自己啓発本については何度目の記事になるだろう。繰り返しになるが今回は短く書くようにする。
「自己啓発本を読んで気分が良くなっても成功しない」という意見について。
まず、そもそも自己啓発本を読んで、気分が良くなって何が悪いのか?
それは本人の勝手。自分の時間をどう使おうが勝手。大きなお世話である。
これは自己啓発本に限らず他のジャンルでも同様。
- 「異世界で無双する本」「追放系の本」はさえない現実からの逃避
- 「マンガ」は大の大人が読むものではない
- 「ライトノベル」は陰キャが読むもの
- 「小説」は推理小説ばかり。犯人を追ってなんの役に立つのか
- 「ビジネス書」を読んでも実際のビジネスには役立たない
と他のジャンルでも同様に否定する。むしろ読書を否定する。本人が読んで楽しいならばそれを他人が評価するものではない。ましてや他人を否定する人間は、自分が何様だと思っているのか。余暇は自分のために使うもの。他人の顔色を見て本を読んでどうするのか?安易な儲け話が書いてある投資本、起業本を読んでそのまま実践して、現実でお金を失うよりよっぽどましだ。
「成功しない」について。そもそも成功するとは何か?金持ちになることか?モテることか?それが「成功」なのか?高級品を食べること、とセックスを多くの相手とできるのが成功なのか?猿なのか?
そもそも金持ちになる、モテるようになることを確約する本のことを自己啓発本というジャンルなのか?
最近、行動することの重要性について書いたが、当然だが行動だけでは意味がない。行動しなけば意味がないが、知識や経験を活かさないのも意味がない。自分が足りないものは他から吸収しなければ意味がない。失敗した理由を調べもせず行動だけしたら、同じような失敗を重ねるだけになる。そういう人間は学習能力がない猿。
つまり猿になることが成功するという定義なのか?
行動と学習はセットだ。最も短い時間で知識を習得するには他人や過去から学ぶことだ。
自己啓発本というジャンルに入る本すべてが良い本というつもりは毛頭ない。ただ自己啓発本を読んでも無意味ということもない。そもそも自己啓発本のジャンルの定義があいまいすぎるのに、0か100かの極論を言っているヤツは自分は達観していると自分で言っているようなものだ。胡散臭い。
「自己啓発本を読んでも成功しない」といっている人間に限って、教養も知識もなくただ運ともって生まれた才能、周りの人間に恵まれたのみで成功しただけなのに、その幸運を自覚できない”哀れな人間”の発言でしかない。
「自己啓発本を読んだ”だけ”で終わっては、その後の人生に影響を殆ど及ぼさない」というのならば話は別だが、基本的に人の話は記憶にはほとんど残らない。それでいいではないか。記憶に残ってしまうのは、構造上、こういう他人を否定した発言ばかりなのだから、一時でも休息を得て、一部でも役立てば。
まあ顔を出して発言しているひとは、メディア受けするために、あえて極論を言っているのだろうから、こんな目くじら立てて怒らないくてもよいだろう。ひきづらなくてもよいだろう。だが、一回は吐き出しておく。
評論家はメディア以外では何の役にも立たない、他人の妨害をするだけの存在なのだから。