私は他人から否定されること、他人から非難されること、他人から間違いを指摘されることに弱い。怖い。
- 怖いから、間違えをしないよう他人に依存する。
- 怖いから、間違いを見て見ぬふりをしようとする。
- 怖いから、時に怒り、反発する。怖さを他人に悟られないようにするために。
- 怖いから、罪悪感に震える。
- 怖いから、時に眠れない夜をすごす。
- 怖いから、将来も同様のことが怒ることを予想して不安になる。
- 怖いから、それに対応すべく多くの本を読んで、その怖さを克服しようとする。
しかしそれは一時しのぎでしかないので、同じような本を何冊も買う羽目になる。 - 怖いから、早く話を終わらせようと焦って、さらに失敗する。
- 怖いからこそ、何度も心を落ち着かせようとするが、そのことを忘れて震える。
- 怖いからこそ、間違えをおかしそうな難しいこと、新しいことにチャレンジする。
- 怖いからこそ、逃げずにチャレンジする。
逃げた先にはさらに怖いことが待っていることを知っているからだ。
逃げたら、その怖さが染みついて残ってしまうからだ。 - 怖いからこそ、その事実を認める。
無理に怖さを克服しようとすればするほど怖さを思い出すからだ。
怖くない、怖くないといえばいうほど怖いからだ。
ここ何年もこの繰り返しである。自分でもわかっている。自分の人生はこの間違えや、他人からの避難からの戦いであると。自分は強くない。悟れない。
40歳は不惑というが、40歳を超えてさらに迷うようになった。自分が決める立場の年齢になったからだ。決めるということは間違える、否定される、非難されることと表裏一体だからだ。
そんな自分を否定しない。自分を肯定しない。ただそんな自分を認識する。自分は怖いのだなと認める。無理に乗り越えようとしない。怖いと認識したまま、決断する。
腹を括る、というのは、怖いことを認めてこそ、他人の非難から逃げようとしないことだと思うからだ。