このブログは何度も、「怒り」について書いた。
そして「怒り」について、私はここ数年にわたり何冊も本を読んだ。
本だと、「怒ることはよくないことだ」という結論が多い。曰く、「怒る」ことは組織の雰囲気を壊し、第三者を怯えさせ、自己に不利益をもたらし、解決には至らないから。そして「怒ることは他者中心で生きているから、自己中心で生きれば怒ることはない」「他者のことなど放っておけばいい」という結論を何度もみた。
私はこの結論が腑に落ちない。納得できない。
そんな時に「嫌い」についての本を見つけて読んでみた。これが結構当たりであった。その理由はと言うと…
そもそも対象となる人間が、行為が、「嫌い」だから怒るのだ。その「嫌い」を正そうとしようとするから、排除しようとするから怒るのだ。
怒るという行為の背景には、「嫌い」という感情を発生させたくない、発生させてはいけない、「嫌い」という感情を打ち消したい、打ち消さないといけない、つまり「嫌い」という感情が良くないことだと思っているから、怒るという行為に至るのだ。
その考え方を変えてみる。
「怒る」という行為の前提にある「嫌い」という感情を否定するのを辞める。
「嫌い」という感情をそのまま認める。
「嫌い」という感情をそのまま吐き出す。
そもそも「嫌い」という感情を社会生活の中で発生させてはいけない、発声しないようにしないいけないと思うこと自体が間違っていたのだ。
「嫌い」と嫌いな相手に直接言う必要はない。「嫌い」と思っておいて、その感情がどうなっていくか見守っておくのがいい。どうして「嫌い」なのか客観的に分析するのもアリだ。
表面上では仲良くしようと、その感情を抑圧しようとするから感情が爆発するのだ。「怒ってはダメだ」というのは、自分の心を壊すことなのだ。
そういえば、世の中の成功者は「嫌い」な人間というのを、「嫌い」な考え方を、「嫌いな」行動をはっきりと明言している人が結構いることに気づく。
彼ら彼女らは「嫌い」を公言する。しかし、一方で「好き」も公言する。そして「好き」なことに時間を費やす。「嫌い」を否定しない。「嫌い」に執着する時間が勿体ない。それが成功のカギとなっているのではないか?
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「嫌い」と公言することが大人げない、聞いていて不快かもしれない。ただその感情の抑圧はダメだ。感情を抑圧するから、心身が不調になる。いいように使われる。
「嫌い」は「嫌い」のままでいい。そこから「嫌い」なものをむりやり排除するために時間や頭を使うから、その考えが頭から逆に離れない。
「嫌い」という感情をもつことは誹謗中傷ではない。わざわざSNSで「嫌い」と広める必要がないだけだ。
「嫌い」という感情を「間違っている人間、行為を正し、排除する」と正当化しようとするから、感情が暴走し、問題をあらぬ方法にもっていってしまうのだ。
最後に繰り返しになるが結論。
「嫌い」は「嫌い」のままでいい。
「嫌い」なことに時間を費やさなくてもいい。
「嫌い」を周りに話して、同情してもらおうとしなくてよい。その感情を他人にも認めてもらうために「相手のここが悪くて問題だ」と理屈をこねなくてもよい。
「嫌い」を「好き」に変える必要はない。
「嫌い」を消すために「嫌い」な対象の存在を排除しようとしなくていい。