように対抗するつもりだったが、最近はおかしい。
普段の生活では、自分を否定することを言われない限り全くそんな気は起こらない。でもなぜか職場ではそう思う。
つまり私は仕事において、自分の承認欲求を満たしたいという欲求が高いということになる。
ではその承認欲求をおさえながら仕事をしていてもイライラするだけだ。なんのためにここで時間を費やしているのかと思う。
やりたいことをやればいいのかとも思う。困難な事柄にチャレンジすることがよいのかとも思う。しかし、それすらも誰かに認めてもらいたいという承認欲求ではないかと思ってしまう。
そんな折、同じ会社の非正規の同僚が、9月末で任期満了で退職した。とても能力のある人であった。しかし、担当していた仕事が終了したタイミングと契約社員としての任期がちょうど切れるタイミングと重なったため、真っ先に職を奪われた。別に他の仕事でもやれる人物だと思うが、ちょうど人を求める仕事がこのタイミングに発生しなかった。
仕事なんてそんなもんだ。正社員だって異動、転勤する。どれだけ成果をあげようとも状況が変われば成果に関係なく職を失う。他人からの承認欲求で生きていたら、かなり落ち込むだろう。
自己を満たすことをベースにしていたら、その時は落ち込んでも、次のステージにチャレンジするだけだと開き直れるだろう。
やはり他者からの承認欲求をメインに仕事をしていてはダメなのだ。失望されること、失敗することを恐れ、評価されることを求め、その結果、仕事中不安と怒りの中で過ごすだけなのだ。
では自分は何をしたら他人がどう評価しようとも自分は満たされるのか?
自分が満たされるものを日々やっていくしかないだろう。興味が引かれるものを探しながら。