けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

勉強は基本1人でやるもの

とある動画を見て、勉強は1人でやると100%失敗する、仲間と協力し合ってするといっていたことについての反論。

まず、100%、というのは世の中にはない。そして99%失敗するというのものでもない。%で置き換えられるものではない。答えは逆である。勉強は1人でやることが基本だから失敗も成功もない。

人と協力し合って勉強するというのは、ある程度のレベルをもつほぼ同レベルの者同士か、またはお互いに得手不得手があって双方に自分の不得手のところを教えあうというメリットがある場合か、切磋琢磨できる関係性を維持できる場合に限る。そういう人と巡り合えるのは幸運なのであって、そういう相手を見つけなければ勉強が捗らないと誤解する人は本末転倒である。

仲間とやったとしても、自分よりレベルが低い人と勉強すれば、自分の勉強する時間が他人に勉強を教える時間で削られる。自分よりレベルの高い人の場合はその逆で、相手の時間をとっているということである。

基本的に勉強は1人でするものである。自分で問題意識を持ち、目標を立て、予習、復習する。自らやろうとする者でないと成り立たない。人と一緒にやることを前提にすると大抵はただのじゃれあい、慰めあいである。
「できた?」「全然ダメだった~」「90点、すごいじゃん。」「たまたまだよ~」「忙しくて勉強できなくてさ~」。仲間内で突出しないための使づかいの会話に時間を取られる。チームプレイに、仲間内に協調性は必要だが、この会話が勉強するためには必須か?

教えてもらうということはある。いい師、よき先輩に巡りあうことや良いことである。先人に教えてもらうことは先人が通ったゴール地点までの道のりの中で、結果的に寄り道であった無駄な時間を減らすことができる。自分の間違いなどを正してもらえる。いい師に巡り合えればラッキーである。

他人に出来を判断される環境にいる、他人と比較できるというのは勉強をするうえで必要である。自分の勉強の客観的なレベルの把握、進捗状況、緊張状態と向上心の維持、レベルアップすることへの満足感を得るには他人の目というのは必要である。

要するに勉強は1人でやるものだが、指導者や状況を見てもらう他人の目は有効である。
指導者や他人の目がある以上”1人”でないのではないか、といわれるとそうではあるが、”1人”の解釈の違いでしかない。