けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

あなたが消えて喜ぶ者に対して、丁寧な対応をとる必要などない。

言葉使いが丁寧な方は品があるし、そちらの方がいいに決まっている。礼節を重んじる人間に対しては自分も同じように対応したい。

だが、たまになら、嫌われてもいい相手なら、反社会勢力以外なら、たまにキツイ言い方をした方がいい時があると中年になって気づいた。

というのも、人を見下すような振る舞いをする相手なら「あいつはキレる」と思わせておいた方がいい時があるからである。

わざと脅しをかけて、いいがかりをつけるような形で相手からの譲歩を引き出すことを交渉術と思っているような相手ならば、感情を前面にだした方がいい場合もある。

それはなぜか?そういう相手は丁寧に接しても、相手は丁寧な対応とはとらえず、見下していい相手、自分の無理な意見が通る相手と認識するからである。簡潔に言うと、舐めていい相手かどうか見定めているわけである。だから、そういう相手には、キツイ言葉で言い返してみると時に思わぬ反応があったりする。舐めた対応が変わってくる場合がある。

たまにこちらの顔色を窺ってくるような素振りにかわる輩もいるから笑える。キツイ言葉で相手が警戒するからである。要するに自分の弱さを隠すために攻撃されないために攻撃しているのであって、それが通用しないとなると卑屈になるわけである。その姿は実に滑稽だし、そういうレベルの相手に気を使って損をしたと認識できるはずである。

例えば土地の境界線を越えて行っても何も言わなければ、その境界線を越えることに相手はそのうち躊躇しなくなる。そして境界線を越えることが当たり前になって、ついには境界線を変えてしまう輩もいる。世の中にはそういう人間がどこにいっても必ずいる。相手の誤りを指摘しないといけない。そういう人間とは戦わなければならない。相手の顔色をうかがうようなことばかりしていると自分の土地はどんどんなくなってしまう。

勿論、誹謗中傷や差別に繋がるような発言をしてはいけないし、それを推奨しているわけではない。相手は選ぶ必要がある。舐めた人間限定だし、世の中には避けたほうがいい相手もいる。またキツイ言葉を言質にされて相手のエスカレートした要求をのまざるを得ない事態になる時もある。だから感情に任せて我を忘れてはいけないし、その行動はリスクがあることは覚悟しないといけない。しかし、それは経験してみないとその超えてはいけない線が引けない。リスクは一定程度は背負わないと自分がこの世界から消されてしまう。

戦わなければ、リスクをとらなければ、行動しなければ、相手の言いなりになっても何も得られない。争う必要はない。やられたらやり返す相手だと思わせなければならない。

会社で高い役職に就いている人間の中には品性が伴わない人間がいる。それは他人を蹴落として、他人を陥れてその地位に就いたからだ。高いスキルやマネジメント能力があったとしたら逆に気を付けなければいけない。足を引っ張られ、排除されるからである。

また世の中にはそんなキツイ言い方をしないで済むレベルに達している人もいるが、それはそんな話仕方をせずとも、これまでの成果と振る舞いで戦わずして相手に畏れをいただかせるレベルに達しているだけだ。譲歩しているわけではない。そのレベルの人は一握りだ。

お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな。