巧遅は拙速に如かず

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

年配者を中途採用する際に最優先すべきなのは「これまでの経験」でなく「柔軟さ」ではないか

最近「できる上司は部下に任せて、結果責任を引き受ける」ということを書いてある本に出会った。

私はこの意見に賛同しない。勿論、責任をとらない、または箸の上げ下げまで口をだす上司は問題であるが、組織の中には「できない部下」、特に「管理職ではない、年配者もしくは経験年数が長い人で、所謂頭が固く、自分の非を認めない人間」メンバーがいたりする。その人物が誤った行動をしている時に、それを正せない、任せるという名の放置をする上司だと、その組織の構成メンバーのモチベーションが下がり、連携率が下がり、その人物がいることにより組織の生産性がダウンするからである。要するにいない方がまし、というヤツのことである。

暴走し、誤った言動をしている部下は指導し、軌道修正させる。本人の名誉のために間違いは1対1で、という考えもあるらしいが、その1対1での面談で終わらせて周りになんの説明もしない上司もいる。悪影響をもたらしていた場合は、周囲の人間にも今後正したことを示す上司でないといけないと思う。周りの労働者になんの説明もなければ、その者が退職か異動しない限りは下がったモチベーションや連携率はもとに戻らない。最悪、問題児だけ組織に残り、他の優秀な人間が退職する。まあ、組織なんてなにもしなければ、優秀な人が去り、できない奴が居座るものだが。

というわけで私は、今回の記事のタイトル通り、年配者の中途採用をする際の基準は「柔軟さ」であると思う。この柔軟さ、というのはこれまでいた会社のルールや自分がやってきたことが今いる会社では通用しない場合に、自分の言動を軌道修正できる能力である。できれば、目端が利いて、自ら状況判断できる人が一番望ましいが、状況判断は個人の主観に頼りすぎな面もあるので、組織の長として上司が軌道修正するべきだし、その上司の話を聞いて自分の言動を軌道修正できる「柔軟さ」が求められる。

中途採用の場合「専門性」「経験」「マネジメント能力」が求められるが、もう管理職につくことを期待して採用していない人の場合には、これらはそれほど高いレベルまで求める必要がない。基本中の基本のようなことを質問するレベル、つまり未経験だとキツイが、これは中高齢者に限らず、1年以上働いた経験のある若者でも同じことがいえる。

要するに新しい知識を主体的に得ようとする意識が必要で、経験というのも、新しいことを覚えるのに最短のルートを通ることができる指針して、かつて何かを成し遂げたという「経験」が重要。前職の経験(やり方)に固執し、その経験(やり方)がどこの組織でも正しいと思って自分は「専門性、経験がある」と解釈し、そのやり方を周りの人間にも押し付けることを「マネジメント能力がある」と勘違いしている人間は、本当に職場のガンだ。

私のブログの記事で何度か労働基準法社会保険のルールについて記事にしているが、これは、定年後にわが社に再就職した頭の固いジジイが演説していたことを耳にして、それをネタにしているだけだ。

はっきり言おう。定年した後のジジイの法律の理解は、法改正があったことも含めて結構間違っていると私は思っている。自分のかつていた会社がやっていたことが、法律で定められたことに則ったルールであると誤解している。昔の会社はサービス残業を中心に労働基準法を多少しても、お咎めしない、緩やかな状態であったと記憶しているが、今は違うし、その時の状況を正しいと誤認しているようでは問題だ。

過去に有給休暇の買取の記事を書いたが、まさにそれが具体例である。過去自分は有給を買い取ってくれた会社にいたから、それが正しいと思っている。さらに他人にそれを押し付けようとする。かなり問題だ。

4月頃、このジジイが退職金について職場の中心で大きい声で講釈していた。知識が古いし、自分のいた会社の退職金制度がどこでも当たり前だと思っている。1時間以上演説していたが、上司が止めなかったが、あまりの五月蠅さと間違えた持論を述べるので、私がやめさせた。5月になっても同じようなことをしているので、今度は怒鳴って強制的に辞めさせた。それ以来、このジジイとは口もきいていない。このジジイの話を聞く価値がないし、連携する価値もないからだ。

但し、私はこのジジイよりもむしろ上司の方に腹を立てている。ジジイは要するにかつていた自社ルールを述べているにすぎず、ジジイは「転職時に求められた自分の経験」を活かすべく、自社ルールを周りに伝授している、ともいえるからだ。だから、このジジイを軌道修正させるのが上司の役目だし、その役目を放棄している上司の方が問題なのだ。そして、そんなジジイを採用した採用担当者も問題だ。本当に知名度のある企業で〇〇部長をしていた、という経歴で採用するのだから、見る目がないとしか言いようがない。

もしくはそのジジイのやっていることを間違っていると思っている私の考えを「間違っている」と正すべきである。組織内の考えの対立をそのまま放置していることも部署長の責任だ。

その上司が、最初に書いた通り「任せる」という名の放置をしていることに腹を立てている。だが、今時の上司は注意することも「パワハラ加害者」のリスクを背負って行わなければならないらしい。「パワハラ」に怯えすぎだが、今や首長も「パワハラ」で辞職する時代。上司も指導して退職に追い込まれたくないだろうし、周りよりも自己の防衛をしないと生活がかかっている。

要するに今の職場にいても、問題は解決しない。上司も注意しない、ジジイも自己ルールに固執する、それを正すため”怒る”ことが、パワハラ=悪と扱われる以上、”怒ったことでクビになってもいいや”と思う人間以外は、我慢してその職場で耐えるしかなかろう。

そういう会社に私は嫌気がさしている。いや、もうこのブログで何度も書いているが、そういう会社であることはわかっていながら、やれ「コロナが流行っているから」とか「人間ドックの結果待ち」とかの理由をつけて居残っている自分が一番腹立たしい。

だが、怒りで退職した後に、転職先を探しても、採用されないのは前回の転職で身に染みてよくわかった。怒りの感情が収まらず、冷静さを欠いている人を雇う会社はいない。

だからこそ、自分はどうあるべきか考えている。周りが気に食わないから辞めるのか、我慢している自分を打破したいから辞めるのか?いい加減期限を決めたほうがいいと思っていて、なんとか今年度末までにはなんとか現状を打破すべく、秋から行動に移したいと思っている。