けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

「他責思考の人」は「働かない人」よりたちが悪い

私は「他責思考」というワードが嫌いでした。というのも転職面接では「他責思考」の人間を採用しない、といわれているから。

ですが、転職において前職の退職理由はこの「他責」に該当するだろうと思っています。退職理由の大半は「人間関係」「低賃金」「長時間労働」「パワハラ」「リストラ」。つまり「現在の労働環境で働き続ければ近いうちに心身の健康が害される」か「この給料では生活できない」ため、生き残るために退職が推奨される場合も含まれます。

しかし、この退職理由をそのまま伝えると面接官は以下のとおり考えるそうです。

「そもそもあなたが選んで入社した会社。人間関係はどこでもつきまとう問題。低賃金はあなたの努力不足。長時間労働はあなたの業務効率が悪いから。我慢することができない人間。パワハラ、セクハラはその職場で上司や人事に訴えて解決すべき事案。」

そして言われるのです。あなたは責任を他人に押し付ける「他責」人間であると。

では「自分が悪かったんです…。」という「自責思考」で退職理由を言えばいいかという話になりますが、自分が悪かったかのような退職理由でも以下のとおり反論されます。

「あなたは会社組織を自分だけの力でどうにかできると思っているの?」。

要するに、「他責思考」で退職理由を聞かれて答えたら大抵の人は行き詰ります。本当のことを言ってはダメなのです。だとしたら「ステップアップ」「キャリアアップ」のどちらかぐらいしか転職理由は言えないわけです。まあ、転職面接の場ではそう答えるのがマナーと言われれば、まあ、そういう会社なのね、としか言えませんが。

というわけで「他責思考」という言葉は私は大嫌いでした。

ところが「他責思考」の塊のような人間が異動で実際自分の職場にきて、この考えがかわりました。以下実話です。(わかりやすくするため脚色しています。)

・「仕事を教えてもらえない。パワハラだ。」

マニュアルや引継ぎ資料すら読まないため、まずはマニュアル等を読むよう伝えた時の返事。書物を読むのが面倒なので、口頭で一から十まで全部説明して理解できるまで教えてほしいらしい。学校、いや幼稚園、保育園に行けよ。

・「異動の内示から異動日前日まで前の仕事をさせられて新しい仕事の準備の時間がなかった。だから今の仕事ができないのは前の職場のせい。」

異動日前日まで前の部署の人間なのだから前の部署の仕事をすること自体何もおかしくない。準備できてない理由を前の職場のせいにしている。

・「仕事がわからないのは、上司や先輩の教え方が悪いからだ。自分は悪くない。」

教えてもらった内容が理解できないとき。理解できないなら自分で勉強すればいい。

・「自分だけ扱いが異なる。パワハラだ。」

わかるまで仕事を制限した時。

・「指示どおりにやっただけ。自分は悪くない。ミスをしたのは指示した人間が原因。自分を責めるのはパワハラだ。」

ミスをしたとき。

「自分だけ別の簡単な仕事を与えて本来の仕事をさせない。パワハラだ。」

それならばと、仕事ができるようになるまで別の簡単な仕事から始めさせた時


…最終的には「パワハラ」を理由に職場を去っていきました。
ここまで「他責思考」の人間に私は初めて出会ったかもしれません。思うのは自由ですし、ひとつやふたつはだれしも思うことだけれども、ここまで「人のせい」にする人間がいるのか、これが「他責思考」か…と。

上司や同僚は、自分の時間を犠牲にして、神経を使ってこの扱い。叱っていなくてもパワハラ扱い、要するに自分の思い通りにいかないことは他人のせい。=パワハラ

このような人間ならば、いっそのこと他人の時間を邪魔しない分、余計な神経を使わせない分「仕事をしないおじさん」の方がまし。

「他責思考の人間」を採用してはいけない、と転職エージェントや採用担当者、コンサルタントが言っている意味が、実際にそういう人間と仕事をしてよくわかりました。こういう人間が組織にいる他の労働者の生産性やチームワーク、指導体制が崩壊し、モチベーションが下がります。これなら欠員の方がまだましで、中小、零細企業で数人しかいない職場にこういう人間が正社員で入社してきたら、会社を潰されかねません…。(本人に自覚がないので退職しない。)

求職側としてはこういう組織を破壊しかねない「他責思考」の人間と誤解されないような面接対策が必要ということです。ちなみに「人柄重視」という採用方針は、このような「他責思考」人間は採用しない、という意味も含まれているのでしょう。

尚、念押ししますが、経験の浅い人や、仕事の飲み込みが遅い人のことを批判しているわけではないです。上記の人はこれを半年経過しても続けて、他の労働者が肩代わりしてチームの業務遂行の量が激減した、そうそういないレベルの人です。あと自分は違うと思っているので、自分が「他責」と思う人は該当しない可能性が非常に高いと思います。

みんなが納得できる人事異動なんてない。

4月は人事異動の季節です。3月になって色々周りがざわついてきました。
確定情報がない段階で、人事とのコネ持ちを自称する予想屋が登場するのはどこの会社でも同じです。
予想屋の予想は予想屋本人の願望と評価が入ったものであるし、そもそも人事異動は一人ひとりの評価と適正だけで決まるのではなく、退職者の補充、ローテーション、バランス、仕事量の増減、経営状況、今後の経営方針、コネ、横やり、外とのしがらみなどなど色々な事情がからむことなので、人事異動によって、異動する本人、関係する人、組織にとってより最適なものになるとは限らないことは誰でもわかると思います。

ですが、やっぱり気になる。
自分の評価が気になる。異動によって自分がどう評価されているかどうか分析できるから。
他人の異動が気になる。自分とあう人あわない人と同じ部署、担当になったりしないか。うまくやっていけるかどうか。
他人の評価が気になる。自分が評価していない人が評価されるとがっかりする。
人間関係が気になる。実際一緒に仕事をやってみないとわからないのに気になる。
自分の評価や考えと一致しないことで、人事は職場を理解していないと怒る。
人が不足していても怒る。
補充されても補充されれた人が適性がないとか、人員過剰だと怒る。
その職場に最適な人員で構成され、最適な人数になることなんて無理なんてことはわかっているのに不満がでる。
結局、対人関係を気にしている。
快適な職場環境は周りではなく自分が決めるものとわかっていても対人関係を気にしている。

だって、どう冷静に考えようとしても、あわない人と一緒にいるのは、あわない仕事をするのはストレスだから。

小学校のクラス分けの頃から気にしているけれども、組織に所属する間はずっとこうなんだろうなあと我に返って苦笑してしまう。

多分、会長、社長などトップにたったとしても完全に思い通りな人選にはならないんだろう。ワンマンでイエスマンばかりで固めたとしても満足はできないんだろう。そしてイエスマンばかりになると将来会社が経営が傾く確率が高いので、結局誰かの思い通りの組織にならないことのほうが組織の中長期的な発展にはいいのだろう、と冷静に納得しようとしても、もやっとするのが収まらない今日この頃です。

炎上系ユーチューバーとの向き合い方

とある子役出身の俳優さんが、最近有名な某インフルエンサーと討論をしていた動画をみました。
そのインフルエンサーはあれやこれやと俳優さんに揺さぶりをかけるような質問していましたが、俳優さんは見事な返しをされていました。

それを見て気づいたんです。
この某インフルエンサーに限らず、〇〇する奴はバカなど侮辱的な言葉を使う某実業家をはじめとする炎上系ユーチューバー(以下、「彼ら」)をネットでしょっちゅう見かけて、かなり辟易してたんですが、この俳優さんを見てよくわかりました。彼らの発言に私の心が乱されているのは、私に自分の軸がないからだと。自分の行動や考えが正しいか不安だからだと。

どこかの記事で彼らがもてはやされているのは、彼らの言動がぶれていないからだという発言をみたことがありましたが、正解は正反対。彼らの言動がぶれていないのでなく、彼らの言動によって視聴者、読者(以下「視聴者」)が心がぶれるから、もてはやされているのだと。
彼らの発言により、視聴者は自分の考えを否定されたと怒るか不安になるか、それとも、彼らの意見が自分の意見と一致したことで自分が承認されたと思うか、そのどれかにより視聴者が反応してしまうから。彼らに否定されたくない、彼らに承認してもらい安心したい、そのために彼らの発言を見聞きしようと思うから、動画、記事、本を読ませたいマスコミやネットの運営者に彼らは重宝されているんですね。彼らに承認されようがされまいが視聴者の人生に一ミリも影響しないのに。

彼らの発言はおおまかにわけると以下の通りです。

①物事の逆の意見を切り出す。賛成意見が大半を占めるところに反対意見を言う。または、反対意見が大半を占めているところに賛成意見を言う。物事に対して賛成、反対両方あります。いい側面、悪い側面があります。どちらに意見の大半が集中しているとろに、あえて少数派の意見を言います。そこをあえて狙います。少数派は目立ちます。そして視聴者がその意見を見つけて反応します。反応してもらうことを狙っているので、怒ろうか喜ぼうが反応してもらってしてやったりです。

②社会の軋轢を生むなど、世の中の人があえて発言するまでもない当たり前のことをあえて発言します。そうすると目立ちます。内容によっては読者はよくぞいってくれた、なんてことをいうんだ、と反応します。

③話の論点をあえてずらします。予想外のところにずらします。予想外のことを聞くと視聴者は反応します。論点ずらしであり、予想外というのは意味がないと同義ですが、予想外のことは注目されるものです。

④自分が不利になれば相手の話を茶化します。真面目か、と茶化します。その挑発に乗って不真面目な態度をとったり、怒ったりしたら相手の思うつぼです。

⑤最近見なくなったな、思ったときは、しばらくして誰かの悪口をいいます。古い出来事を持ちだして悪口を言います。悪口は注目を集めるからです。

⑥上記の発言を、話が得意な人は「上手いこと」言って、話があまり得意でない人は「罵りを含めて」発言することで、読者は反応します。

彼らの仕事は視聴者がどれだけ反応させるかです。そのため反応を得るために言動がぶれています。彼らがもてはやされている理由は、言動がぶれていないからではありません。斬新な考えではありません。知識や経験の豊富さでもありません。人に嫌われることがわかったうえで発言できることです。一般の人、好感度の高い著名人にはできることではありません。それができるから、そしてマスコミがその発言を利用できるからもてはやされるのです。
読者側から見れば、彼らの稼ぎのために、人生の時間を使って、その発言を聞くことにどれだけ意味があるのかというとほとんど意味がないどころかマイナスです。彼らから学べること、得るのものがあるとするならば、人に嫌われても気にしないメンタル、どうすれば人は怒るかという知識、それだけです。他人を馬鹿にしてこれらが欲しいのなら彼らの言動は役に立つでしょう。

視聴者はそのことに気づけるかどうか。スマホで見ている時間はしょせんは暇つぶしの時間が多いですし、そんな難しいこと考えなくても、暇がつぶせればそれでいいとも思っている人もいるでしょう。それはそれでありかもしれませんが、その結果、その閲覧数が誰かの悪口を、その悪口の被害者数を加速させます。

今日の役者さんの回答を見て思いました。自分の軸をもっていて、自分のやりたいことがある人は、自分の時間をこういう人達に割かないし、心が揺さぶられることもないのだな、と。その結果、人生を有意義に自分のために使っているんだな、と。

転職の判断基準とは

転職先を選ぶ基準として次のような考え方があります。”〇〇をしたい”から転職するという「to do」型より、”〇〇という状況”にいたいから転職するという「to bing」型で職を選ぶという意見。(ちょっと記憶があやふやですので、間違っていたらすいません。)

私も、何かをする目的よりも、職場環境や働き心地で転職先を選んだ方がいいと思っていました。
でも最近、to bing型に「人間関係」というものを忘れてはいかんなあと思い始めています。

職場環境や働き心地のよさ、というのは周りの上司や同僚にも結構左右されると思うのです。社内風土、というのも結局は職場の人が作っている面があります。経営状態が悪いところや、厳しい売上ノルマを課さないとやっていけない事業もあるかと思いますが、やっぱりそこに今いる人、今までいた人の影響が大きいと思います。

そして、この「人間関係」の良さというのを見抜くのは本当に難しい。実際一緒に働いてみないとわからないし、例え最初はうまくいってたとしても、ひとつの出来事がきっかけで急に悪くなる場合もあります。少ない人数の職場は周りの人が固定されているのでうまくいく場合もあるのですが、急に悪くなった場合、最悪な職場環境がそこで働く限り永遠に続く、ということになります。

では大きいところがいいかというと大きい所は「転勤」「異動」がついてまわります。そして異動先、または異動してきた人の間でまた新しい「対人関係」が始まります。それが上手くいくかどうかはやってみないとわからないし、上手くいっても「転勤」「異動」でまたリセットされます。ただ、大人数の部署、例えば〇〇係、〇〇チームで8人以上いる場合は、必ず人間関係で揉めて失敗する、と某有名企業のトップは言っています。

要するに、「対人関係」という実際働いてみないとわからない、不確定要素で居心地の良さを見つけるというのはかなり難しいということ。例えば面接でうちはかなり好き嫌いが激しい上司、同僚がいますよ、なんて言う採用や部署があるわけもない。

パワハラ、セクハラは論外ですが、人間関係というのは、あの人の仕事の進め方が気に食わない、あの人は仕事ができない、あの人の方がなぜ評価されるのか、あの人になぜあの仕事を任せるのか、なぜ人を集めないのか、などなど「対人関係」で働く人の99%は不平不満を持っているといえるでしょう。

よって、ここでいう「居心地の良さ」というのは、職場内対人関係を除く自分の仕事の中身での話、ということになります。要するに、この仕事は性に合っている、得意だ、苦にならない、という話。対人関係で無理に仲良くなろうとしない。一線を引いて干渉しない関係を作る。ただ、世の労働者の殆どの仕事の悩みは「人間関係」。そんなに簡単に割り切れる人など殆どいないですよ。

要するに、転職で居心地の良さ、「to bing」型を求めるのはかなり難しい。それに例え居心地が良いことが確定している企業の面接で「居心地が良さそうから」という志望動機ではまず通らないでしょう。

結論としては、今の会社で居心地が良い場合だが、自分のしたいことではない業務内容で会った場合、またその逆に今の会社でしたいことをしているはずなのだが居心地が良くない場合の、転職に踏み切るかどうかの判断基準、ということだと思います。

雇用調整助成金 令和5年4月からクーリング期間に入る事業所がありそう (2/28) ※3/17修正

4月1日追記 ※ご注意 現在厚生労働省のホームページにて令和5年4月1日以降のガイドブック等が公表されておりますが、以下の記事はその公表前の令和5年3月に公表された2ページのリーフレットをもとにした分析記事であり、4月1日以降の確定版をもとにした記事ではありませんのでご注意下さい。尚、確定版に基づいた修正は行いません。

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経理事務員の99%がAIに仕事を奪われるという記事について(2/26)

今日、以下の記事をインターネットで見た。まずは内容をご確認いただきたい。

news.yahoo.co.jp

では、この”記事”について反論をしたい。珍しく、ヤフーの最初のコメントに完全に同意した。

まず、40代後半という世代が特に危険という認識について。

この世代で経理職として仕事をしたことが少しでもある人ならば、デジタル分野に無縁で業務をしてきた人などほとんどいないであろう。この記事の著者は経理職のほぼ全員がいまだに紙だけの業務に拘りを持っていると思っているのか?紙ベースの業務は残っているのは事実だろうが、それはあくまで法令の保存義務や証拠書類が紙であったことに起因するのであって、40代後半が好んで紙媒体を使っての業務を選んでいるわけではない。大半の経理職は紙の業務が電子媒体で代替可能になったならばそれを拒否しないだろう。(現状紙からの完全デジタル化へはそれなりの投資と学習と時間が必要である)紙の書類というのはフ、ァイリング、探す時間、保管場所の確保と非効率な業務が多いが、現状その手段を選んでいたにすぎない。税務当局等行政機関が紙媒体中心からやっとこさデジタルへ移行している現状である。今、紙媒体の業務が残っているからと言って経理職という職に就く人の大半がデジタル化に対応できない、苦手意識があるというのは話が飛躍しすぎている。

40代後半は、アナログからデジタル化に移行するときに若手としてその変化に立ち会っている世代でもある。アナログからデジタルへの移行期の苦労を知っている世代である。IT企業の創業者は40代後半から50代前半が多いのがその証左。逆に40代がデジタル化に抵抗をもっているという証拠がどこにあるのか聞いてみたい。それに過去にデジタル化についていけなかった人はおそらく経理部門から今は退いているであろう。これから経理がデジタル化からDXへ進んだとしても、40代後半は今や管理職として決定権限を持つことができる世代として、過去に変化を経験した世代として率先して取り組める世代である。20年前のIT化の時も当時の40代ぐらいが中心となって進めてきたと私は記憶している。DX化、インボイス、電子保存に対し40代の経理職が反発していると思っているのか。20年前のIT化の時と比べてついていけないほど難易度が高いと著者は思っているのか。経理が昭和から全く何も変化がない業務と思っているのか。むしろ、長く経理職に就いている人からしたら、変革のチャンスがきたと思っている人もいるはずだ。

尚、世の中色々な仕事があるし、色々な人もいるので100%、経理職の人間はこうだ、とはいわない。99%こうだ、ともいわない。だが、DXに経理職が99%が消極的というのは、経理職は20世紀の頃にどこか異世界に転移していた人か?経理職はみな異世界おじさんか?いくらなんでも”煽り”表現として無理がありすぎる。

次に、99%の経理事務員がAIに仕事を奪われる、という見出しについて。
断言する。100%それはない。経理職の人数が減る可能性は十分ある。経理業務の内容が変わる可能性も十分ある。将来何が起こるかはわからない。だが、だからといって99%いなくなる、つまり100人いて1人しか残らない、大抵の会社は経理職は100人もいないので、1人の専任もいなくなる、ということは100%ない。過去に製造業が機械化しても人が99%いなくなってはいない。そもそも経理という仕事がすべて機械でできると思っているのか?それは経理という職が、マニュアルどおりで、過去の取引データで全て完結できると思っているど素人の意見にすぎない。経理に携わる人間への侮辱でしかない。

99%経理の仕事がなくなるというよりも、この世の人間が行う仕事の99%がAIにとって代わるといった方がまだ現実味があると思う。

次にデジタル化に踏み切れない3タイプという記述について。一言で言って雑。

「現状維持型」。経理がどれだけ法令、税、会計基準の変更に対応してきたかわかっていない。全部外部にアウトソーシングしてるというのならわかるが、自社で経理をするならば現状維持で済むはずがない。調査不足。机上の空論にもほどがある。

「他力本願型」。世の中にはシステム関連で経理になんの権限もない会社もあるかもしれない。だが、それでは経理はまわらない。決算は組めない。伝票すらまともに切れない。決算ができませんでした~。次頑張ります、といえる業務と思っているのか?経理の判断でせっかく導入した高額なシステムを捨てるケースだってある。机上の(以下同文)

「慎重安全型」。経理が慎重で安全を重視しなくてどうする?不安を駆り立てるようなベンダーにのせられて拙速に未知のシステムを導入してどうする?DXとかいうトレンド(そもそもDXは単なるデジタル化、デジタルによる標準化ではない。業務の変革でありそう簡単なものではない)にのせられてどうする?ベンダーに従うがままの標準化ではない。自社、自社グループにとっての最適なものは何であるか判断する。「現状維持型」と矛盾している。変革である以上大胆な判断が時には必要だが、慎重さも持ち合わせないで、だれが決算の責任を取るのか?どんなシステムだって、1年目は前のシステムと並行して行うケースもある。それはなぜか?経理は決算を落とすわけにはいかないからだ。株主、税務当局に対し決算ができずに誰がどう責任をとる?DXで決算を落としてもシステム会社はその責任を取らない。経理が責任を取る。なんどもいうが、DXは決算が担保できてからの話だ。机上の(以下同文)

しかし、この著者は本当に経理業務を知っているのか…?きちんと取材をしたのか?それとも著作からの切り抜きがおかしいのか?

流石にこれは読者の目をひくための”釣り””煽り”か、または、DX、インボイス、電子保存で一儲けを考えて、この記事を書いたのではないかと邪推している。

3つの分類は、単なるぼくの考えた経理のイメージでしかない。「それ、何か証拠があるんでしょうか?」「それ、あなたの感想ですよね?」と、ひろ〇き氏に煽ってもらえるのを狙っているのか?

本当に釣り、煽りでなくて、このレベルの取材力と分析力で、自信をもってこの記事を掲載しているのならば、著者、編集者、出版社は自分達の仕事が経理職より先にAIどころか、どこかの素人にとって代わられないか心配した方がいい。

テレビでジャーナリズムを語る(失笑)

今夕、著名な2人の方がジャーナリズムについて語っていました。
SNSが偏った情報ばかりを表示させている問題点、フェイクニュースなどを語っていました。

失笑
チャンネル変えました。

SNSに問題点があるのは確かだが、インターネットのニュースサイトを見てみなさい。SNSでの著名人のコメントとその反応を、流れも内容も無視して切り抜いて文章にしただけで、ひとつの記事にしている。批判されることも批判して訴えられることもない位置にいる。なんの生産性もない、なんの付加価値もない。これが、お前らのジャーナリズムだろう。

個人のコメントは間違っていて、マスメディアが発する情報が正しい、それがお前らのジャーナリズムだろう。

テレビを見なさい。情報番組と称して、何者かわからない、何もわかっていない人が事件や事故を見て、テキトーなコメントしてる。それがお前らのジャーナリズムだろう。

偏った情報?テレビや新聞がそれをいえる立場か?自分たちの情報が間違っていた時は、間違ったと謝罪できるか?あれだけコロナで不安をあおり騒ぎ立てながら、今は知らん顔なのがその証拠だろう。

今日放送されたテレビの構造がお前たちの考えを端的に表している。ジャーナリスト(笑)2人を中心に話をするという形式をとっているが、自分たちは高い位置で優雅にいい椅子にふんぞり返って座ってマスクもせず、一般人は一段低い位置で間隔の狭い席に座らせていて密なためマスクを強要させている。これがお前らのジャーナリズムの正体。
つまり、大した見識も身に着けず取材もしないくせに、一般人に高い位置に座ってさも自分たちは偉いかのように他の人に向かって話すこと、ただ話がうまいだけのこと、それがお前たちのジャーナリズム。今は動画サイトの話のうまい一般人の方がよっぽど有益な情報を提供している。そのことに気づかれたのか、えらそうにネットをたたくことで自分たちの地位を守ろうとしている、それがお前たちのジャーナリズム。

ジャーナリズムとは、日々発生する世の中の出来事や時事的な問題を報道、解説、論評すること。言い換えれば、単に日々の出来事にコメントするだけのことを、さもえらそうにジャーナリズム(笑)といっているだけ。ただコメントすることはSNSと何が違う?自分たちはSNSと比べて何の付加価値をつけている?単に特権的な地位にいるだけで一般人と何が違う?何ができる?何をしている?

テキトーなコメントしている暇があったら、トルコかウクライナに行って取材してこいや